「残念、予選落ち~」

今はもうこうしたことも昔話になるのかも知れないが、テニスの試合におけるジャッジの権限は絶大で、例えジャッジミスがあったとしても、これに異論をはさむことは出来なかった。
それで明らかにジャッジミスがあった場合、そのジャッジで有利になった選手は、次の場面で1度わざとミスをしてプレーの公平さを保ったと言われている。

長女が小学生の頃の話だが、私は学校の大会で優勝し、市の陸上競技大会に出場することになった長女を連れて、その競技場まで足を運んだが、どうせ予選落ちだろうと思い、帰ってからまた出てくるのは面倒なので、競技が終わるまで待つことにした。
どうも人前で自分の子供を応援するのもバカっぽいし、かと言って他の親のように、毎日顔を合わせている子供をビデオ撮影するのもアホらしい、それで昔少しだけやっていた走り高飛びでも見学しようと思ったのだが、たまたま走り高跳びはやっていなくて、仕方なく隣で走り幅跳びを見ていた。

さすが、各学校の優勝者達だけのことはあって、記録はなかなかのものだったが、一人の女の子がスタートを切ったときだった。
小学校低学年くらいの男の子がその選手の走っていく先、つまり砂場を横切ってしまい、それを気にして助走速度を落としたこの女の子は、満足に飛ぶことが出来ずに終わってしまったのだった。
普通こうした競技は2回記録をとって、良いほうを記録にするのだが、どうもこの女の子の場合すでにこの競技が2度目だったらしく、ひどくがっかりした顔で砂場を去っていこうとしていたが、この時審判の50代くらいの男性は、砂場を横切った男の子に「だめじゃないか・・・」と言っただけで、そのままメジャーで距離を計り、競技を終わらせようとした。

これには見ていた私が腹が立って、審判に抗議した。
こうした記録競技は妨害が入ったら記録を取り直すのがルールだ、今のは明らかに妨害であり、記録は取り直さなければならない・・・私は審判の男性にそう言った。
だがこの審判、「強化選手じゃないから記録は1回取れればそれでいいんですよ」と面倒くさそう答え、その場を去っていこうとしたので、私は更に続けた「子供の競技や記録に不公平があれば、その子は次からやる気を失う、スポーツの審判は公平でなければ記録として成り立たない」

だが、相変わらずぶつぶつ言って記録の取り直しをしないこの審判に、私は名前を尋ね、大会本部へ直接抗議することにしようと思ったのだが、意外にもこれを止めたのはこの選手の父親だった。
「いいんですよ、どうせ県大会へ出れるほどではないし、これでもめて学校でいじめられたら困りますしね・・・」
その父親は女の子の手を引いて並んで私に「ありがとうございました」と言ったが、彼女は今にも泣きそうな顔をしていた。

強化選手・・・実に嫌な響きだが、どの学校でも記録を出しそうな優秀な選手は目をかけて育てるが、その他はこうした選手の盛り上げ役くらにしか思っていなくて、そうした意味では学校、審判、スポーツ主催団体と言うのは一つになっていて、こうした強化選手と呼ばれる選手は普通より多くの恩恵を受けることが出来る。
例えばジャッジ、器具や備品などの優遇、記録が悪くても引き上げるなどの優遇があるし、審判とも顔見知りになっている場合が多いのだ。

高校生のバスケットボールだと強化チームになれば、不利な試合でも審判に圧力をかけ、強化チームの対戦相手チームの反則を厳しく取って負けさせる事だってできるのだが、こうしたことは表には出ず、たまに「なんかこのジャッジはおかしい」と言う試合の裏側は、かなり組織的なアンフェアが行われていたりする。

優しそうな父親、そして大人しそうな女の子、いい加減な審判によって彼女がうしなったものは余りにも大きいことが分かるのは、きっと彼女が大人になってからだろうと思う。

もう10年以上前かも知れないが、私はあるマスコミ関係の男に頼まれて、長距離走の試合を代理取材したことがあって、この日は朝から今にも雨が落ちてきそうな天気、一応大会は始まったが途中から雷を伴った激しい雨になった。
次から次へとゴールしてくる選手達、そして恐らく最後の選手と思われる選手が帰ってきて30分くらいは経っていただろうか、
観客や私達取材陣も帰ろうと後片付けをしていたその時だった、ヨロヨロになって倒れそうな、男子高校生の選手がグラウンドへと入って来たのである。
バケツをひっくり返したような激しい雨の中、その高校生はゴール手前で立ち止まったかと思ったら、ガクっと膝を落とし両手を地面につけ、苦しそうな呼吸は体全体を大きく揺らしていた。
始め何が起こったのか分らなかった観客は、この時点でようやくことの次第が理解できた。

慌てて大会関係者が駆け寄った、だがその選手は自分で立ち上がり、また歩き出した、顔やウェアに着いた泥が瞬く間に雨に流され、苦しそうに開けた彼の口にまでそれは流れ込んでいた。
会場からは大きな拍手が巻き起こり、やがてそれは「頑張れー」と言う声援に変わっていった。
そしてゴールラインを超えた瞬間、うつむせに倒れてしまった。
激しい雨の中、多くの人が彼の周りに駆け寄り、彼は一人の男性に背負われて建物の中へと運ばれていった。
翌日の某新聞、片隅に小さくだがこのことが載っていたが、無理やり頼んだのは私だった。

「おとうさーん」・・・。
コンクリートの側壁の低いところで座って、ボーっと昔のことを思い出していた私は、長女の嬉しそうな声で現在に戻された。
「おっ、どうだった」
「ざんねーん、予選おちー」
やっぱりな・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 自分は実は隠れ典型的A型行動型なのでしたが、そうなれば、大抵は変人扱い、他人との軋轢があちらこちらで起きて、多分自身も日々、強迫観念に追い掛けられていた様に思います(笑い)。
    よって目の前の現実に対応するより、観念的な「~~で有るべき」的世界に、飲み込まれて色んなことが効果が上がらず(笑い)、形式的には一目置かれるという、一文の得にも成らない人生を歩んでいた様にも思って、反省後悔しているのかも知れません(笑い)
    今は、世の中は、生命や生活の大きな物を失われない限り、いい加減でよいと感じておりまして、実践しようと、これ又A型的に遣っておりますが、パキスタンや東南アジアで、自分が見たら想像を絶するいい加減さでも、充分に幸せそうに生きているのを見て、参考に成った気がします。
    まあ、大抵はいい加減でよいのでしょう。
    でもまあ、他人の為に奉仕若しくは犠牲に成るべき立場を自分で選んだかに見える人々が、自己の財産増大や権力獲得のために、保護すべき人々を蔑ろにしている、昨今の狡猾な政治家や経済人を見ると、それは違うだろう、と思って居ます。
    その女の子も分かってくれた人が居たことは、或る種の“もやい綱”と成って苦しい時に乗り切って、必要が有るときは、誰かに手を差しのべる人に成長したと思います。

    こちらもボチボチと読ませて頂きたいと思っております。

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      大きなことは許せても小さな事が猶の事許せない、自分は我慢できても人が我慢しているのを見過ごす事はできない、典型的な損をするタイプの生き方をしてきましたが、結果としてこうした在り様から豊かになる事もできず、今頃になってしまったと思っていたりします。
      私は何故か学校と言う在り様が好きではなかったように思います。そこに潜む何か厭な連帯感、協調性、或いは全体主義と言っても良いか・・・。
      つまり私は極めて我侭で自分のペースが崩されるのを嫌がっていたのでしょうね。今でも協調性が無く、大概は人に会っていると疲れ、だんだん言葉が虚しくなる。
      生まれてこの方全て失敗の生き方であったように思いますが、でもやはりこれで良かったのでしょうね。これが自分だったと言う事なのだろうと思うしかない、秋の好日です(笑)

      コメント、有り難うございました。

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