「傲慢と卑屈」

石川県立輪島高等学校創立90年の記念講演に招かれたドイツの若き哲学者は、閉ざされた所に有る者は傲慢と卑屈を兼ね備える事を指摘した。

またやはりアムステルダムの通信社に在籍した私の友人は、今から20年も前に「この町は壊れ方が大切になる」と話していた。

これは輪島に限った事では無かったが、バブル経済が崩壊した日本経済の、その影響の最先端はおそらく地方から始まっていたと言う事だったのだろう。

輪島のように半島の先端に有る地域は一種閉ざされた地域であり、その中では生活スタイルの僅かな誤差でも大きな差異に感じる事になり、ここに経済崩壊が加わると、その僅かな差異が更に大きく感じる事になる。

特に地方の憧れは「外」に向けられたものが大きく、その中で生まれてくる合言葉が「都会への発信」と言うものであり、都会へのチャンネルこそがステータスのような時代を迎える事になるが、こうした地方の在り様は基本的に1000年前から同じである。

平家伝説にしても、その当時で有れば重罪人の島流しの処分が為された人物であり、能登ではこうしてその第一線から追放された者であっても価値が有ったし、都への憧れだった。

実際には全ての力を失った平家だったが、それでも能登の人に取っては都の権威、憧れだった訳である。

そしてこの流れは今に至っても変わっていない。

本質的に地方に流れてくる者は「負け犬」なのだが、その負け犬でも地方にとっては都会へのチャンスに見え、こうした地方の在り様を利用して負け犬が程ほどの成功を収めると言う図式が出てくる。

またこうした傾向に引っ張られ、やはり都会へ憧れる地方はどんな者でも都会から来たと言うだけでそこへ集まり、そのやり方を踏襲するようになっていくが、都会への発信は元々輪島塗の販売形態がそれを内包していて、しかも長い歴史的実績を持っているにも関わらず、これを忘れる。

その裏返しが地方が大好きな「特産品」であり、これなどはまさに傲慢と卑屈の産物と言え、更に田舎に来るほど書家、陶芸家、絵本作家に漆芸家と言う具合で「家」が付く者が多くなるが、これが成立しているのは田舎だからと言う事になる。

私はもう30年以上輪島塗の世界に有るが、この間に感じる事は、少なくとも輪島塗が一つの職業、仕事から何やらイベントになってしまった、宣伝こそが全てで内容が失われてしまった気がして、地方が虚しく見える事かも知れない。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. まれびと、貴主流離譚は何処にも有る話ですが、生活的な力を失った者は、主が出自とか血を拠り所としても、軽々しく批判はできないような気がします。
    自分も力尽き、夢破れたら、(もうそうかも知れない)情けにすがって生きることになるような気がします。

    今平和で食糧も有り大きな問題もないのに、先進国は人口減少中。疫病、天災、戦争が長期に続いた以外で、こんな事は、天地開闢以来(笑い)でしょうから、右往左往するのは当然としても、
    昔の夢を見続けないで、ま、原因不明ながら、解明不能と言うことで、
    その中で、詰まり与えられた条件の中で、それなりに生きる術を、今後50~100年ぐらい模索することになるかも知れません。

    為政者は、空手形乱発したがりますが、今は哲学者の出番かも(笑い)
    トマ・ピケティは、サルトルには、余り考えのない批判好きみたいな感じの事を言っていましたぁ(笑い)

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      例えば安芸の宮島の朱塗り回廊などを散策した時、1000年も前にこんなものを創造し形にした人間がいた事を、何と凄い事だろうと思います。
      そして1000年後の我々は清盛が作ったものを観光として生きていたりします。
      文明が発達し、これだけ多くの事が為せる時代になっていても我々は一体何を作っているのでしょうか。清盛の時代よりもっと凄いことが出来る時代に我々は何もしてない。1000年も前の人に頼って暮らしていてどうする、自身らも1000年後の子孫が驚嘆するものを残す努力をしなければいけないのではないか、そんな事を思ったりする訳です。出自を大切に思ったりそれを頼りと思う事は大切な事です。しかしそれだからこそ、自身の出自をなんにでも使って食ってはいけない。自身を貶めてはいけないと思うのです。
      サルトルは、私に取っては面倒くさい人と言う事になるかも知れません(笑)

      コメント、有り難うございました。

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