「調査名目の特産品」

1970年頃まで、地方の特定の地域ではカレーライスの肉が鯨肉だったところがあった。
この頃鯨肉は豆腐一丁くらいの塊で新聞紙に包まれ、行商の魚売りの人達が売っていたケースもあるが、価格はとても安く当時良質な蛋白源の無い日本には貴重な水産資源だった。
だが、現実にこの鯨肉が日本の食卓から姿を消したのはいつかと言うと、1987年3月から・・・と言うことになろうか。
この年日本は南氷洋の商業捕鯨を中止しているが、1988年には沿岸の商業捕鯨も禁止したからである。

国際捕鯨委員会(IWC) は1985年に母船式捕鯨禁止を採択、翌1986年には沿岸捕鯨も禁止する決議が採択されたが、日本はこれに反対、異議の申し立てをし捕鯨を続行したが、その申し立て期間が2年しかなかったため、いずれも2年遅れでIWC採択決議を受け入れたのである。
こうして日本の食卓から鯨肉が消えたのだが、、国際捕鯨委員会はもともと鯨を捕獲する国々の機関だった。

この時期日本はまだ非加盟だが、1931年ジュネーブで最初の捕鯨取り決めが行われたことに端を発し、1946年には国際捕鯨取締条約がワシントンで開かれ、無秩序な捕鯨に一定の枠組みを設けたのだが、終戦直後だった日本はこの条約には参加できず、GHQマッカーサーが捕鯨業認可区域、通称マッカーサーラインを設定して、戦後混乱期、蛋白源の少ない日本の食糧事情を考慮した捕鯨枠を保護したのである。

こうした背景から日本の商業捕鯨はアメリカのお墨付き・・・と言う意識が日本にはあって、その後1951年、日本がこの国際捕鯨取締条約に加盟してからも、日本の捕鯨はその枠が保護された状態だった。
ところが、世界的な「公害」問題が発生し始めた1972年、国連の人間環境会議で10年間の商業捕鯨緊急一時停止宣言「モラトリアム」が決議されたのを契機に、この国際捕鯨委員会に次から次へと反捕鯨国が加盟し、37の加盟国の内、捕鯨国は日本を含めた3国しかない状態となり、一挙に「反捕鯨」組織となったのである。

日本はこと捕鯨に関しては首尾一貫強行姿勢をとってきたが、国際的な反捕鯨の流れの中で、せめて調査捕鯨だけでもとアイスランドがアメリカと2国間協議で調査捕鯨の容認を取り付けると、日本もこれに追随、しかしアメリカは日本のこうした態度に対日制裁を発表する。
その後、捕鯨は調査名目で年間捕獲数を決めてしぶしぶ認めるが、商業捕鯨は一切禁止するとした流れが出来てしまい、こうしたことに反発したアイスランドは1992年IWCを脱退、ノルウェーもIWC決議を無視して1993年から商業捕鯨を再開したが、日本は留まっている。

どうだろうか・・・現在でも加盟70国のうち、捕鯨国が3国しかない国際捕鯨委員会、IWCの科学委員会では1992年南氷洋で、今後5年間で2000頭のミンク鯨が捕獲可能とされながら、同じ総会で捕鯨の全面禁止が採択されている。
また2006年の年次総会では商業捕鯨の一時禁止措置の撤廃などをうたった「セントキッツ・アンド・ネビス宣言」が賛成多数で採決(法的拘束力がない)されているが、未だに商業捕鯨の窓は閉じられたまま、僅かに認められた調査捕鯨でも、日本の調査捕鯨船が例年受ける環境団体活動家たちのあの妨害行動である。

欧米の価値観が絶対的なものと言う態度は、こうして国際社会の中でいろんな問題を発生させている。
一つは宗教観、イスラム教の価値観を認めなかったブッシュ前アメリカ大統領の政策はどれほど国際社会を乱したか、また捕鯨で言えば、牛や豚は食料にしていながら、鯨は知性のある生物だ・・・と言う独善的な価値観は日本人にはなかなか受け入れられないだろう。

そしてここからは個人的な意見だが、私は鯨の肉が好きではなかった。
どれだけ水に付けて血抜きをしても独特の生臭さがあり、とても美味しいとは思えなかった。
それがなぜかこの頃、地域起しで「特産品」、懐かしい味で好評、と言う風潮があるのには少々疑問を持った。
調査捕鯨しかしていないのに、何処かの特産品であることは不可能なはずで、その流通量も限られているが、何故こうした表記ができるのか、また「家の鯨肉は新鮮で・・・」と言う言い方も調査捕鯨の払い下げしかないはずなのにおかしい・・・。

むかしこの地方では鯨肉が食べられていた・・・と言うなら、そうした地域は日本の殆どの地域でそうだし、本当のところは貧しくて牛や豚が食べられなかった、その代用品として流通した肉と言う背景もある。(勿論江戸時代から鯨の沿岸捕鯨をしていた地域もあるが・・・それは限られている)
牛や豚、その他こんなに多くの食べ物が溢れる時代、秀吉ではあるまいし、太閤になって瓜売りをして懐かしがるようなことはどうか・・・と思うが・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 今のような感じで、お肉が食卓に登るのは希だったと言う事もありますが、自分は子供の頃からクジラは好物でしたよ、特にナガスクジラの大和煮の缶詰、ミンククジラの刺身、何とかクジラの竜田揚げその他。
    昨日スーパーで調査捕鯨のクジラ焼き肉缶詰買ってきましたが、サバ缶の何倍もの値段、特別の日に食べる~~♪
    外房に捕鯨会社が有って、ツチクジラを年間何頭か捕獲しているが、解体を公開しているので、1回見たいと思っている。近所の小学生には見学の機会が有るようだ。外房にクジラノタレという干したクジラが有るが(勿論一匹ままじゃない-笑い)、初めの時に2回続けて今一で、それからずっと買っていないが、外房のスーパーに普通に売っていますよ。
    アイスランドは、日本輸出用に、ナガスクジラを捕獲していて、多分、自分が時々買っている、クジラの皮、脂肪付きは、輸入価格よりかなり高そうだが、少年の頃のご馳走なので、真夏の茄子が美味しい次期には、必ず買って食べています。学校給食にもでたが、自分より何歳か下の人たちは、余り経験が無いので、懐かしい食べ物でも無いと思います。
    韓国は、捕鯨賛成国でも、調査捕鯨はしていないようだけれど、混獲捕鯨で、日本の3~4倍捕獲しているという、結構面白い国でも、SSの攻撃対象国にはなっていない、国際社会で政治力が強いのか、相手にされていないのかは不明~~♪
    エスキモーも生存捕鯨で、捕獲をOKしているが、二重基準の権化国アメリカは、日本に禁止しているが、戦後暫くアメリカの領土だった、小笠原の母島では、OKみたいで、昔行ったときに宿で懐かしい刺身がでました~~♪
    戦後アメリカは、食料援助を優先的に欧州にしたので、日本には、南氷洋で自分で取れと言うことでOKだったが、その内又禁止。
    食べていた人々が、死に絶えれば、消費量が格段に下がって、国内の市場から無くなって、食べていたことさえも、忘れ去られるだろう、確か茨木県だったか宮城県だったかにクジラ神社が有り、そこでは全ての捕獲したクジラに戒名を付けて、祀ってあるらしい。それも数百年後には、何でか解らなくなるかも~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      ペリーが日本に開港を迫った背景も捕鯨だったと言われていますが、今の時代のように優雅な暮らしが当たり前になっているときは、どうしても理性とか知性が過剰、若しくは過保護になり感情と相まって暴走する。
      ただ、現在の日本を考えるなら確実に私より若い世代は鯨の肉には関心が無いと思います。
      妙な話ですが私はどこかで感情が無く、こうした傾向は若い世代ほど顕著になって行くのは、自分が描く夢が一度も実現された事がない世代は妙な夢を見ないし、無理を嫌う。
      つまりどうしても食べたいものが無い訳で、人が嫌がっているなら、そこをごり押ししてまで手に入れようと言う情熱がない。
      これは特定の世代からすると理解できない事かも知れませんが、ある種の現実に対する柔軟性であり、この傾向が続く限り、たかが食べ物ぐらいの事で妙な意地を張ったり、或いは膨大な金を払ってそれを手に入れる努力に対して価値が見えない。
      私はそこまで無理して鯨の肉を食べなければ成らない事は無い、と思っているかも知れません。

  2. IWCの加盟国は、分担金を払っているでしょうが、アフリカその他の内陸国も構成国にあり、捕鯨反対の場合は、多分、アメリカから、賛成の場合は、日本国からお金が出て居るかも知れない、小国で捕鯨には関係ないが、日本の主張に同調+恩義もあって自腹でお金を払って、捕鯨賛成に回った国も有るそうです~~♪
    UNは、白人国家の有色人種の植民地を支配する時の利害調整機関でしょうから、加盟国の大部分が幾ら色んな討議をしても、拒否権を持っている白人の代表が、一票反対票を入れれば、何の役にも立たない、そこに中共が入っているのは笑える~~♪
    但しアメリカだけは、G7でもそうだったけれど、どんな会議でも自分だけ有利に事を勧めたい~~♪

    と言う事でIWCの捕鯨賛成国は、日本がスポンサーになって第二IWCを作って、資源管理をしながら、捕鯨をして行けばいいでしょう、捕鯨反対国は、捕らなければ良いだけ(笑い)、ついでにSSが来たら、勿論撃沈~~♪
    後、畜肉輸出国には反対派と賛成派で、露骨に差別して、資源生産国も同じ、生産することは貴いが買ってくれるところが有って初めて成立、こちらは遠回しに差別~~♪
    それで上手く行かなくなって来たら、又新たな、対応策を考えればよい良い。国際社会は、平たく言えば、主張を担保しうる、軍事力と経済力で力の均衡を保っているだろうから、「平和を愛する諸国民の公正と信義で」動いている訳じゃない~~♪
    余り煮詰まらずに、融通無碍~損得勘定で、但し時には意気に感じて、懐の深い外交~内政をして貰いたいものだと思っています~~♪

    1. またおかしいのはこうした調査捕鯨の領域を出ないにも関わらず、どこかの地域では新鮮な鯨の肉と言う表現が有ったり、特産と言う表示が有る。
      この事の方が何か虚言っぽくて、更に信頼は薄くなる。
      結局のところ余り口に入らないから鯨、鯨ですが、もしこれが鯨ばかりで豚や牛の肉が少なければ今度はそちらが騒がれる事になる。文化や伝統と言うものはそう言う事のような気がします。
      安くて手に入り易く、誰からも文句を言われなければ、それが至上、鯨など要りませんよと言って困るのは、捕鯨を盾に日本から金をむしり取っている反捕鯨組織だったりして・・・(笑)

      コメント、有り難うございました。

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