「何か天変地異でも起こって・・・」

全ての事象の発生要因について、実は全ての事象にはその発生意義がない。

全て意味がないのだが、それゆえに事象が発生するときは、それを発生させようとする力と、発生させまいとする力が働くことから臨界点が存在するが、この臨界点の内側に留まるか否かは、僅かな力によって左右される。

地震が発生するとき加わる力は、プレートに溜まったストレスがそれを解消しようとして起こるが、臨界点まで耐えているストレスを解消させまいとする力の、その最後の臨界点寸前に加わる力は、地上の人間のくしゃみと変わらぬほどの微妙なものかも知れない。

また宇宙から降り注ぐ宇宙線の中には、光量子が当たっただけでも、即ち人間が見ただけでも吹っ飛んでしまうものがある。

このことから、地球で起こる災害や戦争、政情不安などの発生原因を、もしかしたら人間や生物が持つ意識作用、その事象への干渉に求める考え方を「群集意識事象発生論」と言う。

世界的に文明が発生した時期は、何故か世界のあらゆる地域で相互に非干渉な文明が発生してくる。

どこか一箇所で何かが発見されると、同じようなものが別の離れた地域からも発見される。

発明も然りだ、所詮人間の考えることは皆同じと言えばそれまでだが、こうした傾向の背景には、特定の数の人間が考え始めたことは、離れた地域にも何らかの作用によって伝播され、そしてそれが更に一定の数を超えた場合、もしかしたら現実に起こってしまうことがあるのではないだろうか。

例えば日本の大きな地震の歴史を見ても、1703年には「元禄地震」が発生しているが、元禄の華やかな響きとは裏腹に、この時期は悪名高い徳川綱吉(とくがわ・つなよし)の「生類憐れみの令」によって、猫が死んでも人が斬首の刑になる時代が20年近くも続き、民衆の中には口には出さずとも「綱吉、死んでくれ」「何でも良い、とんでもないことが起こって、今の状況を変えてくれ」と言う思いが渦巻いていた。

この4年後、1707年には更にマグニチュード8・4の「宝永地震」が発生し、2年後の1709年には徳川綱吉が死去している。

1854年の「安政地震」、1855年の「安政江戸地震」でも、やはり1853年、浦賀に現れたペリー提督の4隻の軍艦を目にした民衆の混乱は、やがて幕府の話にならない在り様から、絶望感へと繋がって行き、やはり「何でも良い何か起こって、この状態を何とかしてくれ」と言う思いが渦巻いていた時期だった。

また1923年に発生した「関東大地震」、マグニチュード7・9では、意外に思うかも知れないが、実はこの地震発生を歓迎していた、また待っていたと評する人間の多さである。

殆どの物書きは「関東大地震」が来るのは当然だと思っていたと言う手記を残している。

拝金主義に貧富の差、金のためなら何でもするような日本の在り様、また極度の政治不信が発生し、第一次世界大戦の臨時景気が終わり、不景気を迎えていた日本はスーパーインフレに見舞われ、米不足からあちこちで暴動が発生していた。

もはや政治に自浄能力は期待すべくもなく、民衆の意見など届くはずもなく、従って1918年頃から日本国内では、「何か天変地異でもなければ、この国は腐ってしまう」との思いが大衆の中に渦巻いていた。

そして現在の日本の状況を鑑みるとき、ここに非公式なものだが、衝撃的なアンケートがある。

50歳以下の若手、中堅労働者の意識調査の一部だが、50歳以下の男性労働者の55%は「天変地異が来て日本がリセットされることを、心のどこかで望んだことがあるか」との質問に対して、「そう思ったことがある」と回答したのである。

霧島連山、新燃岳が噴火し、気象変動にH5N1、鳥インフルエンザが空から不気味に下を伺い、東海地震も、関東地震もその周期を少し過ぎているくらいだ。

遠く霧島連山から離れたところでも観測されているドーンと言う音の「空気振動」、海藻が生えない海底・・・、何とも嫌な予感がする。

人間はその自身の力ではどう有ってもあがなうことができない問題に直面したとき、その解決を自然に求めるものなのかも知れない。

そしてその自然の解決とは破壊であって、そこには憐憫の情など微塵も無い。

確かパンドラの箱は開けてしまうと、そこから災いが広がるが、その箱の底には希望の粒が転がっていたように記憶しているのだが・・・。

[本文は2011年1月30日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。