「比較劣勢社会」

1990年、事実上バブル経済が破綻した日本は法や思想が厳しい現実に追い付かなくなり、ここにあらゆる価値観が不安定となり、より惨めなもの、小さな事、劣勢なものを競う「価値反転性の競合」へと向かって行った。

価値反転性とは、例えばより貧しい事をしてそこに正義や真実を見ようとしたり、或いは麻薬に冒され荒れた生活をしている事をしてそこに芸術性を見たり、劣勢にリアリティーを見る事であり、宗教でもその多くが同じ基本構造を通して発展していく傾向を持っているが、これの行き着く先はあらゆる価値観の破壊と混沌である。

そして日本は2010年前後、この価値反転性の競合の行き着く先に到着してしまったようだ。

つまりあらゆる価値観が崩壊して「どうして良いか分からない」所まで来てしまっているのであり、この事から本来無意味な情報にも一喜一憂し、何も考えずに僅かな希望に向かって突進するパニック社会、或いは情緒不安定社会と言っても良いか、そんなものになってきている。

元々何も無い状態と完全に満たされた状態は等価なものであり、人間もあらゆる価値観を失った状態と言うのは、そこにあらゆる情報が満たされている状態に同じであり、ここではその上にたった一つの情報や状況が加わっただけでも以前に存在していた情報や状況が一挙に吹っ飛んでしまい、目の前の事が全ての状況に陥ってしまう。

だから結局右往左往して何も進まない状況が生まれ、この中で大衆は更に混乱し失望して行く事になるが、情緒不安定な社会は思想的凶暴性を持つ事になり、ここで満たされず厳しい現実に対する感情は、僅かな瑕疵に対しても強硬な考え方となって行き、この傾向は今に始まったことでは無く、その代表的なものがフランス革命後のフランス恐怖政治社会で有り、同じ傾向をリーマンショックやEU経済危機で経済崩壊したアメリカやヨーロッパが日本を追いかけている状況に有る。

価値反転性の極とはあらゆる価値観が細分化して個人の手に還り、皆が劣性の状態でどんぐりの背比べの状況に陥る事で、この意味に措いては民主主義や平等、自由などと言ったものの極に同じかも知れない。

が、ここで生まれて来るものは劣性の中での競合で有り、過去の状況や情報が吹っ飛んだ者の在り様の中で、良いものが選択されるのでは無く「マシなものが選択」されると言う現実である。

それゆえこうした社会に措ける政治や経済の指標は始めから解決能力や調整能力を有しておらず、結果として全ての事が失敗に終わる事が始めから決定しているようなものなのだが、情緒不安定になった社会は過去の現実を既に覚えておらず、眼前の対処しか目に入らない為、一匹のネズミが走り出すと他のネズミも一斉にその後を追って海へ飛び込んでいく事が見えない。

また激しい情報の海は人間の深く考える部分に余裕を与えず追いかける、為に人々はその見出しやラベルだけで事を判断していく傾向に陥り、これにマスメディアが続いて行く事から、あらゆる事が総合的に判断されず流されていき、こうした状態が続くと道徳やモラルなどが簡単に麻痺し、何が有っても容認される状態と、一方で瞬間的には大変強硬な感情論が噴出してくる訳である。

東京のオリンピック招致に関しても、東海地震や関東地震が今すぐ起こっても不思議が無い状態であることが忘れられてはいないか、中国や韓国との関係はどうか、或いは竹島問題を巡っては、昨年のオリンピックサッカーで、韓国の選手が領土問題をスポーツの場で主張したことに対する懲罰が厳重注意程度で終わっているが、これを日本選手がやった場合はどうなっていただろうか・・・。

或いは柔道のジャッジにしても大きな不備が存在したし、そもそもIOC委員を接待してオリンピックを招致する状態は「贈収賄」の何者でもなく、これではお金が無ければオリンピックが出来ないと言っているのも同じでは無いか。

こんな団体が主催するオリンピックなど、向うから頼まれても断るのが筋と言うものであり、そも地震の事のみならず外交、経済、取り分け東北の経済が5年後には確実に崩壊する事などを鑑みるなら、状況的にもオリンピック東京招致は不可能な状態に有るのでは無いか。

東北に限らず日本の地方は今から5年前の段階で何も無くても破綻寸前だった。

だがそこに地震や災害が起こり、地方行政は震災復興のおかげで破綻を免れた状態になったが、この事から被災地では正規商業経済活動を失い、そこに援助経済が蔓延したとき、政府や民衆の支援が終了したと同時に経済が破綻し、被災地域は綺麗な街並みの廃墟になる。

さらに原子力発電所の放射能漏れ問題はどうか、何の対策も無いまま再稼動が政府によって進められているが、それこそ関東地震や東海地震が発生したとき、又は日本海溝で更に大きな地震が発生する可能性が現在でも有り得るとするなら、場合によっては日本で大惨事が起こる危険性を政府も国民も理解しているだろうか・・・。

それと私は「世界遺産」と言う発想が今ひとつ理解できない。

人類よりも圧倒的なスパンの歴史を持つ自然を「人類が後世に残すべき貴重な遺産」とはどうした意味だろう。
富士山を金に替えて計算でもしない限り、こうした発想にはならないような気がするが、基本的に日本海溝地震以降、日本の火山活動は活発化していて、富士山や箱根も例外ではない。

人類が後世に残すべき貴重な遺産は、明日にも8合目付近が爆発で吹き飛び、関東に真昼の闇をもたらすかも知れない事を、人類がそれを管理しているのではなく、貴重な遺産とされるものの許しの中に我々が生きている事を、忘れてはならないのでは無いか、そう思う。

[本文は2013年7月7日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。