「オペラは使い捨て」

ドレミと言う音階、この音階を決定する標準音、つまり元になる音だが、これはフランス音名「ラ」、ドイツ音名A「アー」の周波数となっているが、こうした標準音はいわゆるバロック期以前は非常に曖昧なものであり、地方によってその基準はバラバラの状態だった。
例えばフランスでは390ヘルツ、ドイツでは410~415ヘルツとなっていて、現在の音階よりはかなり低い音階で楽曲が演奏されていたようだ。

だがこうしたことでは地方によって同じ楽曲でも、もし半音階低く演奏されてしまうと全く違った曲調になったり、移動して演奏が行われるようになると支障が現れてきたことから、1939年標準音の基準音が定められた。
それによると気温20度の状態で場所はロンドン、そこで440ヘルツの音を基準音とすることが決められ、以後はこの440ヘルツを基準音として音階が構成されるようになる。

しかし近年、古典と呼ばれる楽曲の演奏には、やはりその当時の音階でなければ作曲者の意図が伝わらないのでは無いか・・・と言う考え方から、その時代の楽曲が作られた地域の音階を用いて演奏すると言う演奏形態も増えてきている。
この場合、例えば古い時期のフランスの音階だと、基準音より半音低い標準音が用いられ、その演奏は基準音の音階とは全く違ったイメージになる。

そしてこうした世界的な標準音が決められて以降、ではこのような標準音が守られているのかと言うと、これが実は違う。
標準音が決められた以降も世界の基準周波数は年々上がり続けており、近年のレコーディングスタジオでは、ピアノのA音を441~442ヘルツに調律し、それに合わせて他の楽器の音階も決めていくのが普通になっている。
また最近では445ヘルツを基準にしているオーケストラもあるようだ。

周波数が高くなればそれだけ音は繊細で鋭角的になる。つまり聞く側にはクリアな印象があるが、その代わり穏やかさを失うと言う欠点もある。
音楽も、忙しくストレスの多い現代社会には、その時代が求める音階へと自然に移行しているのであり、これから先も多分こうした標準音の基準値は上がり続けるのでは無いだろうか。

また音楽の話のついでにもう1つ。
16世紀にイタリアで生まれたオペラだが、始めは貴族社会の最もポピュラーな娯楽として生まれたオペラも、その後台頭してきた市民階級の登場によりさらに広い需要が発生してくると、現代のアニメのように次々と書かれては上演し、それはそれで素晴しいことなのだが、いわば使い捨て状態となって行った。

再演されることもなく、日々大量に書かれるオペラの楽譜は出版されることは稀で、劇場に売り渡される自筆譜や写譜も殆どが上演の後は棄てられるか、紛失するケースが多かったようであり、こうしたことから今日我々が知るオペラの数よりも、実際は桁外れの数のオペラが存在していたと見られていて、実数は不明ではあるが、統計学的に見ると最大72000作以上のオペラが上演されたのでは無いか・・・と考えられるのである。

つまりオペラは書かれては棄てられを繰り返し、その殆どが失われていったと言うことだが、こうした状況は19世紀以降、出版の定着とともにある程度解消されていくが、例えば19世紀だけでも10000作以上書かれたイタリア・オペラ、このうち現代社会で曲りなりにも上演できているオペラは100以下しかない。
我々は結局のところ、オペラを見ているようで、実はそれはのぞき穴からやっと見える程度のものを、チラッと見ているに過ぎないのである。

では今夜はこれまで・・・、と思ったが、最後に忘れていたことがあった。
ちなみに赤ちゃんが生まれて最初に発する声、産声(うぶごえ)だが、この声は440ヘルツの「ラ」の音だとも言われている。

良い夢でお休みあれ・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「オペラは使い捨て」

    西洋音楽の音階が主流になっているようであるが・・

    日本には古来より、日本には雅楽に代表される古来より独自の音階が有ったし、今でも沖縄音階、民謡音階など、伝統的な民族の音階が健在だ。
    ほぼ初めて、バリ島のガムラン音楽の楽団が日本公演したときも聞いたのだが、我が伝統音楽と通じるものを感じた。彼らが、西欧に行って、オーケストラを聞いた時、どの音楽が一番良かったか、に対して応えたのは、演奏前の音合わせの調律の音だったらしい~~♪
    反を外から学ぶのも、必要だが、内なる伝統を見つめなおすことも必要だろう~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      オペラの原点は今で言う所のお笑い芸人のネタのようなものだったことが伺えます。
      それほど安易に作られ、棄てられて行ったと言う事なのでしょうが、今の時代に為れば名作と評されると言う事なのでしょう。
      そして今作られているものの多くは、こうして棄てられて行ったものより、はるかに劣悪で、おそらく後世には何も残らないだろうと思います。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「相互確証」

    中国は100万都市100か所に核攻撃を受けても、減少する人口は、たったの一億で有り、全人口の10%にも満たない。インドも同じ。
    という事は、全世界の全面核戦争では、色々な現象を捨象して考えれば、中印は他国よりかなりの人口が残るが、実際は国家の体をなさず、近代核武装国家とそれに準じる国家も、ほぼ国家の機能を停止し、生き残るのは、アフリカと南米の人口過疎地帯及び極地地方のみで、地球の美しさを長く保つには、最も有効かもしれない~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      日本もこうした相互確証戦略の中にあるのですが、恐ろしいのは現実に核戦争事故が起こるのは、こうした辺境地域だと言う事で、これを国の防衛の基本だとか考えていると、いつか必ず国は滅びる事になるでしょうね。
      机上の理論でしか語られない防衛は虚しい・・・。

      コメント、有り難うございました。

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