「生物数字」

細胞の分裂は必ず1つのものが2つになってこれが連鎖する、だから1つが3つに分裂することはあり得ないが、ではなぜ2つなのか、その答えは出しやすいようで、理由が分かっていない。
また卵子と精子の生殖細胞は2つが融合して1つになるが、やがてこれも2分割を際限なく繰り返し、結果として人間の場合は約60兆にも及ぶ細胞が組み合わさったユニット、つまり人体を形成していく。

またDNAに措ける染色体、これも2対になっていて、A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)の塩基が対になって2重らせん構造を形成しているが、遺伝子であるDNAは2対であるがために相手を特定することができ、こうしたことを相補性とも言う。
そして相補性があると言うことは、どう言ったことに繋がるかと言えば、つまり片方の相手からもう片方の相手を作ることが可能である・・・、と言うことである。

その結果、DNAを複製して細胞を増殖し、子孫を残す可能性が開かれてきた。
バイオテクノロジーはこの2対と言う基本的単位を利用して、遺伝子工学を成立させ、RNAiやPCRなどの最新技術にまで発展させてきたが、PCRとは日本語では合成酵素連鎖反応と言い、特定領域のDNA配列コピーを短時間で作る技術で、主に遺伝病の診断、活性化がん遺伝子の検出、個人識別などの研究に使われ、RNAiは、これを日本語に約すのは難しいが、「リボ核酸干渉作用」とでも言えば良いだろうか・・・。

つまり結果として攻撃性のあるRNAのことで、DNAが設計図だとしたら、RNAは細胞がたんぱく質を作るとき、これに情報を伝えたり、またコピーする役割をしていて、例えば転写などの原理から言えばウィルスも同じ作用があるが、この技術の発展は標的になるRNAを分解するときなどに応用できる。
具体的に言えば核酸医薬、がんやHIV治療で活用できる技術だが、その応用範囲はPCR技術とともに大変範囲が広く、食品から医学までに及ぶものだ。

生命の基本的な数字、2対の「2」、これをまず覚えておいて欲しい。
そして細胞の運動で重要な役割を果たしているのは繊毛(せんもう)やべん毛だが、例えばゾウリムシは多くの繊毛で動き回り、ミドリムシや人間の精子は1本のべん毛で移動し、人体の上皮には繊毛が存在する。
だが繊毛もべん毛も基本構造は同じもので、いずれもその断面を見てみると、中央に2本の管があり、その外側にそれぞれ二重の管が9本、同心円状に並んでいる。

また細胞が分裂するときに働く中心小管、これもやはり周囲に9本の管が並んだ構造になっていて、こうした構造の例外は一切存在しない。
どうして9本なのか、細胞分裂のあり方からすれば、2の倍数である偶数の方が自然の「理」としても適っているように思うが、なぜか細胞のそれは「9」と言う数字になっていて、この理由も分かってはいない。
ただ、これは1人の植物学者が過去に語った話だが、蓮の花の地下茎に同心円状に開いている穴も、9個が多いとしたものがあるが、これはいまだ統計や確率の調査をしたものが存在していないようだ・・・。

「9」と「2」、実は2は生物の基本構造、そして細胞の中に存在する9と2の構造、これは「9+2構造」と言って、こちらも生物にとっては基本になる構造の1つだ・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「生物数字」

    宇宙も生命も「神」によって、作られた、訳ではなく、なんの意思も無く自然にできた、有るがままに在って、永遠に謎は解けないと思っているが、その中の、現象や状態は少しだけ、分かるようになってきた。
    生命が生まれて、生きている間に細胞を再生させながら、詰まりはDNAを再生させながら、生命体を維持して行くが、どんな割合かは不明だが、間違って~事故で不完全な再生が行われると同時に、初めから予定されているようでも有るが、「努力」の成果は微量で、寿命は必ず来る様だ。
    その細胞も外的刺激に敏感に反応して、変異して、固定されるものも有るし、同じ外的刺激に対しても、その強弱によって、細胞そのものが活性化されたり、或る一定以上のなら破壊されたりするが、これも他の環境に強い影響を受けて居るらしい。

    人間はその中に有って、『解き明かせない』論理を解き明かして(笑い)、例えば、放射線は一般的に、「害」では有るが「閾値」で有って、通常は「0」が必ずしも良いわけではないと思われるが、それに拘泥したり、他人を攻撃したりして、生まれたら、生きる、そして死ぬ、という事も忘れて、自分を含めて、どうでも良い事で、「無駄」な時間を費やして、生きている、らしい~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      人間には妙な習性が有って、自己を高める余り、現実を少し馬鹿にしている側面が有ります。
      自然の中の人間でありながら、どこかでは自然と自分は区別されているし、物理学の法則は知識として持ちながら、それは自分に関係ないような事を思っている。
      でも人間は自然の一部であるし、物理学の法則から一歩も逃れられてはいない。
      だから人間の中に秩序や、数学的、物理学的な数字が出てくると、奇妙な感じを受けてしまいますが、当然の事でも有る訳です。
      むしろそう言うものから切りは離れたものの方が不可思議な訳です。
      生物は数字だし、社会は方程式では無いか、そんなことを私は思っている時が有ります。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「無意識の革命」

    阪神淡路大震災の時に首相の村山富市が、全く何もせず、ぼんやりテレビを見ていて、直ぐに災害派遣命令が下ると思っていた各自衛隊が、出動できなかった。

    自民党が消費税で失敗して、国民に喜んで迎えられた民主党政権の初代首相、鳩山由紀夫は馬脚をムカデの様に現して一年持たず、ルーピー鳩山に変異して、世界を放浪中。
    二代目の菅直人は、東日本大震災で福島の原発を吹っ飛ばして、不要な地域まで避難命令を出して、広島・長崎でもしなかった土壌除染とか寝言を実行して、市民運動家に逆戻り、時々四国遍路をしている。
    野田佳彦は、生真面目でバ〇で、首相に最も向かない「どんぐりコロコロ内閣」、解散して、お池に嵌まってもいまだ気付いて居ない。
    という事で、オレがオレがと言って、しゃしゃり出るのを少なくするために、村・町・市議会議員は5人、都・道・府・県会議員は10人、参院は各県1人、議案は国防~外交~治安維持のみ、衆院は各県2人、すべについて審議するが、高飛車な態度は禁止(笑い)
    という事で:-
    行動の規範が、「誰が見ていなくてもお天道様が見ている」人たちが、見られる範囲内で~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      無意識の革命と言う表現は難しいかも知れませんが、革命が全て血を求めるわけではなく、気が付かない間に動いていく場合も有るような気がします。
      バブルの崩壊がそうだったでしょうし、大きな災害、それに政治への失望、高齢化社会、あらゆるものがその以前を基準に考えるなら革命だったとも言えるかも知れません。
      唯、東西冷戦が最小限の血で為された事に鑑みるなら、その後のイスラム対キリスト教文化の衝突は、血が流れ過ぎている。
      革命で血が流されなくて、その後平和になると考えられていた社会で多くの血が流された。
      危険な事を考えるなら、戦争を回避して平和で多くの多くの血が流れる事も有り得る事を学習して置くべきかも知れません。

      コメント、有り難うございました。

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