「不老不死」

ある個体生命が生まれてから死ぬまでの期間、個々の寿命をある集団について平均化したものを「平均寿命」その集団の中で最も長生きした者の寿命を「最大寿命」と言うが、この内平均寿命については、生物学的な意味からすると、少し異なった方式を指している。
生まれてからの各年齢(小動物だと月齢)における生存率を求め、生存率が50%になったとき時の年齢を、平均寿命と言うのが正確な方式だ。

平均寿命は人の場合、医療の発達によって時代とともに大きく変化してきたが、日本人だと1891~1898年(明治24年~31年)に男性42・8歳、女性では44・3歳だったが、1950年~52年(昭和25年~27年)になると男性59・57歳、女性62・97歳になり、現在では特に女性では80歳を大きく超えている。
動物でも平均寿命は環境の影響を受け易く、マウスでは食料を食べ放題にしたとき約21月齢、最初制限食を与えたものは約29月齢生きる。

最大寿命の方は「種」によって遺伝的に決定しているので時代による変化は少ないと見られているが、種による寿命の違いは普通各生命体の最大寿命の比較になり、例えば、マウス3年、ウサギ13年、ライオン35年、うま62年、人間120年がほぼ最高値で、一般的には体が大きい生物ほど最大寿命が長くなるが、人間は例外的に長生きな生物になっている。

またツパイ、赤毛サル、手長サル、ヒヒ、ゴリラ、チンパンジーなどの霊長類について言えば、最大寿命と性成熟年齢の間には見事な比例関係が成立しているが、こちらでも人間は例外的なことになっていて、性成熟年齢と比べると最大寿命の数値が圧倒的に大きい。

生物の老化は一般に子孫をつくり、育てる生殖期を過ぎる頃から始まり、従って性成熟までの時間が短い・・・つまり最大寿命が短い「種」ほど早く老化が始まるが、同じ種によっても個体差があり、特に人間の場合にはその違いが著しく、また何をして老化と呼べるか、と言う概念が統一されていない。
植物の場合は1年生、2年生、多年生によって老化の仕方が異なり、多年生植物では器官による違いがあるが、葉などの緑色の器官では老化にともなって緑色素であるクロロフィルが分解する・・・また根や茎の細胞では細胞壁にいろんな物質が沈着し、細胞質が減少することをして、老化と言うことができる。

ただこうした細胞レベルのことを言えば、人間も色素沈着、小脂肪球の蓄積、細胞質の減少、核の萎縮などが見られることになるが、分子レベルではDNAの切断の増加、DNAの複製の誤りの増加、修復機能の低下、DNA端末粒(テロメア)の減少などが老化と言うことになるだろう。

さて・・・、ではこうした平均寿命や最大寿命、老化を防ぐ、もしくは回避する術はないのだろうか・・・。
言わば不老不死だが、実は面白いことがわかってきている・・・まだ実用段階は愚か一つの可能性に過ぎないが、最後にこの不老不死について少し説明しておこう・・・。

生物の細胞や個体がその生命を維持し続ける・・・生体を作っている体細胞は普通ある程度の回数の分裂を起こすと、その後は分裂しないで、やがて死んでしまう・・・が、がん細胞を含むある種の細胞は、適当な栄養を与えると、無限に細胞分裂を繰り返し、こうした細胞の系列は樹立細胞系と呼ばれている。

可死細胞と不死細胞とを細胞融合して作った雑種細胞を調べ、染色体と不死の関係を調べる研究は既に始まっているが、人間とハムスターの不死化した細胞の融合実験では、人間の第1染色体が欠ければ不死化することが分かっていて、またある種の人間のがん細胞で不死化したものでは、第4染色体が欠けていることがわかっている。
不死細胞にある種の染色体を入れれば可死化し、この原因としてDNAの末端にある「テロメア」と言う小粒の存否が、可死か不死を決めているとも言われている・・・。

テロメア・・・老化の説明でも出てきたが、DNAの端末粒・・・こんなものが、もしかしたら生死をコントロールしているかも知れないのである。
そして人は未だに何故生きているのか・・・が説明できないのである。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 当世の報道は、日本の平均寿命が伸びたとか、沖縄の平均寿命が長いから、食生活~日常の生活を学ぼうとか、言っていますが、最低の青森と、2年ちょっとしか違わず、有意の違いとも思えないばかりか、沖縄の離婚率は、国内トップで、これが寿命を延ばしている理由じゃないかと、と言う検討は全くされていない風であり、こちらじゃないかと疑っている(笑い)。
    生存率が50%に成った時を平均寿命というのは、とても重要な指標だろうし、それ以降の事故~病気、健康状態、世話無しで生きられるかどうかなど、厚労省は検討しているのだろうけれど、TVの視聴率を狙った、アホっぽい番組が多い。大抵、ピンピンコロリ、って事は難しい。長期に病むのも多くは無いだろうけれど、当局は、知らしめて、国民の協力も得た方が良い気がする。
    それに対する世話はどれぐらい必要か。
    個人的バラツキは多いが、人生最期の10年は程度もあるが不健康と言う事を行政も個人も自覚した方がよい~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      人間若くて美しいに越した事はありませんが、他のサイトでもコメントさせて頂いたとおり、男が女になる手術を受けたとしても、男である事は自身が一番良く知っているのと同じように、50歳である事、60歳である事の事実は変わらない。
      昨今やかましい美魔女などは、例えば体を容器にして脳だけを入れ変えていけば、1万年生きていながら、体は20代のものと言う場合も出てきますが、既にあらゆる経験を終えたものが、体だけ若くなっても初恋を味わえるかと言えば、そうは行かない。
      結局年齢とは姿形ではなく「自分」であると言う事で、ここを自分で誤魔化しても虚しい・・・。

  2. 日本には八百比丘尼伝説があるが、アンチエイジングとか、諦めなければ、色んな事が出来る見たいな幻想を振りまいて、その懐を狙う詐欺師見たいのが多すぎ~~♪
    80になってエベレスト登ってどうする、一緒に行ったワカモノが死んだらどうする?

    20年ぐらい前に赤瀬川原平が老人力が付いてきた、と言いだして、物忘れなどをプラス思考に切り替えると言う事であったが、プラス思考である必要は全くなく、容色は移ろう、体力は無くなる、世の中は、もうどうでも良くなって行く~~♪
    自己愛さえも枯れて何時でもお迎えが来ても良いように準備した方が良い、但し、生きているなら、生きるしかなく、今日でなくても良い、と言う多分、真実の大きな一面を悟ったら宜しかろうと~~♪

    1. また長生きの概念は「死」の恐怖から始まるもので、これとて長く生きているから良いのか悪いのは本当は分からない。
      よくこうしたブログでも自分はもう結構な年齢だからそうした欲は無いと言いながら、放射能汚染でもない東北の野菜は食べない、無農薬野菜しか食べないと言うご老体もおいでますが、自身は命など惜しくない割には結構皆健康志向な訳です。
      古来長生きがなぜ良いとされたか、それは実は長生きできる者が少なかったからと言えるのかも知れませんね。

      コメント、有り難うございました。

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