「事象の地平線」

この宇宙が創造された時のモデルは、厚みの有る板、金属板でも良いがそこに無数に球体の一部を模った凹みが存在し、落ちて来る宇宙はその凹みのどれかにはまり、そこからその宇宙の秩序や法則は落ちた凹みの影響を受ける。

しかしこうした無数の凹みの基本的な厚みの部分は「無」であり、本質は「あらゆる事の存在」ではないかと考えられている。

私が初めて法則や秩序が絶対的なものでは無いかも知れないと考えたのは1974年の事だった。

それまで既に絶滅したとされているシーラカンスが、偶然にも1938年に南アフリカ沖で釣り上げられ、更にはインドネシア沖でも捕獲されたと言う話を知った時、「それはもしかしたら今まで存在したものが発見されたのではなく、今から存在し始めたのではないか」と漠然と感じたからだった。

シーラカンスと言う数十年単位で誰も見た事が無くなった生物が、それ以後あちこちで釣り上げられるようになるのである。
人間は小さな可能性と大きな可能性が並ぶと、どうしても大きな可能性を信じてしまうが、それを逆転させたのがアインシュタインの「相対性理論」だった。

川岸に立ち川の流れを見ていると、いつしか流れが止まっていて自分が川上に向かって動いているような錯覚を覚えるが、相対性理論はそれも間違いではないと言ってくれたような気がしたもので、この頃から私の時間の概念は基本的には「現在」によって過去も未来も作られるのではないかと言う、とんでもないものとなって行った。

即ち「望めばそれが現れる」と言う事で、それは過去に遡って出現するのではないかと考えるようになったのであり、出現する動機は「意思」ではないかと思うようになった。

ブラックホールの概念は重力の集中による異相世界だが、その中では光ですら脱出することが出来ない絶対的な壁、「事象の地平線」が存在すると言われてきた。

この「事象の地平線」の視覚的モデルは、あらゆる物質が粒子的にすら存在できずエネルギー崩壊を起こした高熱状態の火の壁、「ファイアウォール」と呼ばれ、この理論によれば情報の等価原理が失われる。

存在したものがその存在自体ではなくとも、それに等しいものとして存在する均衡、これが情報の等価性である。
だがファイアウォールが存在するとそこに投げ入れた林檎は失われ、ここに等価性が消失する。

それゆえアインシュタインが描いた事象の地平線は全く静かなもので、そこに隔壁が存在する事すら気付かないもの乍、しかしそれを通過して行くと、通過する以前とは全く別の性質になると言うモデルを組んでいて、イギリスの物理学者「Stephen William Hawkig」(スティーブン・ウィリアム・ホーキング)もこれを支持している。

そしてこのモデルを使った場合、我々は可能性として常に「事象の地平線」を知らぬ間に越えているモデルが出てくる。
宇宙の密度はブラックホールの密度に等しいと言う説も有り、ここにこの宇宙にはどんな事でも存在する確率が出てくる。

我々が絶対的な法則として見ているものは、もしかしたらその都度出来上がってきたものである可能性を思うのである。

生物が一挙に進化した過程が有り、6億年前の「エディアカラ生物群」の出現から「バージェス動物群」などが発生してくる「カンブリア爆発」(5億4200万年~5億3000万年前)まで、生物は環境に関係なくあらゆる形を試している。

まるで無秩序に形が現れるのであり、これが生物側によるものか、或いは環境的なものかと言うとそのどちらにも属さない「混沌」が出現する。
そしてそれが整理される形で現在にまで続く進化形態が見えてくるのだが、ここに現在は存在してその時は無かったものは「意思」と言うものだったかも知れない。

ゆえ多いか少ないかの別無く、人間であるかそうでないかの別無く、何らかの意思が有って「事象の地平線」が近付いているときは、それが実現したり創造されてしまう可能性を私は考えていた。

大きな地震が起こる前には必ずと言って良いほど多くの人の意思が有る。
関東大震災でも多くの人が拝金主義で腐敗した世の中で、何かとんでもないことが起こって破綻して欲しいと思っていたと言う記述が残っているし、同じ事は東日本大震災でも存在していた。

20代から50代の勤労者の半分に相当する52%の人が「何かとんでもない事が起こって、この社会をリセットして欲しい」と思っていたのである。
たった一人の人間がこの宇宙の秩序を変える、或いは創造する事ができるか否か、私は全てではないができる場合も有ると思っている。

これまであらゆる科学者が、そこにそれは無いと思っていたから、それは存在できなかった。
でも存在するかも知れないと思い始めた瞬間から、それが存在し始めた。
そう言う宇宙観も在って良いように思う・・・。

[本文は2014年1月30日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。