「よもぎ摘み」・2

だがどうだろう、こうした悲惨な百姓たちのあり様は全て災害だけが及ぼしたものだったのだろうか。
例えばここに天明3年(1783年)の津軽藩の記録があるが、津軽藩は前年から続く飢饉にも拘らず、40万俵の米を江戸と上方(大阪)に回米しているが、この年藩への上納は全て米で納入することを強制している。
このために津軽藩には米がまったく無くなり、慌てて幕府から1万両を借り受けて、他の領国から米の買い入れを計ったが、時すでに遅し、日本全国から米が無くなっていて、津軽藩は大金を懐にしながら、領民を餓死させていった、また一村全滅に追い込んでしまったのである。

また封建社会では、藩同士が互いに関係を深めることを厳重に禁止していたのは、一つには幕府に対する謀反を常に恐れたからであり、こうしたことから例えば、ある藩で飢饉が起こっても、隣の藩がこれを助けることは出来なかった。
「津留め」(つどめ)と言って、米を藩の外へ出すことを禁止していたからだが、隣国農民が飢えているからと言って、これを他藩が救済しようとすればその藩にもまた飢饉が及び、結果として飢饉が連鎖的に拡大することを防止する目的が、こうした措置の今一つの理由だった。

そして封建制度は何より農村の生産力が増大することを抑制してきたことが問題だった。
つまり農村が豊かになり、生産物が国内を自由に流れ、幕府が管理できない市場が拡大することを恐れた・・・と言うことだが、幕府にとっては、農村は食うや食わずのぎりぎりの線が望ましい農業政策だった。
そのため例え小さな飢饉でも、普段から苦しい農村は、一瞬にして悲惨な状態となっていったのである。

またここには飢饉の際に幕府や藩の役人が、飢えた農民たちに食料の施しをしている絵も残っているが、確かに農民は男も女も骨と皮ばかりの姿だが、なぜか役人たちの姿は皆偉丈夫で恰幅が良い。
ここから読み取れることは、飢饉は常に農村部や貧困層に起こっていたのであり、役人たちはほとんど死者を出してもいないことが伺えるのである。
最後には食べるものが無くなり殺し合いまでして、人の肉で自身の命を繋がなければならなった百姓に対して、自らは生産を行わない者たちがそれを支配し、災害を大きくしていた。
津軽藩のあり様はまさにその象徴とも言えるものだった。

そして当時の江戸、上方に残る資料でも都市部の者たちは常に良い体格をしてるが、農村部では皆やせ細っていたことが伝えられている。
このことから伺えることは、都市部の豊かさは農村、百姓の貧しき故に支えられていたと言うことだろう。
つまり封建社会は百姓から搾り取れるだけ搾り取ることで成立していた社会だったと言うことであり、災害は常に一番弱い者、そして貧しいものを狙ってくるように見えるが、これは明らかに人災であり、国も個人も豊かであればその災害は小さく、貧しければ災害は大きくなるのではないだろうか・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「よもぎ摘み」・2

    強い物と弱いものが衝突して、どちらかと言えば、多数で有る弱いものが勝ったりすることも有るが、こう言う話も自分は実は少し疑って見ている。記憶に残るのは強い物の暴虐が多いし、弱い物の諦めも多いけれども、文化によって、同じ状況が現出しても、応対はかなり違うように思う。

    飢餓でも暴動は発生するが、暴動を起こすほどの体力・知力がまだ残っているのであろうから、少し割り引いて考えた方が良いかも知れない。
    本当の飢餓に陥った事は無いが(笑い)、生還した人の手記を見ると、或る臨界点を超えると、思考力が鈍るとかも有るが、苦しさや、空腹感も消えて、勿論それに伴う不幸観も消えて、陶酔感と言うべきじゃなないだろうが、天地・自然と一体感のようなものを感じて、そのまま夢の様に死んでいくらしい、その人は死んだわけでは無く(笑い)、外から来た者たちに救済された。

    2千年前に、古代イスラエルが、マサダ要塞でローマ軍に敗れて、滅びた、そしてユダヤ人は世界に散って行った・・
    って、若い友人に話した時に、何故滅びたのに、記録が残って、人々が世界に散って行けたのか、って聞かれて、殆ど全滅したのは、マサダに立て籠もった連中で残ったものが記録して、全員が死んだわけでは無い、と言ったら、これで長い間の、疑問が解けた、って笑っていました~~♪

     もう少しで、当地では野でヨモギを摘む方がいます。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      結果から言えば、日本の為政者は歴史的に民衆の腹を満たそうとは考えてこなかっただろうと思います。
      死ぬ一歩手前くらいで生かしておくのが一番統治し易かっただろうし、もし腹が満たさせる時代が一度でもあったなら、日本でもフランス革命のような事が発生したかも知れない。
      それに腹が満たされた日本がどうなるかと言えば、今の日本を見れば解るかと思います。
      腹は減っていないが何もない・・・。
      日本の統治者の中でも民衆の腹を満たそうと考えた者もいたのですが、結果として政策は失敗してより悲惨な事になってしまった。ここはやはり天意がそうだったと考えるしかないように思います。
      ちなみにフランス革命の前、世界的に火山噴火で寒冷化し、日本もそうでした。
      地球が生物に取って厳しい環境を用意した後、生物は爆発的な勢いで繁殖する。
      近代から現代を見ていると、地球と生物が繰り返してきた連鎖を感じる事が出来るような気がします。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「鉞(まさかり)を研ぐ子供」・2

    チンパンジーは、生後直ぐに~暫くした後でも、幼児が死んだら連れて移動するらしい、熱帯で急速に腐敗が進んで、硬直が取れて、発臭し始めてから諦めるらしい。猫にも同じような事が発生する。但し、ヒトのような錯乱は発生しないようだ。

    確かに、何回かの飢饉で、可なりの百姓が死んだことは事実の様であるけれど、子供の頃、郷土史に詳しいお爺さんによると、実は古文書の様には死んでいない、という事も言っていたようでした。お寺の過去帳と矛盾が有ったらしいが、どちらが正しいかはもちろん不明。多分救恤の品を貰う方便も有ったような、それはそれで、今は悪い事のような気もしない。

    アフリカで、大干ばつで、実際にたくさんの方が亡くなってはいるが、報道陣の報告ではなく、旅行者や当面の移住者の報告では、例年より浮浪者らしきものは増えたが、事実とは微妙に~かなり違うらしい。

    先ごろ、ベネズエラに入ったNH〇の特派員が、スーパーの物資不足の棚や病院の薬不足の棚を映して、窮乏を訴えていたが、彼が泊ったホテルの食事とか町の市場の報告は一切無くて、今一、信じられなかった。飛行機だって予定通り発着していた見たいだし。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      柳田國男の遠野物語は結構有名では有りますが、昔、やじ猫と「考えるブタさん」、私とやじ猫は塾長と呼んでいましたが、3人でつるんで論客を論破していた頃、この塾長と私の考え方は結構近かった。
      だから考えている事が良く解るし、その心情も読み取れた。
      塾長がやはりこの遠野物語の子供の首を鉞で切ってしまう男の話を書いていて、やはり言葉で心情を表すことが難しかった事から、情景でその心情を示そうとしていた。
      この話はどうも言葉で思いを伝える事が難しく、やはり何らかの景色でしか人に心情を伝えられないように思います。
      そしてそこを残してくれた柳田國男の偉大さを思う訳です。

      コメント、有り難うございました。

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