「日本の総自給率」・Ⅰ

「そう言えばあんたのところの息子もいくつになった」

「ああ、家のも今年で30や・・・」

「ほおー、そうかい、もうそんなになるのか」

「どこかに良い嫁でもおらんかと思うとるんやがのー」

「ほおー、よっしゃ、そんなら俺にまかせとかんかい、ぴったりのやつを探してくるからな」

「ほーか、あんな者の嫁やから贅沢は言わん、女なら何でもいいんや、よろしゅう頼むで・・・」

それから1ヶ月ほどして、前回訪ねた知り合いの家へとまたやってきた呉服屋の主は、開口一番何を言い出すかと思えば、この家の主婦に豪華な表装をした見合い写真を渡し、「息子の嫁にどうか・・・」と言う訳である。

仕事柄女に出会うチャンスも無く、これまで浮いた話の一つもない息子のことを考えれば、喉から手が出るほどの思いの主婦は早速これに飛びつき、そして息子も基本的には女と言うものが分かっておらず、間口は無限に広がっていることから、親の言うとおり見合い写真の女に会うことになる。

大体がこうした場合、写真より実物の方が若干見劣りがするものなのだが、それでも初めて女と対面で話をする男は、既に完全に舞い上がり前後の見境が付かず、大方一瞬にして相手の女に惚れてしまう事になり、こうなれば後は女の意向次第で結婚と言うことになるが、ここからがまた間に入った呉服屋の仕事であり、夜討ち朝駆けで女を説得し、そしてめでたく結婚の運びとなる訳である。

そしてここから先は結婚する当事者やその家の者はあずかり知らぬ事になるが、これ以後呉服屋の元にはさまざまな方面から電話1本で「金」が舞い込んでくる事になる。

まず懇意にしている進物店へ連絡すれば、そこから結納品ご購入の謝礼として売り上げの1割、それから家具屋に電話してここからも売り上げの1割、その他旅行会社や自動車屋、生命保険会社に仕出屋、酒屋までもが売り上げの一部を持ってくる事になるが、何よりも大きいのは本業の着物だろう。

今回のご両家結婚のお運びは全てこの呉服屋のおかげであるから、ご両家ともどこかではこの呉服屋ご紹介の店を断ることができず、尚且つ着物は間違いなくこの呉服屋から購入しなければならないのであり、どうせ結婚して数年もすれば合わせが届かなくなるであろうにも関わらず、高額な着物と帯、それにうまく行けば白無垢までご購入いただけるかも知れない、大変世喜ばしい事態が訪れるのである。

またこうした結婚式と言う共通の市場を持つもの同士は、互いに本業そのものが広く一般家庭の情報を知ることが容易な立場同士の職業であり、こうした中から相互の情報をやり取りすることで、いくらかの手数料収入と本業での利益が上がる形式となっていたのであり、恐らく昭和と言う時代まではこうしたことが機能していたのではないかと考えられるが、これは現代でも同じ形式が有り得る。

すなわち市場に対する企業の有り方は、常に利益に向かうと言うことであり、例えば昭和と言う時代まで結婚市場では値切ることすら縁起が悪いと避けられるほどの優良特別市場だった訳であり、ここで見合いを勧めて結婚を斡旋することは本業に対するサービスとなっていたのである。

だから呉服屋は散々結婚に関して利益を上げていたため、ここではその他に見合いを持ってきてくれた呉服屋に対して、男性側の家族が謝礼を差し出しても、「そんなものは要らないから・・」と誠意まで示すことができた訳だ。

しかし時代が平成に移り変わり、バブルが崩壊した頃から、実はこうした呉服屋で言うところの本業の業績が悪化したきて、また社会も核家族化になって行った事から、家族情報も本業の売り上げに繋がるサービスへと繋がらない情報、つまり「死んだ情報」が多くなって行った。

そして市場に対する利益の優良性は、限りなく落ち込む労働者家庭や若者市場から、周囲が落ち込んだおかげで相対的上昇となった高齢者家庭へと移行していったのである。

その為、高齢者家庭に高額な商品が売り込まれ、その名簿がいろんんな会社へと回され、1人の高齢者が複数の業者から詐欺的な被害に遭うと言う事態は、ある種昭和の呉服屋のシステムと全く同じだったのであり、昭和と言う時代はこうした形態でも伸びていく経済がこれをが吸収できたが、現代の下降して行く経済ではこうした形態を吸収できず、すなわち詐欺となるのである。

「日本の総自給率」Ⅱ二続く

※ 本文は2010年10月30日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。