「人魚伝説」

スコットランドはケイスネスの浜辺、教育者校長を職業とするウィリアム・ムンロは、この浜辺を散歩するのが唯一の息抜きになっていたのだが、その日も黒い大岩がそこらじゅうに突き出たところを抜けて、少しだけ視界が開けた場所に出た・・・紺碧の空、明るい太陽、寄せて帰る波しぶきは白く美しく、ウミネコが空に止まっているように風を受けていた。

そして何気なく岩場から海を見たムンロは思わず声を上げる・・・ムンロが立っている岩場から5,6メートル離れたところにある海中から突き出た岩に、見てはいけないものを見てしまったのだ。
絵の中に出てくるような美しい女がそこに寝そべっていた・・・、だが驚くべきはそのその女・・・一糸まとわぬ裸で、肌が雪のように白く、豊かな胸に瞳はエメラルドの輝き、うす赤く色が差した頬に緑色の髪はつやがあり、それが風にたなびく度に物憂げな表情で綺麗な手でかき上げられていた。

職業柄「これはまずい」と思ったムンロ、しかしきれいな女の誘惑には勝てず、そっと横目で細かいところまで見ようとしたのだが、今度はもっと驚くことになる・・・、上からずっと下を追っていたムンロはある場所まで来たとき、人間の女なら当然そうなっているだろう部分が無い、つまり下半身となっているはずのところが、まるで魚の着ぐるみのようになっていることに気づいた。

しかし着ぐるみとは決定的な違いがあり、彼女は上半身は人間だが下半身は魚のそれで、端末にはきれいな尾があり、サバに似た斑点さえそこに見て取れたのである。
「人魚だ!」ムンロは思わず声を上げた。
そしてわれを忘れて見ていると、その人魚はムンロをさほど気にする様子もなく、やがて尾っぽの方からするすると海に入り、沖の方へ泳いでいってしまったのである。

ムンロは出会う人全てにこの話をした、「人魚だ人魚がいたんです。上半身が人間で下半身が魚の人魚だったんです・・・」
だが人々の表情は驚くと言うより、「ほう・・できれば下半身も魚でなければもっと良かったでしょうね・・・」などとニヤニヤされるばかり・・・みんな冗談ぐらいにしか思っていなかった。
憤慨したムンロ・・・「タイムズ」紙に投書した・・・が1809年、ナポレオン戦争や対米問題で社会が混乱している最中、たわけた人魚騒動の話など社会的関心になるはずも無かった。

そして1961年8月、やはりイギリス近海でアイルランドのマン島沖、イギリス海軍編隊長ロイ・マクドナルドは沖合い8キロのところ、海上で釣りをしていて、今度は赤毛の女2人が泳いでいるのを発見、すぐさま追いかけるが、波をすべるように泳ぐ彼女たちに足はなく、キレイな魚のそれで、ロイの船は遅い船ではなかったがとうとう追いつけず、彼女たちは海中深くへと消えていってしまったのである。
同じくこのマン島では、海岸からも上半身1メートルくらいの人魚が目撃されていて、B89,W64,H89と言う ナイスバディだったと証言しているのは、女性の目撃者なのである。

一般に「人魚」は余り縁起が良くないことになっていて、昔から漁師や船乗りはこの姿を見ると海が荒れるか、良くないことが起こると恐れていて、日本やアジア地域でもこうした「人魚」の話は出てくるのだが、この肉を食べると「不老不死」になるとか、とんでもない化け物と言う場合もあるが、どうも総合的にその雰囲気は明るい話が少ない。

またジュゴンと言う海獣が人魚の正体だとしたものもあるが、アザラシ状で大型な海獣を人魚に見間違えることは少ないように思うし、伝説では1メートルほどの人魚の存在もあり、上半身が魚で下半身が人間とした話もあり、一様にはいえないが、人魚の場合にも雌雄があるのかも知れない。
ちなみに日本でミイラとして残っている「人魚」は上半身が猿、下半身が鮭の作り物であることが判明しているが、こうした作り物は西洋での人気が高かった時期があり、日本で頻繁に作られ輸出されていた時期があったのかもしれない。

さて私の場合、海中で人のような姿が見えたら、まず人魚だとは思わないだろう・・・一番最初に考えることは溺死者・・・ではないだろうか、なんと夢の無いことを・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

6件のコメント

  1. 海で不明になった人の捜索隊に参加の時は、サングラスの隅に、魚の下半身(笑い)の半透明な絵を張り付けて土○衛門を見つけた時はその上半身とメガネのその下半身をくっつけて見れば、人魚らしく見えて、少し心が安まるかも知れません。
    何十年か前に読んだ小話で、海岸線に住んでいたアメリカン人が近所で凄い美人の人魚を見つけて、恋に落ち、やっと岩場に辿り着いて、結婚を申し込んだら、少し悩んでからニッコリしてOKしました。それで1回だけ選択が出来るのだけれど、「私が人間になるか、貴方が人魚になるか」男は、頭に血が上っていたので、思慮か足りずどちらでも良いと想って、人魚を選んだら、その岩場で人魚になったのは良いが、熱い恋の思いも、情熱で張りつめた下半身も一遍に何事もなかったように成りました、とさ~~♪
    きっと人魚伝説は大航海時代に○に飢えた荒くれ船乗りが、気の迷いで、流木でも岩礁でもジュゴンでも人間の○に見えたのでしょう~~♪

    ずっと昔、日本海中部沖地震で、町内の方も津波で行方不明になり、消防団が、臨時に捜索隊を組織したときに、成行で、消防半纏を着て、仲間に入れて貰ったことがありますが、先輩曰く、見つけても傍に行くな、特にうつぶせに成っているのを、仰向けには絶対するな、って事前にご忠告を受けました。一週間ぐらいすると相当なものらしいです。その時は、別の遭難者も含めて、手がかりも発見できませんでしたが、海岸線の被害家屋や自動車その他を見て、津波の威力を再確認しました。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      人魚を土左ェ門としては風情が淋しくなりますが、当地は海に面している事から、時々こうしたものが流れ着きます。
      若い頃二度ほどこうしたものを目撃する事になり、1週間ほどご飯が食べれなかった事を思い出しましたが、私は基本的に蛸が食べられないのは、子供の頃に蛸の刺身を食べていて人間の髪の毛が出てきたからでした。
      海は生物の母ですが、同時に最も危険な場でも有り、正体不明の大きなものが自分の下を泳いでいたなどの話には枚挙のいとまが有りません。
      人魚と言えば石川県の南部に伝説が残り、ここで人魚の肉を食べた女は不老不死になって長年生きたと言う伝説が残っていますが、海が大荒れになる時に現れるともされていて、その時は淋しそうな鳴き声、或いは小さくても通るような高い声で歌うとも言われています。
      第二次世界大戦では、連合国の潜水艦でたまに聞こえた魔女の歌声があり、これなどはドイツ潜水艦のソナーの音か、或いはスクリュー音だったとも言われていますが、それが聞こえてきて攻撃が始まると恐れられたとも言われています。

  2. 人は、そこにあるものを有りの儘に、見える人は希で、自分が見たいように乃至は、その知識の範囲でしか見えなく、全く視野に入らないこともあるし、正確に見えるものではないし、何か特別な現象が発生していても、どういう事情が解るものでは無いようだ。
    又有りの儘に見えると、各種の草に紛れた、例えばモミジガサを発見できない、慣れと経験だけれど、モミジガサが他の草から浮いたようにその形状が見えるようになれば、採取出来る、勿論他の各種の山菜も特別な特徴が有って簡単なものも有るが・・

    或る特定の感情に支配されていなければ、ま、通常の範囲内で見えるが、或る状況下に成ると、誤視すると言うより、別物が見えて、鉄砲撃ちが、同僚を獲物のイノシシや駆除すべきエテコウに見えて発泡してしまったり、恋人が物の怪に見えて斬ってしまったりすることが有るのではないかと思うときがある。
    歩兵の都市戦闘射撃では、撃つべき相手を瞬時に判断する、考える時間は無い、訓練あるのみ、自動車のブレーキ以上~~♪
    頭で解って居るぐらいのことでは、いざと言うときには役立たないことが多く、小さいときからの色んな経験が危険を避ける本能の動きを磨く~~♪

    1. またこうして荒くれた海の男の前に現れるものが人魚と言う女なのは、原理としては山も同じです。
      深い山で女に出会うと、まず命が無いのが普通で、山女(やまめ)蛇、木の精霊、雪女、先女(さきめ)狐、むじな、高齢化すると山姥と言う事になります。
      特に狐などは夜にギャーとか、キャーとか言うまるで女の叫び声のような声で鳴きますから、家の中にいても不気味な思いがします。
      おかしなもので、高度経済成長時代からバブル経済の頃まではこんな家の近くまで狐が出てくる事はなかったのですが、人口減少に伴って今や当地は動物が主流の地域になってしました。
      そこで古の伝説などが復活してくる感じがして、これはこれで循環なのかなと言う気もしてしまいます。
      台風一過、一挙に気温は下がったかと思いますが、豪雨にはお気をつけ下さい。

      コメント、有り難うございました。

  3. 大雨のご心配いただきまして、有難う御座います、気温も下がってきて快適です~~♪
    当地では昨日は降らず、本日日中小雨で宵からやや雨脚が強くなりましたが。
    いつも散歩する公園の真ん中を小川が東西に貫流して居まして、自宅から20分程度の所に、日頃は少年達が野球やサッカーをしている、第1~2遊水地が有りまして、それぞれ1000坪、500坪程度。
    大雨が降ったら、小降りの時を狙って、そこに溢水が流入する様子や小川の水嵩が上がるのを観察しようと思っておりますが、良く設計されているようで、今まで、大きな被害は起きていません。地形も良いのだと思われます。後、水が引くときは、どんな事が起きるのか、どっかの水門を開けて放流するのか、それでも或る程度の魚は取り残されるのかと思ってはおります。

    大分昔、何回かパキスタン人に、厚意の表れで、インダス川の支流に連れて行って貰ったときが有ります。モンスーンの終わり頃だったか、午後に、当日の業務を少し早めに切り上げて、1時間ほど走って、10人ほどで、増水して轟々と流れる濁流の河畔に有る現地風のカフェ(!)でお茶を飲んで雑談をした事が有りました。
    水の音で、ややもすれば会話が聞き取れない事もありましたが、彼らが、こんな大河の畔で、生きてきたのだと感慨も一入でした。
    乾期にワジにそれこそ水が一滴もなくて、シャルワーカミーズの人たちが、足元が悪いのに、対岸へ渡るのを見たときも、同じような感じでしたが~~♪

    1. ご連絡、有り難うございます。

      こちらも大雨ですが、日本各地で大きな災害となっている様子で、せっかくの七夕も雨天の可能性が高いですが、8日くらいまでは厳重な警戒が必要と思われます。
      梅雨末期にはこうして大雨になるケースは多いですが、この20年ほどはその規模が年々大きくなっている感じがします。
      温暖化は気象の激化の招いてくるものですから、これから先も一度加速が付いた気象は激化する恐れが有ります。
      でも温暖化と言いながら、現実には世界的な経済の停滞から、実質はそれほど多く進んでいない可能性も在り、その場合は地球の揺らぎに拠って気象変動が発生しているかも知れません。
      また日本の政治はもう政治と呼ばれるほどのものではなくなっていて、あの方たちは隔離されている方々と考えた方が良く、我々はあの人たちとは関係なく生活を考えた方が良いかも知れない(笑)

      コメント、有り難うございました。

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