第2章「子供達の手紙」

そしてそこでの仕事はこの大手化粧品メーカーが経営している繊維工場の閉鎖準備だったのである。
だから結果としてこの繊維工場の社長には権利が無く、「管理室」の室長である本社部長がこの工場の権利者だったのである。
そして工場の閉鎖はもう決まっている。
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この状況で、小学生が束になった封筒を持ってやってくれば、それは何をしに来たかは容易に想像が付く。
即ちそれは、会社を存続して欲しいと言う子供たちの陳情であり、それだけこの繊維工場が周囲の人たちにとっては重要な雇用の場だったのだが、当時この化粧品会社は食品部門や、繊維、住宅にまで手を伸ばし、そのおかげで経営は不振になっていて、その中でも海外の安い繊維に追われて不採算が続いていた捺染(なっせん)、プリント部門は今すぐにでも閉鎖しなければなら無い状態だった。
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上京して暫くしてこのことを知った私は、「しまった、騙された」と思ったものだが、仕方なく部長と他数名の社員と共に、工場へと乗り込んでいたのだった。
従業員の保険手続き、資産管理、従業員の再雇用、在庫の処分、機械設備の売却と毎日がめまぐるしく動き、その合間を縫ってこうした工場存続の陳情が毎日のようにやってくる。
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だが、こうした陳情の中でも一番堪えるのが、子供の陳情だった。
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大人たちの理屈で、彼ら彼女達の生活を不安に陥れることの罪悪感から、こちらが泣きたくなるほどであり、砂を噛むような毎日が続いたものだった。
意を決して子供たちが待っている部屋のドアを開けた私は、ちょうど彼らの真向かいに立ち頭を下げると、そこへ腰かけ、社長は今いなくて、用件は自分が聞くことを伝えた。
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すると今度は2人が立ち上がり、女の子は持っている封筒の束を私に差し出し、そして「○○小学校の生徒会からお願いに来ました。どうか工場を潰さないでください」と、深々と頭を下げるのだった。
私は暫く何も言えなかったが、それでも彼らに座るように言い、「私も頑張ってみるから、そして君達のお父さんやお母さんが困ることの無いように絶対に頑張るから、皆さんに安心して下さいと伝えてください」としか言えなかった。
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私は大嘘つきだった。
そんなことは有り得ない、必ず再来月にはこの工場は閉鎖される、しかしどうしてこの子供たちにそれが言えようか、私が頑張るのは彼らの両親達が生活に困らないよう、再就職先を何とかしかしなければならない、それしかできないのだ。
彼らはずっと私を見ていた。
もしかしたら私の微妙な表情から、私の言葉が嘘であることは見破られていたかも知れない。
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彼らは帰るとき、「ありがとうございました」と言ってまた深々とお辞儀をしたが、そんな彼らに手をつけずにそのままになっていた缶ジュースを渡しながら、「すまない・・・」と心の中で頭を下げるしかない私は本当に人間の屑だった。
その晩、仮の住居になっていた社員寮へ帰った私は、夕方子供たちから手渡たされた手紙を1つ1つ開いて読んだ。
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どうせ部長の所へ持って行っても、どこかの棚にしまい込んでそのままになることは分っていたから、せめて返事でも書かねばと思ったのだが、読んでいるうちにふと故郷の世話になった従業員達のことを思い出した。
「すみません、こんなことになって」と玄関で土下座する私を、「あんたのせいではないよ」と言って家に上げてくれた老技術者のことを思い出した。
こみ上げるもので一杯になった・・・。
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私は手紙の一枚一枚に、工場はなくなってしまうこと、そしてそれを申し訳なく思っていること、また彼らの両親には必ず新しい就職先を見つけると約束し、学業を頑張るようにと返事を書き、それを5日後に彼らの学校へ届けた。
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そして翌々月の初め、工場は閉鎖され、私達は部長と一緒にまた東京に戻ったが、それから以降更に2つの工場整理が終わった1年後、今度は部長がアメリカ工場の総責任者となることが決まり、部長のしたで働いていた私達には日本に残るのか、アメリカへ渡るのか、つまり辞めるかアメリカへ行くかの、どちらかを選択するよう書面が出た。
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大方の人たちはアメリカ行きを喜んだ。
だが私と、もう一人、私より10歳くらい年上の女性がアメリカ行きを断り、私達はそれぞれの故郷に帰ることになった。
部長はそんな私達のために送別会を開いてくれたが、その席で私に「なぜアメリカへ行かないのか」と尋ね、私はうまく答えられなかったが、「何かで自分は故郷に借りがあるような気がする」と答えたことは憶えている。
だがその借りとは何かと言えば、言葉では答えられなかっただろうし、今でもおそらく答えられはしないだろう。
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私はこの翌年、また故郷が嫌になり出奔するのだが、この時はこうして故郷に帰ることにした。
そしてもう一人故郷へ帰ることになった女性は、私の隣の県で大手結婚相談所のコンサルタントになり、それから私のところへも「良い出会いをお手伝いします」と言うパンフレットが届くことになったのだった・・・。
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

1件のコメント

  1. 「予定運命」

    地球に生命が誕生してから数十億年、凄い割合で種は絶滅した。現存の種は、幾多の絶滅の危機を乗り越え、重語の様では有るが、一度も絶滅していない。今後はどうなるかは不明だが、絶滅に向かったり、発展に向かったりしているわけではなく、その時々の危機を乗り越えたものは生き残り、そうではなかったものは絶滅して、二度と現れるとこは無い。

    現今はある種の、永田町1丁目に集う職業の副作用なのか、そういう風に成長したからその職業に就いたのかは不明だが(笑い)、同一種の他の個体と細胞学的には差異は無いのに、反射だけで思考力が欠如乃至は不働の個体が増殖しているようで、全く付ける薬が無い~~♪
    尚若年で、学校の意味とか考えて、行く機会を忌避して、学ぶ機会を逸して死ぬまで不明で、生活にさえ困窮する新生物も増殖中~~♪

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