「風を追い越して・・・」

夏の日、しかも夕方になって、殆ど残っている者もいないこの学校へと続く坂道を、3分の1ほどの水が入ったバケツを両手に持ち、彼女は口から心臓が飛び出るのではないかと思われるほど激しい呼吸で、何度も走って駆け上がっていた。

私は初め、たまに遭遇するこうした彼女の練習を横目で見ていて「多分宿題を忘れたか、遅刻して先生から罰をうけているのかな・・・」ぐらいしか思っていなかったが、あれは高校2年生の夏だったか・・・、ふとしたことがきっかけで付き合うとまでは行かないが、仲良くなった彼女から、バケツダッシュは彼女が自身に課しているトレーニングだと言うことを聞かされて、少しずつ彼女に心魅かれて行ったことは事実だった。

私のクラスでは陸上部に所属していたのは、私と彼女しかいなかったが、彼女は短距離で自分は高飛びだったこと、また男女それぞれの部活だったことから、それほど親しいという訳ではなく、気の強い彼女は同じクラスとは言え、私にはどちらかと言えば苦手な存在だったが、たまたま陸上競技の大会が重なり、林間学校へ参加できなかった私たちは、陸上競技大会では予選落ちしてしまったものの、帰りの電車で一緒に帰ることになり、いろいろ話している内に加速度がついたようにして親しくなっていった。

そして翌日、林間学校へ行けなくなったので、それまで積み立てられていた費用を前もって返金されていた私たちは、本当はこのお金は両親に返さなければいけなかったものだったが、それを返さず、夏休みだったこともあり、2人で少し離れた街まで映画を観にいったが、いつも彼女と言えばトレーニングウェアか制服姿しか見たことがなかった私は、可愛らしい黄色のワンピース姿で駅に現れた彼女に、「見慣れないから何か別人のようだ・・・」などと言ってしまい、それに対して彼女もジーンズに薄いパープルのTシャツ姿の私に「○○こそ、何かおかしい」と笑った。

映画は特に観たいものがあってと言うより、2人でもっと喋っていたかった・・・と言うのが本当のところだったから、何でも良かったのだが、取り合えずと思って入った映画館で上映していたのは、血がドーと流れ、キャーと言う悲鳴が続く恐怖映画で、これを2人で黙って観ていたが、しまった何かもう少し気の利いたものにしておけばよかった・・・と思ったもののすでに遅かった。

しかし映画館を出て公園や街角を2人で歩き、いろんなことを話した私たちは、気心の知れた感じになり、帰りは相当遅くなってしまったので、私は彼女を家まで送って行ったが、その帰り際、こうした場面では手の一つも握ったり、キスの一つも・・・、と思いながらも、何もできずに「じゃ・・」などと言って爽やかに家へ帰った私は、後であれもこれもと後悔していた。

彼女はいつも言っていた、誰よりも早く走りたい、負けたくない・・・と、そしてそれは私も同じだった。
誰よりも高く、もっと高く飛びたいと・・・いつも思っていた。
それから私たちはどちらかが遅くなると、その練習が終わるのをを待って一緒に帰るようになっていったが、こうした中で彼女は500メートルはあっただろうか、学校へ上がる坂道を毎日、水の入ったバケツを持って走ってからトレーニングを終わりにするため、いつも私がそれを待っていることが多かった。

私たちはあの時代を、あの風の中を走り抜けようとしていた、もっと高く、もっと高く飛ぼうとしていた・・・が、結局3年生になって最後の大会でも、私もそうだが、彼女もまた予選落ちになってしまった。
そして私と彼女はそれからもしばらくは付き合っていたが、高校卒業とともにお互い時間がなくて会えなくなり、そのまま今日に至っていた。

ところが最近、クラスメートだった別の女性から、くだんの彼女が重い病で入院しているので、他のクラスメート数人と一緒にお見舞いに行かないか・・・と言う連絡を受けた私は、その日、皆と彼女が入院している病院へ向かった。
勿論このクラスメートが私のところへ連絡してきたのは、かつて私と彼女が付き合っていたことを知っていたからに他ならなかったが、彼女はあれから結婚したものの10年ほどして離婚、その後は母親と2人で生活している・・・と言う話は聞いていたのだが、こうして実際に会うのはもう30年近く前のことになる、やはり眼前をいろんな思いがよぎるのは仕方のないことだった。

彼女が入院している部屋には他にも4人の女性が入院していたが、彼女は一番ドアに近いところにあるベッドで寝ていて、私たちは静かにそこへ入ったが、彼女は昔から見ると随分やつれ、その髪にも白いものが目に付いた・・・、しかし顔の表情などは昔と何も変わらず、起きれなくて寝たままだが、皆がいろんな言葉をかけ、それに対して儚いほどに嬉しそうに答えていた。

私は彼女にいろんな言葉をかけようと心の中で準備していたのだが、いざ彼女を目の前にしたら、何もかも吹っ飛んでしまって、結局目を伏せたまま「早く良くなって・・・」などと言う月並みな言葉しか思い出せなくなってしまっていた。
やがてお見舞いを渡し、皆が病室を出て行こうとしたとき、一番最後になった私は彼女の言葉に足を止めた。

「○○、ありがとう」彼女は昔のまま、私を呼び捨てにし、その言葉に振り返った私は、また彼女の元へと戻ると、今度は「頑張って、元気になってくれ」と言い、恐る恐る彼女の頭に手を当ててみた。
本当は撫でようとしたのだが、それをすると何か大きな悲しみが襲ってきそうで、思わず手を止めたからだが、そうした私のことを分かってか、彼女はかすかに笑顔になると、「会えて嬉しかった」と言い、「俺も・・・」と答えた瞬間、30年前に戻ったような錯覚を覚えた。
だが相変わらず本当は違うのだが、またしても私は爽やかに「じゃ・・・」などと言って病室を後にした。

馬鹿だ、馬鹿だ、なぜ一言「好きだった」ぐらいが言えないのか、こうした年齢になったのだから、昔好きだったぐらい言うのは何でもないことなのに、それが言えない。
また例えそれを言ったからと言ってどうなる・・・、もう昔には戻れないのだ・・・。

家へ帰った私は、本当は昔は大嫌いだったZARD(ザード)の「時間の翼」をミニコンポに差し込み、窓を開けて青い空を眺めながら寝転んだ・・・、そしてhero(ヒーロー)が流れて、「あなただけが私のヒーローだから・・・」の歌詞が聞こえてきたら、なぜか涙が溢れ出てきた。

「あの自動販売機まで、せーので走ってみよう・・」
そうだ自分にも似たことがあった・・・、部活が終わり自動販売機でジュースを買おうとしたのだが、2人の有り金を集めてもファンタが1本しか買えなくて、半分ずつ飲むことになった、そしてジャンケンして勝ったほうが先に飲むことになり、彼女がジャンケンに勝って先に飲んだが、半分どころか8割ほど飲んでしまったことがあった。

また初めて2人で映画を観にいったとき、本当は残った金で写真のリバーサルフィルムを買おうと、できるだけ金のかからないようにしていた・・・、それも言わなかったけど許して欲しい・・・。
あの頃の自分は欲しいものだらけだった・・・、しかし本当はすべて満たされていた。
それに気づくのにこんな時間がかかるなんて、そして今は思う・・・、辛いことや悲しみ、それすらもこうしてどこかで人は満ちた足りたものとして感じるときがあることを、生きているとは何とすばらしいことなのか・・・、何と美しいことなのだろう。
まるで水面に映る陽の光のような煌めき、それを眩しそうに眺めるような、このありようではないか・・・。

私たちはあの時も走っていたし、そして今も走っている。
いつか風を追い越して、高く、より高く飛ぼうとしている。

そうだ今度いつか彼女が良くなったら、ファンタを1本おごってやろう・・・、今度は半分ずつなんてケチなことは言わない。
1本丸ごと飲んで良い・・・そう言ってやろう・・・。

 

※ 本文は2009年に執筆されたものです。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「風を追い越して・・・」

    イヨッ、モテ男~~♪

    自分は、「あの頃、好きだった」と言わなかったのは正解の気がする。もちろん人生に正解も不正解も無いのだろうけれど。

    思い出の6:3:1
    どんな境遇の人も色々な世代で調べても、
    楽しい思い出が6
    中間的な思い出が3
    辛い思い出が1
    だそうである。そんなプログラムが、脳の中に潜んでおるらしい。

    これはカミが、人に与えた数少ない恩寵の一つ~~♪

    最近は、便利、簡単・・面倒なことは、すべて他人任せで、上っ面だけで生きてゆくのが流行っていて、さらに、あわよくば、お得に~~♪

    テレビは、自分の主張か、視聴率を上げるためだけ、真実とか均衡とかそんなものはどうでも良い。
    議員は、特に野党は、地域住民とか国家の為とか一切興味なしの次の選挙に勝てるかどうかだけ、選挙民も自分の利益優先~~♪

    隣の芝生は青いが、それは自然に青くなったわけでは無く、隣人が遊びに行っている時に、炎天下に芝刈りをして、雑草を抜いて、施肥撒水をしていたのです~~♪

    それぞれの時期で、それぞれの思い出、すべては取り返しがつかないけれど、色々生きた記録~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      切ない話ではありますが、少年時代の自分から今に至って何が変わったのかと言えば、唯年齢を重ねただけで何も変わっていない事を思います。
      そして多くの親しき者たちが自分を置いて去っていく、そんな淋しさも感じながら、言いようの無い思いがします。

      こうした事は年齢を重ねなければ理解しようも無い事なのでしょうが、多分もう一度やり直せたとしても、同じ事を繰り返すだけでしょうね。
      それが解っているから切ない事になるのだろうと思います。

      若い頃は早く年を取らないかなと思っていたのですが、気付いてみればあっと言う間でした。
      次に気が付くのは、死の直前かも知れませんね。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「流通の循環」・1

    西欧が、消費税で遣っているからと言って、追従することはない、独自のやり方で遣ればよい~~♪

    世界中の流通が一元的に・有機的に連携して、それは例えば世界郵便連合(実は穴ぼこだらけだが)のような形で、近所の集配所に持ち込むとかネットで指定すれば、世界中に自由自在~~♪

    原産地も製品の品質も不明のまま、あらゆるものが、宅配される状況が実現するかもしれない、否定的な面も含めて。

    そして、人は、今まで以上に便利になって、最悪の不幸せになる。
    「スマートスピーカー」も高度AIが組み込まれて、便利では有るが、色んな事が発生して、例えば、一人暮らしの年配の人が、定期的に発注していたものが、亡くなった後も、開いていた駐車場に、何か月も荷物が配達されて居たり、ウガンダとルワンダが違って、全然関係のない人に、ビックリするようなものが、次々と配達、稚内の人が、目の前の自動販売機にスマホの仮想通貨で注文しても出てこないので、何回も遣ったら、能登半島の自動販売機から、何回もガラガラ~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      消費こそが正義のような現代の有り様ですが、実は必要が有って消費は生まれるもので、これを逆算して考えるのは企業や政治の仕事であり、立場です。
      ところが今では一般庶民が消費を気にする時代で、その意味では統合失調症状態の政府が見事に国民をその立場に巻き込んだとも言えるのですが、この事に国民は気付かない。
      経済を知っていると言う形が嬉しくて、まんまとアホな経済評論家や政府の言葉に乗せられ、したり顔でテレビの話を自己主張している訳です。
      経済の基本はとても簡単です。
      要らないものは買わない、質素倹約、贅沢を謹んで貯金をし、一生懸命働く。
      これだけのことなのですが、今の時代は全てこの逆を善しとしてしまっている。
      これでは国難は深くなる一方なのは当たり前と言うものだろうと思います。

      コメント、有り難うございました。

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