「地震予知の歴史」・2

しかしFM波の変調観測は確かに地震は予測できるが、それがどの地域に発生するかは不確定であり、また規模も特定できない。

串田氏は結局千葉県沖の地震や、関東地方で起こった震度3クラスの地震を関東地震と誤認してしまったことから予測が外れたとされてしまい、更には高額な機材購入のため、企業とスポンサー契約を交わしていたとも言われていた為、社会から強い批判を浴びてしまう。

結局ホームページは嫌がらせの書き込みで炎上し、更新は為されないようになってしまった。
現在は元々そのスペシャリストである天体観測の分野に専念し、地震予知は公開されないものとなっている。

またこうした民間の研究に対し、気象庁はどうした遍歴を辿ってきたかと言うと、それまで地震に関する専門的な部所だった「地震火山予知連絡会」は、1993年からはじまった伊豆東海群発地震を契機に、急激に高まった一般大衆の地震予知への関心と、これを無視できなくなった政府から、伊豆東海地震の予測回答を迫られる。

しかし結局地震予測などそう簡単にできるものではなく、地震火山予知連絡会は「現代の科学では地震予知は不可能」との見解を出してしまう。

つまり地震予知は諦めて欲しいと回答したのであり、以後1995年からは伊豆東海群発地震域の観測を強化し、予知よりも起こった地震を早く察知する方向へと方針転換がはかられ、その成れの果てが「緊急地震速報システム」な訳である。

地震予知に尻尾を巻いて逃げてしまった地震火山予知連絡会は、その後社会から失望感を買ってしまい、やがて表舞台から姿が見えなくなり、現在は「地質調査委員会」や「火山噴火予知連絡会」、政府の「中央防災会議」などが表を仕切っているが、そのいずれも地震予知には否定的な見解を出し、地震の前兆現象などは絶対認めない姿勢を取っている。

大まかなものだが、これが日本に置ける地震予知の歴史のあらましである。
そして前兆現象による地震予知の難しさは30%の確率を忘れてしまうことにある。

地震は波の特性を持って発生してくることから、例えば断層が動くまでには数回の破断直前回避があって破断が起こる。
この破断直前回避は平均で3回程起こるが、こうして破断が回避されたときも、地震発生時と同じような前兆現象や不思議な現象が起こる。

このことから不思議な現象が観測されたとしても、実際に地震が発生するのは3回に1回と言うことになるのであり、尚且つ通常社会や人に地震が影響を及ぼすのは震度5以上の地震であり、これより規模の小さい地震はそもそも予測する必要すらない。

にも拘らず、あの現象はこの間の地震の前兆だったと言って、震度4クラスの地震を予知したと言う話の多さが、本当の危機を見えにくくしているのである。

ここに冒頭の安政期の商人の気概を思い起こして欲しい。
後世の人のためになるならと言う思いは、地震を当てることに本旨があるのではなく、その危機に対応したものだと言うことを我々は忘れてはならないだろう。

その上で宏観地震予知の確率は30%だとしたら、上手く使えば3回に1回は地震を回避できると言うことであり、慎重に観測を積み重ねるなら、もしかした3回の内2回までは地震を回避できるかも知れないと言うことである。

東京に震度6以上の地震をもたらす確率のある震源域は、実に50以上も関東に点在している。

加えて今回発生した日本海溝地震によるプレートの新たな歪みは、今後1ヶ月後くらいの期間にユーラシアプレート境界付近で地震を発生させる確率が高く、その意味では長野県北部、中越、秋田県沖、北海道南西部は要注意であり、同じように関東の震源域も重大な警戒が必要になる。

また茨城県沖の海域はこれでも恐らくエネルギーの放出が終わっておらず、これからも千葉県、茨城県、福島県南部は注意が必要であり、震源となった日本海溝の向かって右側は大きなひずみを抱えている事から、この海域では3月11日の地震に匹敵する地震の発生に対して、今後2年間は注意する必要があるだろう。

また南海地震や東南海地震と連動性のある東海地震に関しても、プレートのひずみから、場合によっては南海地震や東南海地震の周期を早めて連動して起こってくる可能性も無いとは言えなくなってきた。

科学では予知できない地震、でももしかしたら現実に起こる不思議な現象でそれを予知できたとしたら、我々はそこに科学的であるか否かを問うのではなく、現実に起こる現象を見逃してはならないのでは無いだろうか。

大きな地震は決して突然起こってはいない。
必ず「来るぞ」と言って起こっているように私は思う。

[本文は2011年4月14日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。