「仏教の成立」前編

インドのカースト制度、身分社会の成立初期段階、今から3000年前の形態は「バラモン」と呼ばれる僧侶階級が最上位で、宗教と学問をつかさどり、彼等が司祭する宗教を「バラモン教」と言い、この下に「クシャトリア」と言う武士、貴族階級があり、この階級が軍事、政治を行っていて、「ヴァイシャ」と言う上から3番目の階級が庶民階級であり、農業、工業、商業に従事し、納税の義務を負っていた。

そしてその下に「シュードラ」と言う奴隷階級があったが、この身分の者の多くは被征服民族だった・・・が、後世のインドでは社会の発達、分化に伴って多くの新しいカーストが生まれ、この4つの階級の更に下には4つのいずれのカーストにさえ属さない、最下層の賎民として「パリア」(不可触賎民)があり、ガンジーが社会問題として取り上げたのが、このパリアに属する人々の救済だった。

尚カーストの語源は、16世紀にインドを訪れたポルトガル人が、この制度をポルトガル語の血統、家系を意味するカースタと読んだことに、その歴史があり、このカースト制度は職業的、宗教的身分制度で、各カーストは職業を世襲し、他カーストとの間の結婚は禁止されるなど厳格なものだったが、こうした傾向は時代を経るとともに厳格化、細分化されインド社会の発展を妨げるものとなっていった。

バラモン教の経典はリグ・ヴェーダを中心にサーマ、ヤジュル、アタルヴァ、のそれぞれのヴェーダがあり、リグ・ヴェーダにはアーリア人たちがインドに侵入した当事の彼等の宗教、社会、風俗慣習などが記され、サーマ・ヴェーダにはインド古典音楽に関するもの、ヤジュル・ベーダは複雑な祭式が記されていて、アタルヴァ・ベーダには民間で行われた呪術などが伝えられているが、これらが成立したのは紀元前800年ごろと言われていて、これら4つのヴェーダを根本原理として複雑な祭式を行う一方、汎神的な哲学思想を展開・・・、太陽神ヴィシュヌ、火神アグニ、雷神インドラをもっとも重要な神として崇めた。

バラモン階級の支配力は非常に強大なものだったが、やがてこうした社会でもその宗教の形式化が進み、貴族階級による諸王国の統合が進んでくると、手工業や商業の発展が著しくなり、次第に農村を中心とした社会制度が崩れ始めてきた。
こうした状況を背景に、カースト第2位の「クシャトリア」や第3位の「ヴァイシャ」の実力がバラモンに対して高まり、バラモン支配に満足できない気運が成長してくる。

そして人々の要求に対して、バラモン教の中から更に深い哲学思想を持った「ウパニッシャッド哲学」が生まれてきたが、これは紀元前7世紀に成立した「ブラーフマナ」の巻末にある「ウパニッシャッド」(奥義書)の中に述べられている思想で、ブラーフマ(梵)と個人の中心生命であるアートマン(我)との究極的一致を説く深遠な思想を展開している・・・、がバラモンの形式的な教義に対する反省とはなっていても、結果としてバラモンの優位を更に深めたものと言うこともまたできるだろう。
この哲学は後に近代ドイツ観念論哲学に大きな影響を与えたといわれている。

またこうした流れと同時並行してバラモン教に反対する新興宗教が発生してくる。
これが仏教とジナ教であり、ジナ教はまたを「ジャイナ教」とも言い、釈迦と同じ時期、クシャトリア階級出身の「ヴァルダマーナ」がおこしたものだが、カースト制度を否定し、人生を「苦」と定義して解脱を説き、極端な「不殺生主義」を唱えたが、苦行の実践と戒律の厳守を必要とした点ではバラモン教との類似点があり、ヴァイシャ階級に支持されたこの宗教はインドで広く信仰を集め、今日なお多くの信者がいる。

しかしこうしたことを見てくると、インドでは戒律が厳しい・・・、または苦行を励行する宗教はその後も残ったが、こうした厳しい戒律を持たず、苦行と言うほど厳しいものを一般に求めなかった仏教は、この後900年はインドで繁栄するが、今日まで定着しなかった背景には、中世の政治的支配制度とは相反するものだった・・・と言うことができるのではないだろうか、すなわち古代から中世にわたる世界的支配傾向として「封建制度」やそれに似たものが各地に発生してくるが、バラモン教の階級制度や職業の世襲などは、封建制度とは言えないが、封建制度の特性を持っていて、これらが政治的支配にはとても便利だった・・・と言うことができないだろうか。

7世紀中期以降諸国が乱立し、数世紀に渡る暗黒時代を迎えたインドはやがてイスラムの支配を受けるが、こうした社会でいち早く国家を築くためにはバラモン教のような仕組みが有利に働き、人々の文化的復興意識も連動し易かった・・・と言う背景があり、バラモンの復興形であるヒンドゥー教や、全体からすると信者は少ないが、ジャイナ教などが今日までインドに定着したのではないか・・・と思うのである。

さて話は少し横にずれたが、ジャイナ教と同時期に発生した仏教は、ガウタマ・シッダールダ(紀元前566年~紀元前485年)が興したものであり、別名のシャカ(釈迦)とはシャカムニの略称で「シャカ族の賢人」と言う意味だが、ガウタマ・シッダールダはアーリア系のシャカ族が建てたカピラ国の王子として生まれ、衆生の苦しみを救おうと29歳の時に家を出て、バラモンについて学んだが、修行6年目のときバラモンの非を悟り、ブッダガヤの菩提樹の下に端坐し、始めて解脱の道を悟り「仏陀」となった・・・、時に35歳、以後諸国を巡って説法し、紀元前485年頃クシナガラで没した。

このガウタマ・シッダールダの起こした仏教の教えは紀元前6世紀末ごろから始まったが、バラモンが階級の別を厳守することに反対し、人間は一切平等であり、八正道(はっしょうどう)、つまり仏教で言う実践修行の要件とされる八種類の徳目、「正見」「正思惟」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」を行うことにより、人間世界の苦(生、老、病、死)や煩悩から逃れられると説き、強権によらず人間の道義心を高めることによって、平和に社会改革を行うことを理想とした。
また徹底した無常観をとり、精神的修行を主張し、こうした教えはバラモンに不満をいだくクシャトリア階級からの支持を受けた・・・。

さて仏教に関する話の前編・・・殆どバラモン教の話になってしまったが、最後に私が好きな仏陀の逸話で、今夜はお別れです・・・。
強盗に襲われ、「動くと殺す・・・」と言われた仏陀・・・、しかし一向に慌てた様子も無く「何を恐れている・・・、動いているのはお前だ、私は何も動いてはいないのだよ・・・」と言う。
強盗に襲われたら一度こうした言葉を言ってみたいものではある・・・が、私だとアッと言う間にやられて終わりか・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 多民族国家~被支配国家は、民族ごとに階級が成立しやすく、現在の国際情勢などは、それに起因することが多いようにも思う。

    インド憲法でも、国民の平等は謳ってあるが、勿論実際にやる気は全くなしで、実効も無いが、ITなど、伝統的な解釈では、どれにも該当しそうも無い、職種~機能が発生していて、もしかしたら、多少の影響力が発生して、カーストの変更の第一歩を標すかもしれない。
    我が友人のパキスタン人は、多分、高位のカーストを示すであろう呼び名が、称号~苗字(?)の一部に成って居る。
    半島では両班出身者が膨大にあるようで、どちらもどういう社会的な影響が有るかは、自分にとっては不分明だけれど、歴史にしろ文化にしろ、表面的な経緯を概観~解説するだけでは、その真に意味するところは、理解できないだろうと思われる。
    簡単な例でいえば、日本の1910~1940頃までの政界を概観して、首相の交代だけを見ても、何故あんなク〇手を連発したのかは解かりづらいが、それぞれの勢力基盤や無責任体制を繙けば、少しは理解で来る気もするが、現今は、研究もしていなくて、馬〇を馬〇とも言えず、この30年ぐらいは、同じような事をやっていて、全く困ったもんだ~~♪

    山川草木悉皆仏性は日本を日本足らしめている、1つかも知れない。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      仏教の概念はその以前の宗教観を一部開放し、しかも一回り低俗なところで以前の形を踏襲してしまった部分があるだろうと思います。同様の事はキリスト教でも言える事で、強行で部分的なユダヤ教を開放して大衆するキリスト、しかしその後のヨハネ、パウロは結局権威主義の道を作ってしまい、カソリックとなって行く訳です。
      ただし、こうした流れは人類が避けられない流れと言えるのかも知れず、社会も同様の事を繰り返します。
      当地は浄土真宗ですが、これなどはとても適当な宗教であり、しかも大衆の殆どは仏教とはかけ離れた部分でこれを概念していますが、宗教とはこうしたものなのかも知れません。
      全てが形に象徴され、儀式に象徴され、それすらも「家」制度、封建制思考が崩れてくると、やがて墓すら引き継ぐ者がいなくなる。
      もはや神社仏閣の維持すら困難な地域が出現してきていますが、これは全て宗教界がこれまでやってきた怠惰の代償と言えるだろうと思います。
      文字通り自業自得と言えるのかも知れません。

      コメント、有り難うございました。

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