「つくね芋の雲」

安政2年(1855年)10月2日(旧暦)の夕方、駒込白山下の質屋では、そろそろ日が暮れてきたこともあって、昼間は開けてある2階の部屋の雨戸を閉めようと、この店の丁稚が2階へ上がって行ったが、これがまた行ったきりでなかなか降りてこない。
「おいおい、一体何百枚の雨戸を閉めに行ってるんだ」店の番頭は茹でた卵と同じで、まったくかえってこない丁稚にぶつぶつ文句を言っていたが、やおら降りてきた丁稚はなにやら難しい顔をして、どことなく元気がなかった。

それを見た番頭、丁稚に何かあったのかと聞くと、丁稚は思いつめたようにこう言う。「今夜きっと地震が来る、しかもこの地震は大きい」
何を言うかと思えばまた縁起でもないことを・・・、番頭は一瞬ドキッとしたものの、「つまらないことを言っているんじゃないよ」と丁稚を叱り飛ばし、また元に戻ったが、どうにも気になって仕方ない、なにせこの前年、安政1年には安政東海地震(M8・4)と安政南海地震(M8・4)がたった1日違いできている。

そうでなくとも黒船が浦賀に現れてから右往左往のご時世、何があってあっても不思議はなかったが、地震、雷、火事、親父、泣く子と地頭には勝てまいだ。
何となく不安になった番頭は、暫くして店先に顔を出したこの店の主に、それとなくこの丁稚とのやり取りを話してしまう。
「おいおい、大地震とは穏やかじゃないね」、どうせ聞き流すだろうと思っていた店の主の意外な反応、それだけならまだしも番頭の話を聞いた主は、その丁稚をここへ呼ぶよう番頭に言いつける。

そして番頭に連れられて来た丁稚、番頭もそうだが、てっきり主からつまらないことを言ってサボるではない・・・、などと叱られることを覚悟していたが、これまた意外な事に主は丁稚をそこへ座らせると、なぜ今夜地震が来ると思うのか話してくれないか、と言うのである。
そして丁稚の話はこうである。

弘化4年(1847年)3月24日、この丁稚の出身は信州だったが、彼の父親はちょうど善光寺ご開帳のこの日、お参りから帰る途中、やはり既に夕方になっていたが、西の方の空に白雲が霞のようにたなびき、その反対の東の空にはまるで「つくね芋」のような雲が出ているのを目にする。
そしてその日の夜9時頃だろうか、突然恐ろしいうなり声のような音がしたかと思うと、信州全体が縦に揺さぶられるような大地震に見舞われた。

善光寺地震(M7・4)である。
まだ幼かった丁稚は父親からこの話を幾度となく聞かされ育った。
そして幸か不幸か安政2年10月2日、何と同じ雲を雨戸を閉めに行って見てしまった丁稚は、「ああ、これで間違いなく大地震が来る」と思ったと言う訳である。
果たしてその結果は・・・、歴史が示す通り安政2年のこの日の夜、多分10時ごろかと思うが安政江戸地震(M6.9)が発生するのである。

これは「武者金吉」と言う学者が「日本地震資料」なる書籍を編纂したものの中に出てくる話だが、一般的に地震の前触れが空に現れるときは東の空が多く、気象的変化があるときは西の空に前触れが現れるようであり、そして今もって謎なのが、この話に出てくる「つくね芋」の雲だ。
あらゆる研究者がいながら、実際に「つくね芋」の雲を見たものは1人もいない。
そもそも、「つくね芋」とはどう言う形を言うのだろうか。

おそらく推測するに丸か楕円に近い不定形の形、それに縁が不気味に光っている感じだろうか、せっかくこうして資料として残してくれても、実物を見たことがなければ、たとえそれが現れていても全く気づかずに終わってしまう。
まことに残念な話である。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

3件のコメント

  1. 「つくね芋の雲」

    日本は面積の割に合わない、地震に見舞われている。多分、それなりに探せば、予兆とも思われる記録はたくさん埋もれていることだろう。
    法則は簡単ではないが、「落石注意」と同じで、少しでも心構えが有れば、不意の時より、行動は出来ることが多いから。或る意味、アンリ「オオカミ少年を」恐れず、色々な事を検討して、覚えて置くことは、有用な事であろう、真実は容易に分かるものではないが、対応の窓口を広くしておくことは、発展の一端であろう~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      つくね芋の形の雲は、基本的につくね芋とはどの芋を指すのかが解らない私としては、いつまでも大きな謎でしたが、こうした雲はおそらく今の時代に言われている地震雲とは全く違うだろうと思います。
      つまり今の時代に騒がれている地震雲は、本当は地震雲ではないような気がするのです。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「対立の調整と平等」

    医学系の大学入試に平等性を導入するために、色々な方策を実施するという事であるようだが、良くならないと思われる。これにも或る種のトリアージが、必要だろう、それは社会と共に変化するもので、応変して適用すべきだが、言葉や議論より現実が先行して難しそうだ。
    たまたま歩いていたら、某共産党が、平和憲法を守って、且つ北朝鮮とは平和的な外交で問題を解決できると言っていたが、今まで解決できなかったことが、そんなことで解決できるわけも無し、県費で平和が保たれていたという認識を検証する気もないところが、出来るとも思えない様に、歴史を論理ではなく、実際の軽経験を踏まえて、再認識する気のないところに問題解決の糸口は有りそうではない。
    これから暫く、煩い御託を聞かさされるのは憂鬱~~♪

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