「権威の散逸」Ⅰ

自分以外の者の反対を強引に封殺し、自分の意思に従わせる能力、若しくは従わせることのできる力を「権力」と言うが、この権力はその力の強弱によって影響力を持つに非ず、そこには被権力者が、その権力が正しいものと認識できるに足る「形の無いもの」が必要となり、その「形の無いもの」とは実に広範かつ漠然としたものである。

政治権力に対する服従は、道徳的に正しいと思える概念、正統性(正当性)を必要とし、この正統性こそ「権威」となり、支配は権利、服従は義務となる。

それゆえドイツの社会学者「マックス・ウェーバー」は正統性の形を「伝統的正統性」「カリスマ的正統性」「合法的正統性」の3つに分類したが、「伝統的正統性」とは王制や、君主制政治を指し、「カリスマ的正統性」とは混乱し、変動する社会に求められる権威のことを言い、「合法的正統性」とは「法」をして一つの権威と認めさせた上で、その法が保障する形の権威による支配、つまりは現代社会の権威の形である。

しかし法による権威は、その法を運用する者が人間である以上、常に大衆が認め得る公平性や整合性を保持することが難しく、為に常に不安定な権威とも言え、それは国際連合などの組織を見ても明白なように、国家連合と言うある種全ての国家の指標ともなるべき組織ですら、軍事的影響力の大きな国には屈服し、弱小国には大国の利害関係でしか調整、即ち政治的な解決がはかられない現実を見れば、「法」は常に「力」によって無力化する現実をともなっている。

ゆえに権力がその最終的な拠り所とするのが「強制」と言う「暴力」となるが、結果として「強制」とは「権威」の最後の形となり、尚且つ最も原始的な「権威」が「暴力」とも言えるのである。

従って中東などで起こっている国家的混乱、暴動は既存の権威が失われ、さらにそれは大きなガラス板が割れて細かい破片となった状態、言わば「権威」が一人一人の個人の手に帰り、最も小さく原始的なものになった状態と言う事ができる。

そしてこうした「権威」の散逸はなぜ起こるか、国家が他国の侵略を受けこれに抵抗する場合は、目的を同じにする大衆や組織は同じ価値観を共有できる。

即ち自国の国権の復活だが、この場合は共通目標が「権威」となり得ることから、「権威」は散逸しない。

他国との戦争に措いては「権威」の散逸は起こらないのであり、権威の散逸の多くは「第一次欲求」に関して、その国の多数のものがこれを満たされない状態をして最も発生しやすい状況が生まれる。

「第一次欲求」、即ち「食欲」が満たされない状態は、生物の基本機能維持が困難になることから、ここでは全ての社会性は失われることになる。

分り易い例で言うなら「フランス革命」がそうだが、1783年アイスランドの「ラキの亀裂噴火」によって北半球を覆った噴煙や火山灰は、ヨーロッパ一円に大変な飢饉をもたらし、そこから起こった食糧危機がフランス革命の引き金になったとされる説は有名だが、その国家に措ける「権威」の散逸の第一要因は「食料不足」に端を発することが多くなっている。

その上で中東各国に飛び火した暴動、市民運動を鑑みるなら、昨年末から中東で暗い影を落としていた「食料価格の高騰」があり、今年1月には「食糧危機」と言う言葉すら囁かれはじめていた状態は、ついに国家の「権威」を叩き壊すに至るほど、市民生活に深刻な影響を及ぼしていたのである。

また市民生活が貧しくなると、ここで現れてくるのは必ず「平等」と言う考え方であり、この「平等」は突起である特別階級を破壊しようと言う動きとなって、既存権威で有る政府権力を打倒する動きとなっていく。

だがこうして考えてみると、では食糧危機が何故こうも急激に起こってきたのかと言うことだが、その原因は中国にある。

バブル経済によって蓄えられた資本は急激に世界資源の買い付けを促進させ、また中国の国民全員が一定の生活を維持するとしたら、必ず中国国内の生産では追いつかない。

このことから中国はそれまでの石油資源に加え、ここ数年は食料までも買い集めてきたからである。

その為ただでさえ天候不順で食糧生産が計画通り進まない国際社会に措いて、急激な「食料不足意識」が発生し、ここでは加速をつけて各国が食料調達に動きはじめてきた。

さらにこうした動きはその後どう波及していくかと言えば、世界がその市場を当てにしている中国の不安定化に繋がって行く。

「権威の散逸」・Ⅱに続く

[本文は2011年2月23日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。