「キラー言語」・2

だがやはり言語とは面白いものだ、こうしてフランスなどがキラー言語から守ろうとしている自国言語、しかしキラー言語と言う広域コミュニケーション言語は、こうした世界各地のコミュニケーションを円滑化し、そこから世界各国に「理解」と「相互認識」をもたらす役割も持っている。

また少数言語、ローカル言語だが、こちらもキラー言語によって駆逐されるのだが、それから後がかなり愉快なことになっていて、ローカル言語からキラー言語に移行する「言語移行」(Iinguistic shift)の時期には、キラー言語の中にローカル言語独自の文化的特徴を持ち込み、結果としてキラー言語と言う広域言語を、独自に変形させたものを創造させるが、この仕組みは風邪ウィルスにとても似ている。

例えばオーストラリア先住民族、アポリジニが言語を英語にシフトして行った過程には、「オーストラリア・アポリジニ・イングリッシュ」(Ausutraliann Aboriginai English))と言うアポリジニ独特の英語が創造されたのであり、そこには先住民族のエストが宿り、まるで彼ら先住民族の文化が再生されたかのような、はたまた小さき存在が大きなコンテンツに変換され、大海原に乗り出したような煌きがあったのである。

そしてキラー言語による侵食は、何もオーストラリアの先住民族だけではなく、この日本も英語の侵食によって大きな影響を受けているのだが、ここでもやはり日本語と英語の和製英語が創造され、その言語は正確に日本文化を継承しているとは言えないまでも、したたかに英語の中に独自の文化を織り交ぜたものとなっているのである。

だから言語を守ると言う意味に措いて、一つは純粋なものを残さなければならないとしたら、それは画像データか文書記録でしか実現しないかも知れない。
かたくなに文化を守るとして、そこにコミュニケーションを欠いたものが発生するなら、それに固執することは、言語が言葉の蓄積であると考えれば、言葉本来の持つ意義をも失わせることなるのではないだろうか。

21世紀の終わりには6000を超える言語のうち、その90%が消滅する恐れがある。
だが同時に人類はキラー言語と言う広域コミュニケーション言語の中に、失われた5500余りの言語を融合させ、それまで余りにもローカルであるが故、その存在ですら認識できなかった文化をグローバル化させる道を見出すのではないだろうか・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 「キラー言語」・2

    広く言えばピジン語が新しい天地を開く一つだろうけれど、人工的に作ろうとした、エスペラント語は、最近息の根を止められたようだ。
    言語は時代や地域、文化歴史その他あらゆる人の営みの中で生まれ変化するもので、功利的に作ろうとしては、ほぼ失敗するものだろうと思われる。
    昔日本でフランス語を母語にしようとした人も存在したらしいが、後悔する挑戦で有ろう。
    K国では、読み書きを優先して、ハング〇を大々的に採用して、漢字を廃止状態に追い込んだが、表現が単純化しすぎて、問題が発生しているにも拘らず、引っ込みがつかなくなり、国民の性格も変容しているようにも思える~~♪
    本邦でもお調子者が、本家の簡体字に追随しようとしたが、これは幸いにも頓挫したが、当用・常用漢字とか、採用して、国語力が衰退した。

    言語は、共通体験に基づいて、特定の関係で深い意味を持つだろうけれど、例えば、男女の二人の内一人が、南極で研究に入り、一年婚姻が遅れたが、或る日、待ち合わせで、別の片方が、仕事ほかで1時間遅れた時に、待った方が「たった一時間」と言う言葉が、特別な意味を持つようになるようなもの~~♪

  2. 「陰徳」

    戦争の趨勢はもう決まったのに、原爆攻撃を二都市にして、その前は、強力な火炎放射器で、洞窟を焼き払い、勝つためには手段を択ばない○○が、世界の覇者となって、○○大統領がその仕上げ~~♪

    今はマッチポンプがもてはやされ、手柄を誇り、夜はゆっくり寝て、行燈を持って庭を一巡りしなくても良いように采配しておくのは、評価されない。
    千里を走るより無事これ名馬、簡単なゴロを大げさに捕って、一塁ギリギリ送球は、名選手で、無造作に捕って、余裕で送球は、評価されず~~♪

    徳の反対語は、業だったり、罪だったりするようだ。上座部では修行するか、徳を積んで、本人の救済を目指し、大乗では、慈悲の心を弘めて、心の平安を得る。
    人は幸福を求めて、分かち合う人と奪う人とに分かれる時もある(笑い)~~♪

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