「勝つと言う事」

AD(紀元後)200年、今から1800年ほど前の中国では「魏」(ぎ)蜀(しょく)「呉」(ご)と言う3つの国が互いに智謀策略を尽くし、覇を競っていた時代があり、この時代の三国の興亡を記したものが「三国志」であり、日本人にも大変人気が高いが、我々が知る「三国志」は正確には「三国志演義」と言われるもので、これは小説や戯曲の意味を持っていて、すなわち我々の知る「三国志」は正史では無い。

このうち蜀の国の丞相(じょうしょう)、つまりこの時代各国の支配者は「皇帝」を名乗っていたから、丞相とはその皇帝から政治の一切を委任されている者を言い、今で言えば天皇に対する内閣総理大臣と言うべき立場の者を指すが、「諸葛孔明」(しょかつ・こうめい)と言う人物がいた。

彼は若くして1000年に1度現れるか否かと謳われる程の大天才、智謀に長けた人物で、蜀国の皇帝「劉備玄徳」(りゅうび・げんとく)を助け、何一つ無いところから蜀と言う国を建国し、中原の地に覇から平和をもたらそうと戦い抜いた人物である。

諸葛孔明はこの三国の中でも最強だった「魏」を攻めるべく、「呉」と一時不戦協定を結び、そしてかねてより叛乱を繰り返していた南方民族を平定してから、後顧の憂いなきようにして「魏」を攻めようとしていたが、そんな中その叛乱軍の首領「猛獲」(もうかく)が捕えられ、孔明の所に連行されてきた。

太縄で縛られた「猛獲」、もはや絶体絶命の窮地だった。

しかし諸葛孔明はこの有り様を見て、即座に猛獲の縄を解くように指示すると、意外にも猛獲の手を取り、そして自軍の備えや装備をあちこち見せたかと思うと、「猛獲殿、如何かな、わが方の陣立ては・・・」と、猛獲に訊ねる。

「ふん、こんなもの簡単に破ってやれるさ」

穏やかに語る孔明に猛獲はそう吐き捨てる。

「そうですか・・・」

孔明は羽扇で自身を緩やかに扇ぎながら微笑むと、次の瞬間近くにいた兵士を呼び止めるとこう言う。

「猛獲殿を門の外までお送りしてくれ」

「はっ、かしこまりました」

兵士の先導で歩き出す猛獲、少し怪訝そうにしながらも門の外で用意されていた馬に乗ると、疾風の如くに蜀の陣地を立ち去った。

そしてそれから暫くして再度叛乱軍を攻めた孔明はまた「猛獲」を捕え、即座に解放し、また攻めては解放すると言った具合で、これが7回繰り返されたが、8度目も捕えられた「猛獲」は、やはり帰ってよろしいと言う孔明の前に両手をついた。

「参りました。丞相閣下のご威光は天の御心にも比すべきもの、私どもは二度と再び丞相閣下に叛くことは致しません」

こうして南方民族の叛乱を平定した諸葛孔明は駐留軍も残さずに帰還し、その地の自治を尊重した結果、猛獲等叛乱軍は蜀に臣従することとなり、「呉」との協定も整っていた孔明は、「魏」との合戦に向かうのである。

敵に勝つと言うことは実は大変難しいものであり、我々のような凡人であれば、通常言葉や暴力で相手が意見を言えないようにやり込めることをして勝ったと認識してしまいがちだが、これは大きな誤りであり、相手はただ意見がいえない状況にあると言うだけで、負けてもいなければ、万一こちらが他の要因で不利な状況陥ったなら、即座に恨みを込めて反撃される大変危険なことと言えるのである。

それゆえ勝利すると言う場合は、反論する者を一人残らず皆殺しにするしか方法は無いのだが、この理論で行けば殺された者の関係者はどこかでは恨みを抱き、結局それを殺していけばまた恨みが広がり、殺戮と恨みの連鎖の中で人間が1人もいなくなるまで殺し続ける覚悟が無いと、殺戮による勝利と言うものは有り得ないし、相手は言葉や単なる暴力で抱く以上の恨みを持つだろうことは明白、自身の状況が悪くなれば、今度は自分が血祭りに上がることも覚悟しておかなければならない。

しかし「勝つ」と言うことの目的を考えるなら、ここに「承認」と言うものの存在を考える必要がある。

つまりは「これをしてください」と頼んだが、相手はそれに対して「嫌だ」と言ってきた場合、ここで言う勝利とは相手が「分かりました」と言うようにすれば良いだけの事であり、従って目的の絞られたものほど勝利の方法は簡単になり、この反対で目的の漠然としたものは勝利することが難しくなる。

またこうした場合、単に「分かりました」と言わせるだけなら暴力で脅すのが一番手っ取り早いが、これは暫定的なものでしかなく、尚且つ恨みから後のリスクが高くなってしまう。

その反対に諸葛孔明のように、相手が自ら進んで「承認」するように仕向ける場合は、暴力で脅す方法に比べれば遥かに手間も金もかかることになるが、ここには後に倍増するようなリスクが無い。

どちらを選択するかはその状況や相手にもよるが、勝つと言うことが相手の「承認」に有る以上、その完全な勝利とは諸葛孔明の採った、相手の「心を征する」以外に道は無く、しかもこうした方法であったとしても殺戮と恨みの連鎖同様、目的に対する方法であり、どちらもその理念は存在し得るとしても、これを人間が完全に実行するのは大変な困難が付きまとうものである。

同じことは多数決でも言え、多数決も基本的には意見のぶつかり合いで、そのうちの1つを賛同者の数によって決めようと言う一つのルール、いわゆる限定された秩序の中の戦争とも言えるものだが、問題の重要性に応じて過半数、または3分の2の賛同者があれば、その組織全体の意思決定となるこの制度は、集団の意思決定が全員一致に至らなかった場合、少数者もまた多数者の意思を全体の意思として「同意」、若しくは「承認」することが絶対的に必要になる。

多数決によって一つの意思が決定されたとしても、その結果少数意見だった者達がその集団から離脱したり、また追放、排除されたなら、その決定に関しては確かに全会一致と言う事になっても、これでは多数意見の専制でしかない。

どんなに少数の意見であっても、それぞれの意見は等しく同等の意義を持っていることを原則として、少数意見者にできる限り発言の機会を与え、少数意見が結果として否定されたとしても意思決定の内部にはその論点や観点が反映されることによって、多数決は初めて意義のあるものとなり、万一多数意見が実際には誤りであってあったとしても、協力して迅速な対応が可能になっていくのである。

それゆえ多数決と言うものは、一般的には多数者の原理に捉えられがちだが、多数決の原理とは結局、少数意見者から如何なる方法で「承認」を得るかと言う、少数意見尊重の原理なのである。

この点を間違って認識していると、その多数決は集団の分裂を生み、また暴力となり、新たなる抗争の火種になっていくものなのである。

そして少数意見の者は、少数であるがゆえに自身たちの意見にこそ正当性を見ることもまた、慎まなければならない・・・。

 

 

 

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「勝つと言う事」

    ローマ人は、ローマが偉大だったから、ローマを愛したのではなく、ローマ人はローマを愛したから、偉大になった。
    「カウディウムの屈辱」:敵前逃亡やだらしない敗戦は糾弾するものの、精一杯戦ったが敗北を余儀なくされたと証明されれば、敗軍の将と言えども、ローマ市民は温かく迎え、次の戦いの勝利を期待した。この寛容の精神は、ギリシアにはない。ローマ独特のもので、また、敗北を胸に刻み、雪辱に燃えるローマ人だからこそ、長期にわたる世界帝国を建設できたのだろう。

    日本は、2千年の歴史で、戦争に負けたのは、太平洋戦争一回だけ、その戦争も全体は、大東亜戦争と呼ばれているが、その内の対英、対蘭、対中戦争では少なくとも負けてはいない。それなのに、アメリカの、対日戦に懲りた連中が考え出した、WGIPで戦争の罪悪感を植え付けられて、未だに、ここから脱しきれない。

    明治維新で、酒田藩は西郷に痛い敗戦を期したが、国家を考えた処置~寛大な戦後処理で、その家老は、西郷の伝記まで書いた~~♪

    今般の対新型肺炎の防疫では結果として、今の所大成功をおさめているにも関わらず、政府はボロクソに言われて、「火事場泥棒」とまで言われている。
    今の本邦の二束三文の野党様も、こんな話を肝に銘ぜざるべからず~~♪

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      今の日本人、世界が一番錯誤しているのが、こうした感覚ではないかと思います。
      孫子兵法は合理性を説いているのではなく、最短距離を行く事を説いています。
      つまり人間の感情は金にならない、利益にならないから、これを自分が求めるなと言っているのであり、しかし戦法として人間がこの感情から逃れらない事を使えと言っている訳です。
      自分の気分が晴れたくらいの事は何の利にもならない、もっと現実的利益を追えと言っているのですが、この少し先に「徳」が待っている訳です。
      ただし、利の先は徳であっても、その手前には深い沼が有って、多くの者はここに落ちる。
      利の先に待っている徳の手前で多くの者が誤って沼に落ちて這い上がれない。
      それゆえ利を求める愚かさには救いが有るものの、何も考えずに美しさだけを求める者には救いは遠い・・・。
      多くの日本人は後者の在り様に思えます。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「ふくべに遭う」

    吉田兼好は中級官人で、一応、下級貴族。
    確か40歳ぐらいで死ぬのが理想的とか言っていたが、老少不定で、比較的長命で、70歳ぐらいまで、存命だった。

    徒然草の作者で有り、鎌倉末期から南北朝の大変な時期に、晩年を過ごしたが、この作品も嫌いではないが、「よき人、物くるる人」と言うのが一番のお気にいりである。
    衣食足りて、呑気な事は誰でも言えるが、苦しい時に、さりげなく助けてくれる人は、良き人だ。最も、時機が来たら、延命治療して、医者が、たんまり儲かるようにするのは、致し方ないが、さらりと交わして、運命に従いたいものだ、と健康な時は誰でも言う(笑い)

    昔、友達に、落ちぶれた自分を見つけても、少なくともこちらからは、声を掛けないので、知らんふりをして、通り過ぎてくれ、と言ったことが有る。今の所、そんなに困窮はしていいなと思えるが、本当にそうなったら、決意が揺らぎそうだ(笑い)、それでも、そんな人は居ないが、元怪しい~美しい関係だった(?)異性には、言う気はない(笑い)。

    豊かな社会は、本人が負担に思わない様な形で、穏やかな晩年を準備している社会だろう。忘れちゃいけないのは、そうじゃない人にはそんな自由もある社会が、より成熟した社会でもある様に思える。

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      「ふくべに遭う」の記事、実は私が尤も気に入っている記事でして、自画自賛ではないですが、後世に残しておかねばならない感覚ではないかと思っている訳です。
      「過ぎたるは及ばざるが如し」はそうした意味では甘い。
      「過ぎると禍になる」とした昔の人達の現実的感覚は実に素晴らしい。
      あらゆるものには「時」が有り、この時を過ぎると人間だろうが物だろうが必要なくなる。
      この事をわきまえて行動すれば、自分が不必要な場にいて禍になる事が防げるし、言葉も行動も、感覚でも同じ事が言える。
      しかし多くの場合、この「時」を知りながら甘えてしまう。
      また、今日まで続いた繁栄の明日を疑う事は難しく、或いは恐れる。
      そして今まで築いてきたあらゆるものを失って気付く。
      実に素晴らしい・・・。
      易のトカゲの表皮の千変万化、無常が顕著に表れていると思います。
      ただ、この言葉はもう失われました。
      それゆえ、私が無理して再構築してやろうと企んでいる訳です(笑)

      コメント、有り難うございました。

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