「帝国主義の概念」

一般に帝国主義と言えば、強大な軍事力にものを言わせて他国を侵略、若しくは力を背景に言うことを聞かせて・・・と言う印象があるかもしれないが、これは結構広範囲な意味での帝国主義で、この観点からすれば帝国主義はすでに古代から存在していたが、より厳密な歴史的概念として帝国主義を考えるとき、それは別の様相を現わしてくる・・・、今夜は帝国主義の正体を少し見てみようか・・・。

帝国主義の理論的な解明を試みた著作としてはイギリス人、ホブソンの「帝国主義論」(1902年)、オーストリア生まれでドイツ社会民主党の理論的指導者となったヒルファーディングの「金融資本論」(1910年)、ポーランド生まれでドイツ社会民主党の左翼急進派の指導者となったローザ・ルクセンブルグの「資本蓄積論」(1913年)、それにレーニンの「資本主義の最高段階としての帝国主義」(1917年)があるが、これらの帝国主義論の中で最も有名なのはレーニンのそれであり、古典的ながらも現在もこの理論が一番分かりやすい。

レーニンの帝国主義の概念はこうだ・・・。
資本主義が発展してくるとともに、生産と資本がますます少数の大手企業に集中し、産業界ではこれら一握りの大企業の姿がそびえ立つようになる。
そしてこれらの大企業は利潤を吊り上げる為に、相互にカルテル、トラスト、コンツェルン、シンジケートなどの企業結合を結び、ここに自由競争に代わって独占組織が産業界を支配するようになる。
この独占の形成こそは、帝国主義のもっとも根本的な法則であり、帝国主義は独占資本主義とも言い換えることができるのである。

このような産業界における資本の集積や独占の形成には、その過程で産業資本と銀行資本との間に綿密な結合関係が発生し、こうした産業資本と銀行資本との癒着、結合したものが金融資本と呼ばれ、帝国主義段階では、一国の経済機構だけでなく政治機構までもが、この一握りの金融資本の支配を受ける。
そして金融資本は国内市場を支配するだけでは満足できず、より高い利潤を求めて国外、特に労働賃金が低く原材料価格の安い後進地域に活発な投資を行い、このように商品の輸出と並んで資本の輸出が大規模に行われることが、帝国主義段階の大きな特徴なのである。

国内でカルテル、トラストなどの独占を生み出した資本家たちは、更に国際的な規模でも、市場の分割のための協定を結ぶ。
そして後進地域を経済的に支配する為には、その地域を植民地化してしまうのが最も確実な方法であり、そこで帝国主義段階においては金融資本が国家権力をかり立てて植民地の獲得に乗り出す。
その結果、大国の間で植民地の獲得を巡って死闘が展開され、むろん、植民地獲得の政策そのものは、すでに古代から認められるが、それが金融資本の利益と結び付いている形態をして「帝国主義」と言うのである。

レーニンの帝国主義に関する概念が、最も良く該当していたのは19世紀末から第1次世界大戦にかけての時期であるが、この時期欧米、そしてそれに続いて日本もそうだが、これらの列強が、国内に成立した金融資本の利益を背景として、植民地獲得をはじめとする、帝国主義的な政策を繰り広げていった・・、その結果列強どうしの間で帝国主義的利害が衝突し、次第に国際的緊張が高まっていった。
第1次世界大戦は本質的には、こうした独占資本主義の対立、つまり帝国主義の対立の極みで生じたものと言えるだろう。

そして1929年10月24日に起こったアメリカ・ニューヨーク・ウォールストリート発の大恐慌は瞬く間に世界を襲い、見せかけの信用で膨張し続けていた金融資本は一挙に収縮、資源を持つ国や列強はこれに対して高い壁を作り、自国資本の流出を抑えたが、資源が少なく経済的な弱小国の金融資本は、それまでのような利潤と言う生易しいものではなく、生存、生き残りをかけた膨張を求めって行ったのであり、そこではもはや膨張などと言う中途半端なことでは納まらず、植民地奪取、侵略と言う手段に訴えるしか道を無くしていた。

つまりレーニンの独占資本は「牙」を持つに至り、その牙は結果として最後は、独占資本そのものにも向かっていったのが、第2次世界大戦の有り様ともいえるのであり、少なくともドイツ、日本、イタリアはこうした傾向が当てはまるのである。
そして現代を見てみればどうだろうか、何かレーニンの帝国主義とは違った要素はあるだろうか・・・。
カルテルと言うのは同一産業部門の独立企業どうしの協約であり、市場統制による超過利潤の獲得を目指すものだが、これが発展するとシンジケートになり、カルテル自身が共同販売機関を持ち、参加企業の商品の一括販売にあたるものだ。

そしてトラストは主にアメリカで起こったものだが、市場の超過利潤獲得はカルテルと変わらないが、企業の経済的独立性はほとんど失われる、いわば企業合同と言われるものであり、その本質は吸収合併に近いものだと理解した方が良いだろう。
またコンツェルンは、第2次世界大戦前の日本の三井や三菱などと言った財閥が行っていた仕組みで、市場支配よりも資本関係の支配を目的とした仕組みだったが、こうした形態やこれに近い仕組みは今でも残っているし、トヨタ、日産、ヤフー、楽天などを見ていると、これを独占資本と言わずして何と言うべきか・・・である。

またこうした独占資本主義はしっかり銀行資本と連動し、金融資本を形成し、そして国際市場へと向かっているのであり、現自民党安倍政権の「株価偏重経済政策こそが景気回復につながる」とした声高な発言は独占資本主義をして国家権力をかり立て・・・と言う言葉が実にリアルに具現化しているように見えるのである。

そして世界はアメリカ発の不安定景気の真っただ中にあり、日本はその中で持たざる国の悲哀を身にしみて感じている・・・、どうだろうか、この先に何かが見えそうな気がしないだろうか、またレーニンの論からすれば、日本は今も帝国主義の中にあることも、一面の真理と言えようか・・・。

 

西暦2019年、新年明けましておめでとうございます。

本日より2019年度の投稿を開始致します。

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

文 責   浅 田   正

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

10件のコメント

  1. 「帝国主義の概念」

    昔流行った、アケオメコトヨロ、下品だけれど、1回だけ使いかった~~♪

    帝国主義もマルクスの科学的社会主義も正鵠を得ているようには思われているのかも知れないが、実験が出来ず、取って代わる理論も同じ運命に或るものであろうし、人間が何故か(笑い)理論通りに行動しない事も相まって、永遠にそこに言われている典型的な現象は出現しないだろうし、だからと言って、誤謬に満ちているとも言い難い所が、難しいと思われる。これらの後に出た毛沢東主義(?)は、独裁と虐殺を生んで、実施した大抵の国家を破綻させたが、未だの実行しようとする動きが有るのは、人間の脳のなせる業で有って、他人の失敗からは学ばない、下手をすれば自分の失敗からも学ばない~~♪
    ダーウィンの進化論もかなり矛盾が露呈していても、未だそれを代替するかもしれない、今西錦司の住み分け理論もそれほど重要には思われていない。
    日教組・教育当局が、激烈な競争が学校の諸問題を発生させているという理論で、平等~ゆとり教育を実施したが、それ以前よりひどい問題が発生したばかりではなく、バ〇と引きこもりを大量発生させたように見えるが、未だに検証もされず、新しい施策での改善は見られないが、個人的に熟慮決行しているものは、いつでも一定量居るから、まともな国は破綻しない。
    ニホンザルは、ボスが繁殖をほぼ独占して、食料も優先的に獲得していると言われたが、DNA鑑定が簡便に出来るようになってからは繁殖は序列にほぼ関係なく、あまねく行われているようでありながら、その意味を未だに論理づける、説得力の有るものが、出てきていない様だ。少し戻って、進化論とかDNAとかは、今可成り研究されていて、生物の生理は、そんな論理ではなく、或る意味「神」の介在失くして、構築できたとは到底思えないほど複雑に設計されて、寸分の狂いも無く活動している風でもある。
    直近の問題を可決しなければ生きて行けないので、論理も必要だが、実は真実にたどり着くのは、もっと長い時間が必要なのかもしれないし、永遠に秘匿されているのかも知れない~~♪
    そもそも真実が有るというのは、幻想であり、ま、これを言っちゃお終い(寅さんじゃないが)だが、物は有るがままに在るのであって、有るべくように有るのでも無いし、論理に基づいて有るのでもないのかも知れない、けれども迷える衆生は、何かに縋りたいのもこれまた、真理(笑い)らしい~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      遅くなりましたが、新年、明けましておめでとうございます。
      本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

      この話は帝国主義と言えば、何となく軍国主義、或いは巨大帝国の侵略のようなイメージが有る一般的な概念が、実はとても経済的な流れだと言う事を解説したかったのですが、現在の状況を考えますと、こうした帝国主義の仕組みが国家すらも突き抜けてしまっている事を思います。
      つまり経済的帝国が出来上がりつつ有ると言う事で、例えばアマゾン、ヤフーやマイクロソフト、アップルなどもそうでしょう。もはやこうした巨大企業が国家を突き抜けて経済を支配し、やがては世界規模の帝国化に向かっていると言う事でも有ります。
      こうした傾向は世界的な傾向であり、例えば日本ではトヨタの顔色を伺わねば日本の経済が成り立たない。そこからあらゆる事がこうした企業を中心に考ええられて行くようになって行きます。そしてこれが上手く流れていけば一般大衆も多少の恩恵には浴することは出来ても、上手く行かねば国民は困窮する。既にそうした予兆が現れつつあり、アメリカ経済の不安定化は日本の円安など一瞬にして吹き飛ばしてしまう。
      既に長期化した水増し経済、金融緩和政策など嵐の中に立つ蝋燭の炎の状態だった事を認識させてくれるものです。

      この先一体どうなるのか、多くの国民は不安な新年を迎える事になってしまったように思います。

      当方もまだまだ予断が許されない状態から脱却できていませんし、それより何より、昨年後半から感じているこの虚脱感や虚無感から今も抜け出る事が出来ません。
      「人は意思なんだな」と言う事を痛感する次第です。

      本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「音楽は熱い」

    世の中は不思議に満ちている。
    偶々同調して、遠くの電波が音楽を奏でたにしろ、それはそれでいいし、不明でもそれはそれでよい。

    矢はだれが射ったか、どんな毒かは、どうでも良く、救命の処置が第一~~♪

    もし、亡くなった恋しい奥様(亭主でも良いが)が、突然現れて、にっこり微笑んだら、どうして現れたかはどうでも良く、その儚い一時を共に過ごすだけで良い、理由なんぞ詮索は無用な事だ。
    もし、清々していたのなら、それはそれで結構だが、礼と尊敬を以て遇した方が良い。
    それ以外も各種状況は、今の状況を見直す契機にすれば良い~~♪

    現代は、詰まらん説明に時間を費やし過ぎて、本当の時を失っている。

    今年も宜しくお願い致します。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      この話はかなり古いものなのですが、何となく罪が無くてしかも誰も傷付かない。
      そして怪しくてユーモラスな部分もあって、実は私が一番好きな記録の1つです。
      数年前から北海道で発生した緊急通報の怪を調べているのですが、消防署に救急電話がかかってきて、でも出ると無言な事から、消防署所で電話番号から住所を割り出し、そこへ駆けつけてみると空き家で、しかも電話の線も切れている状態だった事件が4年ほど前に発生しました。
      しかし同様の事件、若しくはそれに近い事件が八甲田山付近でも発生していると言われていて、これなどは深く調べると意外に深い話が出てきそうな気がします。
      怪しい話の大家を目指す夢は今も生きていて、これからもこうした話を色々調べて行けたらと思います。

      あ、そうそう、大晦日からまた猫が帰って来なくなりましたが、雄猫はやはりこうしたものなのでしょうか・・・。

      コメント、有り難うございました。

  3. 「帝国主義の概念」第二弾 猫の受難~~♪

    猫の権威からすると~~♪

    少し不在期間が長いですが、忘れた頃に、比較的汚くなって、やや痩せて、ご帰還に及ぶものと推察いたします🐈
    生物の大目的は、猫にとってもその日を安穏に暮らせれば、もしくは金の為に、日々粉骨砕身すれば良いというな呑気は現代人と違って、日本人はややもすれば、忘れ去った、生存して子孫を残すことでしょうから、近所に人があまり住んで居ない、という事を考えれば、野生を失わないで、人と共生する家猫にとっても、近隣が非常に遠く大遠征しないと、繁殖できないという事で、春の子育てのためには、日足が少し長くなってきている今は、オスにとっては、その活動の時期であり、生存競争社会へ、突進中という事でしょう~~♪
    武運拙ければ、道半ばで斃れる事も有るでしょうが、やや天候の良い日に、何事も無かったように戻って、餌をねだると期待しています~~♪

    一頃一世を風靡した、利己的な遺伝子のせいかもしれないし、実は違う共生の圧力~種の保存の為かも知れませんが、単純な「論理」で理解できるものでは無いかも知れません。

    経済の帝国主義を理解しない猫にとっても、その影響は、近隣不在と言う形で、彼らを直撃していて、受難の時代で有るという事でしょう~~♪

    今流行りのIT系GAFMAなどが世界をそれぞれ支配しつつ有り、一時巨大恐竜が地球を支配したかのように見える時代が有りますが、あれは自然の営みでしたが、それも自然に滅ぼされて、永遠の独り勝ちは無かったように、こちらは浅知恵の人が行っている事でしょうから、早晩、御しきれない矛盾が自らを蝕み、自壊の道をたどる事になるでしょう~~♪
    使い切れない富を貯える愚かさ、何をしても、誰ともほぼ同じ運命を辿る肉体と精神、努力ない所に訪れる後継者の悲惨~~♪

    日本は幸い、島国で民族言語が近い人々が一定の場所に長期間住んで居た事を考えれば、欧米の影響から一歩下がって見られる立場に有るでしょうから、今後は自信を取り戻して、色んな提言が出来る事になるかも知れませんが、悪い事に、安逸も有って、常に足を引っ張るのが好きな人も、それなりに居るようですが、国家観無き政治家が、増殖すれば必ず、揺り戻しが有るように、知恵が出るものと期待しています・・とは言うものの、時間がかかるでしょうから、オラは関係無さそうですが(笑い)~~♪

    あそそう、『道徳を忘れた経済は、 罪悪である。経済を忘れた道徳は、 寝言である。』と名言を吐いた、200年以上前に生まれた二宮金次郎が生まれたのは日本であるし~~♪
    近所の小学校にこの石像は有りませんが、すぐ近所の植木屋の庭先に有ります、毎日拝んでいます(ウソ)~~♪
    今はスマホを見つめながら、歩いて、溝に落ちるのが流行っているかも~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      毎年の事なので気にせずにおこうと思うのですが、毎日いて当たり前の者がいないのは淋しいと言う感じでしょうか・・・。
      このサイトの表紙に使われているのが、件の猫の数年前の姿なのですが、帰ってきてくれると嬉しいのですが・・・。
      それにしても昨年は大きく心を病んでしまった感じがします。やはりこちらもそれまでいて当たり前の者がいなくなった事が大きいのかも知れません。鬼のいぬ間に洗濯も、もしかしたら鬼がいなくなれば洗濯もやる気が起きないのかも知れません。
      平穏では有るのですが、何かしらこれまでで最大の危機に直面しているかも知れない気がします。
      雪も少なく良い正月だったのですが、何も出来ずに今に至っています。

      コメント、有り難うございました。

  4. 「帝国主義の概念」
    第三弾 思春期ならぬ、思冬期~~♪

    民族・地域・生活環境・自然環境その他の要因で、年齢やその他状況によって、考えるべき乃至は相応しい思考・感情と言うものが有るように思う。

    今は、成人を先延ばしにして、自分探しを永遠にして、獲得すべき或るものを臨界期過ぎても獲得せず、また逆に、引退すべき時期を無きが如くに考えて、生涯現役とか酷いのになると生涯青春(笑い)など年齢や体力知力に見合わない論理が横行しているが・・それなりの年齢に見合った老化~熟成と言うものが有ろうかと思う。

    沖縄の余り現金収入の無い爺たちが、毎日の様に、簡単な漁をして、遊んでその獲物で、軽く酒を飲んでダラダラと暮らしているを見て、非難囂々の人も居れば、然るべき見本と見るべきだと言う人も居て、当然だろうに、原理主義者ばかりで、議論は永久に噛み合わない。
    じゃあの人たちは、何をすればいいと言うのか~~♪
    逆に、どう考えても耄碌している風にしか見えない、政治家やその筋で一世を風靡したとはいえ、今や違うのに、過去の栄光から去る事が出来な人々の痛々しさ~~♪

    思春期が有るように思冬期が有っても良かろうと思う。
    志村喬が47歳の時に、「生きる」を演じてから、未だ70年も経って居ないのに、世は、63歳のお婆さんが、恋にまっしぐら(?)でも良いが、戦後急激に平均余命が伸びたとはいえ、昭和30年前は未だ男は60歳に達していなかった~~♪
    実は出生年の平均余命から見れば、自分は疾うに超えた(笑い)~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      確かに人間にはその年齢になって見ないと理解できない事があり、理解できない感情も有ります。
      これらをひと括りにしてしまう事も危ないが、民主主義だの人権だの言った事で縛るのはもっと危ない。
      ましてや男女同権など持っての他で、男女は2つでセットになっていて、その機能は分担性になっている。これが生物としての歴史と知恵であり、こうした事を社会的に崩壊させていくと、その先にはとてもやばい事が事が待っているだろうと思います。
      ラフカディオ・ハーンやハリス、アインシュタインが愛した日本は遠く失われ、いまやそれは海外のとてもローカルな地域で生きているかも知れない。丁度中国4000年の英知である古典思想が日本で花開いたと同じような事が、オタク文明でロシアの辺境で最も正確に残されているかも知れない。
      だからその国で発生した素晴らしいものとは、その国でしか残らないとは考えない方が良く、むしろ遠く離れた地域で色濃く残っても、それはそれで良い事なのだろうと思います。そしてこうした在り様をして、その思想が偉大である事が認識されるのかも知れません。
      日本だから日本人が守らねばと思う必要は無く、むしろそれが偉大なものであれば、世界の財産と言え、これをして本当の世界遺産と呼ぶべきものなのかも知れないと、そんな事を思う訳です。
      日本人がどれだけ腐って行っても、それがどこかの国で残っていれば、その大きな価値が有る。日本が日本がと頑張る必要は無いだろうと思います。腐って滅ぶべきは、滅ぶのが正しい、と私は思っています。

      コメント、有り難うございました。

  5. 「帝国主義の概念」
    第四弾 通過儀礼の衰亡~~♪

    どの民族にも可成りはっきりした、男女、意味も役割も違うが、成人の儀式が有るようだ。

    日本には長い王朝の歴史が有って、貴族社会では勿論各種儀式が有った、と言うより祭政一致に近かった。元服~裳着、後世の武士にも源平は流派が違うようだが、勿論あった。それ以降は、それなりに大人扱い。

    現代は七五三、自治体の主催の成人式、これは自党への投票を目論んだ(笑い)、年齢の引き下げ(?)、伝統儀礼の厄年、還暦などあるが、ややもすれば意味は忘れ去られ、形骸化しているのは止むを得ないが、そこに見出すべき意義を感じられず、キリスト教由来の年中行事のような様相を呈して居るのは、根無し草が、その時ばかりは、見てくれだけの自己主張と言うのは、面白い現象だろう~~♪
    区切りが無くなって目標も不分明に成ってきていたが、戦前は男に、つまりは残りの半分の女にも大きな意味が有った、徴兵検査~兵役と言う大人への通過儀礼・国民としての自己への省顧の機会も無くなった。

    しかしまだ、皇室~伊勢神宮を始めとする大寺社はしっかり儀式を主宰・維持しているようだから、そこからいろいろ学ぶべきものは有ろうから、ガキにPCプログラミングとか詰まらん英会話を教えるより、国史・郷土史や伝統的年中行事・通過儀礼を教えた方が宜しかろうと思える。

    前にも小声で言ったが(笑い)、ドイツ人でもなく、ナイジェリア人でもなく、日本人でもなく、勿論火星人でもない、国際人と言うものを一匹で良いから、連れ来て見せてもらいたいものだ。

    経済も主義も大切で、均衡の取れた姿勢が大事だが、その国固有の歴史文化に基づいて形成された、人格と言うものが、意識されて、遅めの思春期までに触りだけでも教育した方が良いように思う、今は自由も持て余して、自覚無き迷子が続出だ~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      そう言えばもう暫くすると成人の日でしたか・・・。随分昔の事になるので忘れていましたが、ヤンキー青年のキンキラ羽織と、ヤンキー娘のチャイナドレス姿が目立つ昨今の成人式・・・。
      親の顔が見て見たいものですが、本来儀式には真剣に臨まねばならず、そこでふざけた事をやっているは成人の要件を外れている事を周囲に示しているに同じで、成人の免許を交付する事にして、その要件に達しなければいつまで経っても成人の権利を与えない法案でも作った方が良いかも・・・。
      かつて赤穂浪士の大石力が書いた手紙を拝見した時、これが14歳にして書ける書、文章かと感嘆した事が有りましたが、今では50を過ぎても同じレベルに達しない大人の多い事を悲しく思います。
      男女とも覚悟が足りないし、その覚悟の足りなさは親に起因している。モンスターの親からはモンスターの子しか出てこず、こんな者が大人になって経験を積んでも器の大きな者にはなれない。
      昔は不良でも、不良有ればこそ「義」や「信」を大切にしたものですが、こうした背景を失った不良は「ゴミ」にしかならない。
      自分らの成人式の時も愚かだったと思いますが、その愚かさが今は更に拡大して、ついでに重さがなくなってきている。
      成人は権利も取得するが、その権利には義務と責任もまた付帯している。
      ま、しかし少数の馬鹿をして全体を判断してはならず、多くの善男善女には「この国を頼んだぞ・・・」と、頼もしく期待も寄せたりしもしています。

      それにしても猫が一向に帰って来ない・・・。
      このサイトの表紙を見るたびに、何かが辛い気がします。

      コメント、有り難うございました。

現在コメントは受け付けていません。