多重基準正義・2

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                              2010 2 24 撮影

イランにも北朝鮮にも核を保有して欲しくはなかったら、まずアメリカが核を廃絶すべきだろう。
それも言葉だけではなく、率先してアメリカが自国に対して行うべきであり、オバマ大統領の言葉は今のところ言葉だけで、現実にはまだ何も進んでいない。
また日本はアメリカの核の傘の下にあり、歴代日本政府はこれを国益と考えてきたが、いまや北朝鮮のみならず、中国も大量の核兵器を保有するにいたり、その矛先は日本に向けられている。

この原理は簡単だ。
アメリカにミサイルを向けていて万一戦争になったら取り返しがつかない、しかし日本なら万一攻撃しても、国際的に非難はされてもアメリカと戦争にまで発展することはないだろう・・・、と言うことであり、この原理は北朝鮮も同じ原理で日本を捉えている。

そしてそれは日本が核の傘の中にいるからであり、こうした観点から結果として日本は、核兵器を保有していることに順ずる立場にあり、そうした国が他国の核開発を非難する資格がないことは、アメリカと同じである。
その上、これは日本国憲法をどう解釈しようと整合性を持たないのであり、また冒頭に述べたように、核燃料再処理施設があれば核兵器を持ったと同じであると考えるなら、世界で唯一の原子爆弾被爆国である日本が核兵器に反対する場合、自国も核の矛盾の中にあることを踏まえ、アメリカやイギリス、フランス、中国もイランや北朝鮮と同じように非難すべきなのであって、友達は良いけど、仲の悪い人は同じことをしていても犯罪だ・・・、 と言う理論はアメリカの二重正義の理論と全く同じなのである。

日本は核兵器を持たない国としては唯一、核燃料再処理施設、ウラン濃縮などの全ての核施設を持つが、これは誰の許可かと言うとアメリカの許可であり、アメリカが許さなければどの国もこうした施設を持つことができない。その特別なお友達が日本であり、もう一国はイスラエルだ。
誰がどう見ても核兵器を保有していることは間違いないイスラエル、かの国が核兵器を持っていても全くこれを容認しているのがアメリカであり、その一方でイスラム諸国が核を持とうとすれば、「悪の枢軸」なのである。

私には鳩山総理とオバマ大統領が同じように見える。
それは何故か、弁舌爽やかだが何もやっていないことであり、こうした2人でも特にオバマ大統領については不信感がある。
彼は核兵器廃絶を訴えたが、ブッシュ政権時に行った重大な政策を破棄していない。
オバマ大統領の前の合衆国大統領ブッシュは、2006年2月、「国際原子力パートナーシップ」(GNEP)を打ち出し、1970年代、カーター政権が放棄した商業用核燃料再処理施設を再稼動する政策を発表したが、これは厳密に言えば、核燃料のプルトニウムを平和的に使おうとなどと言う立派な精神とは程遠いものだった。

これはいわゆるアメリカの差別の固定化に過ぎず、現在核兵器を保有する国と、日本だけが核燃料の再処理権を所有し、そのほかの国には一切認めない「核差別」を目的としたものだったが、こんなことが国際社会の正義に照らしても許されるとは到底思えないからこそ、ジミー・カーターはアメリカの商業用核燃料再処理を断念したのであり、このブッシュ大統領の構想は、改めて核燃料再処理が核兵器保有と同じであることを認識する結果となったことは勿論、核と言うものの危機的なあり様を、更に増長させるものであることは明白である。

にも拘らず、核兵器廃絶を唱えながら、こうしたことをまず真っ先に是正しないオバマ大統領の姿勢からは、どこかで真剣に核兵器の廃絶を考えているようには見えないのである。

放射性核種はそれぞれの半減期を持っていて、こうした半減期に従って減って行くが、半減期の10倍の時間で放射能レベルは1000分に1に減少する。
だから青森県六ヶ所村にある低レベル放射性廃棄物埋設施設では、おおよそ300年間に渡って、放射能の管理が必要になると国は試算しているが、こうした試算の根拠は、この場所に埋められる放射性核種であるセシウム137、ストロンチウム90の半減期がそれぞれ30年と29年だからだが、300年経過すれば、それらの放射能が1000分に1に減少する事からこの試算が成り立っている。

またこうした低レベルではなく、高レベル放射性廃棄物は、日本では地底に埋められることになっているが、この中には超ウラン元素であるアクチノイドなど、一群の放射性核種が入っていて、これらの核種の多くはその半減期が1000年を超えている。
中には半減期が1万年や10万年のものもあり、もしこうした核種の放射能が1000分の1になるまでの管理を考えるなら、最長100万年の管理が必要になるが、何かあったら、たとえ300年でも誰がどう言う風に責任を取るのだろうか。

核は例えそれが核兵器であろうが、核燃料であろうが、こうしたスパンの物質であり、今現在の人類が使って、その責任を誰も取れない物質であるばかりではなく、もしかしたらあらゆる生物の遺伝子に影響を与え、それを破滅に追い込む恐れすらあることを、アメリカも、そして日本ももっと謙虚に考えるべきものだと思う・・・。

 

※ 本文は2010年にyahooブログに掲載したものを再掲載しています。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 「虚なる力」上・中・下

    ○○ジジイに褒められても嬉しくない。宇宙は有限とも思えないし、有期とも思えない。

    核爆弾が、最初に開発実用化した国が、非情を持って是を行使すれば、常に最強国として振る舞う事が出来ただろうが、次々と開発に成功した国が出来して、自信を無くして、他国に無かったことが確実だった時に日本がその犠牲となった。
    今は使えない兵器とみなすこともできるが、防御と被害の計算で、使う決断をする国は、これからも潜在する。それらから自国を一定の範囲内で守るには、核武装を試みる国は、後を絶たないだろう、それは海岸に、津波防止の万里の長城を建設するに似る。

    人は、死後の恐怖の為に地獄を作り出して、それから心の平安を得るために宗教を作り出したのと、核兵器製造とは、似ているかもしれない。

    因果応報ではなく、あらゆるものは流転変遷して、諸行無常であり諸法無我であろうけれども、只一人、釈尊だけが、それから解脱したのかも知れないが、衆生はこれからも、地獄に恐れおののき、核戦争におののき、無い知恵を絞っても、無いものは無い(笑い)

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      この記事は20世紀の世界が一体何の世紀だったのかを残そうとしたものでしたが、私は20世紀の世界を現すとしたら、第二次世界大戦と核の世紀だったと考えるかも知れません。
      その意味では包括的に核を鳥瞰する記事ではあったのですが、アインシュタインの言葉は多分ハリスなどの感覚と同じものだったでしょう・・・。
      後にナショナリズムがこの言葉を曲解していく事になりますが・・・。

      コメント、有り難うございました。

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