「バイオ・エシックス」2

さて・・・、どうだろうか、人間はどこからどこまでを自分として、何を「他」とすれば良いだろうか、子供が欲しければ例え悪魔に金を渡してもそれは欲しい、瀕死の重体になり病院で治療を受けている者は、主治医に何か疑問があっても尋ねることができるだろうか。
また経済的に苦しく、そうした中で入院生活を続ける患者が、家族のことを思い死を選択する場合、それは本人の意思と言えるだろうか。

はたまた臓器移植では中国がその臓器の多くを死刑囚から摘出しているが、そうした臓器移植の需要のために死刑囚が増えないとはいえないのではないか、また貧しい地域で売られていく子供はその後どうなって行くのだろう。
男達のおもちゃにされることだけでも許し難いが、また必要な臓器を取られて殺される・・・、そうしたことが一切無いと人類は言えるのだろうか。

金のために見知らぬ者の子供を産む、そしてその子供はお金でやり取りされ、それでも自分に子供ができたと本当に喜べるのか、その子は幸せなのか。
少数民族だから、肌が黒いから、貧しいからといって彼らに危険な薬を臨床試験し、それで改良を加えて、安全性が確認されたら白人や金持ちが使う、こうした社会が何を持って正義や平等を主張できるのか、黒人女性にチンパンジーの精子を受精卵に組み込んで戻し、それで研究者は何を研究したと言うつもりだろうか。

実はここで挙げられた、これでもごく一部の事例だが、こうしたことを契機に人類が考え始めたことがあり、それが「生命の主権者」、バイオエシックスの考え方である。
ビオス(命、生き物)と言う言葉と、エシイコス(習俗、倫理)と言うギリシャ語にその名は由来しているが、合成語で日本語になおすと「生命倫理」とでも呼べるだろうか。

すなわち女性であるから、子供であるから、貧しいから、マイノリティーであるからと言う理由、また片方は治療を受ける側であり、片方はそれを治療する側と言う立場による差によって、個人が不当な扱いを受けることの無いよう、そして「生きる権利」も「死ぬ権利」も当事者、つまり本人であるとする考え方のことであり、この考え方の範囲は広く、人権、宗教、性差、生死観、法律、医学、倫理、国家、民族などあらゆることから生命の権利と、その平等を考えて行こうとするものである。

この概念の範囲はとても広い、従って一回の記事では説明しきれるものでは無いことから、このテーマは今後何回かに渡って、詳しく分野ごとに記事にして行こうと思うが、今夜は簡単な基本理念だけ、そしてバイオエシックスと言う名前だけでも憶えておいて頂ければ幸いである。

バイオエシックスの基本理念は5つある。
まず「自己決定」、つまりどんな場合でも自分の命の主権は本人にあると言うこと、そして2つ目は「その行いが善意であること」、3つ目は「公正であること」、4つ目には「平等であること」、5つ目は「人間らしさ」についてである。
公正と平等は同じように思うかもしれないが、前者はシステムを指し、後者は概念を指していると思っていただければ良いだろう。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. ヒト科ヒトとヒト科チンパンジーが別れて別々の道を進むようになって約600万年。この200年位の間に、全歴史を越えるような変化がヒトに現れました。
    チンパンジーの群の抗争で相手の群を全滅に追い込んだ研究が報告されてヒトは吃驚仰天、未だにその意味を理解できずにいるようです。
    南米に数千人か数万に居ると思われる“原始人”は常に近隣の群と血で血を洗う抗争繰り返している。方やアフリカのカラハリ砂漠にいるコイサン族は、出来るだけ隣人、他の集団と問題が起きないように文化を進歩させてきているようです。
    その中間に大部分の現代人類が居るように思いますが、それぞれの宗教で以て他の宗教・文明文化に対して居るようですが、どちらに進むのでしょうかね。
    ジョン・レノンのイマジンのように、平和を目指して、他の民族も他の個体も傷つけないで、生きて行ける倫理を獲得できるのか、亡びるのか・・今人類は”神”から問題を突きつけられている(笑い)。
    答えのヒントは、神道~日本人の神社思想、自然を敬って、大事にしてゆく当たりに有るような気がしては居ますが。
    少なくとも自分は、高齢入院で心肺停止の時には、蘇生処置をしないように、関係者に知らしめておこうと思っています(笑い)

    あ、そうそう、インドには腎臓が片方しか無い人が続出しているようです、インドのみならず日本人も吃驚。

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      人工移植手術に措ける摘出体の概念で、例えば脳死状態から臓器を摘出する事に対する抵抗感は一般人よりむしろ医療関係者の方が大きな抵抗を感じていると言われています。その理由は現実に脳死状態からの復活現場が存在するからで、日本では脳幹の無反応状態を脳死としますが、この状態でもアメリカでは時々胸に手を当てるような動作をする患者が存在し、これは今の段階では筋肉の条件反射と言う事になっていますが、人体と脳は本当に分離した概念で良いのか否か、機械が例えば数兆回同じ運動したときに、その運動による学習が起きないのかと言う点も考えなければならないとしたら、或いは嫁のいない男に栽培された女が販売されたとしたら、これに近い状態は今でも世界的には多く存在する事を思えば、余りにも悲しくて涙が出てくるものが有ります。
      出来ればそう言う時代まで生きていたくないと、つくづくそう思います。

      コメント、有り難うございました。

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