「誰と闘っているのか」

2001年5月、平成13年大相撲夏場所のことだが、怪我で不調だった横綱貴乃花の復活が確定的かと思われたこの場所、貴乃花はこの日まで13連勝の快進撃、そして迎えた14日目、対戦は無双山だったが、何と横綱はこの一番で土俵際、無双山から突き落としを食らい転落してしまう。
貴乃花は土俵下で手を突いて立ち上がったが、土俵へ戻るその足取りは明確に片足を引きずる様子で、これを見た観衆たちは誰もが「もしかしたら怪我がまた悪くなったのでは・・・」と沈黙するに足る姿であった。

だが貴乃花の怪我は観衆が考える以上に軽い話ではなかった・・・、右膝半月板の損傷・・・、この膝では動くことすら痛みを伴い、ましてや相撲など取れる状態ではなかったのである。
親方はじめ、周囲は皆「休場」を勧告する、しかし貴乃花はその勧告に首をふることはなく千秋楽に出場、このときの対戦相手は武蔵丸であったが、この一番は話にならない取り組みとなり、怪我をした貴乃花は一方的に土俵の外に押しやられてしまう、貴乃花は13勝2敗で武蔵丸と並んだ。

千秋楽同日、優勝決定戦にまでもつれ込んだこの場所、少し前の取り組みを見ていた観衆、テレビでの視聴者は誰もがこう思ったことだろう。
「貴乃花、もうよせ、その怪我ではだめだ」
だが貴乃花はここで横綱の意地を見せる、おそらくこの一番で死んでも構わん・・・と思っていたのだろう、そう言う覚悟で武蔵丸に投げを打つ・・・、結果、貴乃花は豪快な上手投げで武蔵丸を土俵に沈め、見事に優勝を果たした。

そして狂喜乱舞する観衆のどよめきの中、あの名場面が現れるのである。
土俵に振り返った貴乃花の顔はまるで仁王像のように眼前を睨みつけ、両の手は硬く握られ、満身から「力」そのものが周囲を制するほどになって感じられ、微動だにしない姿がそこにあった。
観衆は見たことだろう、それを意識しようと意識せずとも、そこに日本人と言うもの、いや日本と言うものを・・・。

貴乃花は闘っていた、それも武蔵丸との対戦に勝利した直後から・・・、自分自身と自分の体と闘っていたに違いない。
「やった」と言ってガッツポーズをしようする、いやそこまで行かなくても、何らかの形で喜びを外に出そうとする自分の体と闘っていた。
だからその驕った精神を律するために口をきつく結び、眼前を睨みつけた、満身に力を込めて自身の体を律しようとしたのだが、おそらくこの自分との闘いの方が、武蔵丸との対戦よりも遥かに多くの「力」を要したに違いない。

「怪我をおして、良く闘った、感動した」、当時の小泉純一郎首相自らが表彰状を渡したこの優勝授与式でも、貴乃花は首相をしっかり見据え一礼し、その姿勢からは一点の驕りも高ぶりも感じられなかった、完璧だった。
私は相撲ファンでもなく貴乃花のことは何も知らないが、こうした貴乃花の横綱としてありように、ひたすら肉体を鍛え勝負に生き、その中で精神までも鍛え上げられた男としての姿、いや人間としての姿に「究極」を見させてもらったと思っている。

そしてこの貴乃花が自身と闘った様の中には遠く孔子が示し、道元が「古徳」と読んだ一つの人として有り様が潜んでいる。
すなわちそれは「驕り」であったり「高ぶり」に対する有り様だ。
この世には多くの人が存在し、多くの考え方があり、多くの状況がある。
今この瞬間をとっても幸せな者もいれば、不幸な者もいる、例えば恋人と上手く行っている人は普段男女のことなど、難しいことは考えもしないが、今恋人とうまく行っていない人はどうだろう、ましてや恋人ができずに困っている人は尚のことだ。

今この瞬間恋人と上手く行っている人は、2人きりのときなら何をしても許されるだろう、しかしひとたび他人が存在する社会に出るときは、そうした今幸せではない者のことも考えるのが大切ではないだろうか。

またこれは自分の身内の話でも同じことであり、私の知人に医師をしている者がいて、彼は子どもをやはり医師にしようと思っていたが、この子がどうしても学業が嫌いで高校を中退し、新聞配達の仕事で暮らし始めたことを知ってから、私は自分の子供がどこの高校へ入ったとか、どこの大学へ行くとか言う話をしなくなった・・・、と言うより一般論として自分の子どもの、少なくとも自慢話になるような話は誰に対しても避けるようになった。

自分が評価されることは嬉しいことだ、また自分の子どもや孫も、やはり人から評価されることは嬉しい。
しかしそれはあくまでも自分のことであり、他人から見ればそれはどうしても自慢話にしか見えないだろう・・・、そう言うことを考えて、子どもにも何かで勝ったとしても、いかに学業で優秀な成績を修めようとも、決して人前では喜ぶな・・・と言い続けてきた。

また知識もしかり、何かを知っていると言うことは、それだけだと唯道具を持っているだけで、しかもその道具は先人たちから自分が受け継いだものに過ぎない。
これをして人前で披露し、自身が賞賛され悦にいるなどは愚かさの極みであり、道具は自身が使い切ることができなければ、責任を持って後世の者に伝え、いつかそれを役立てて貰えるように努力するのが正しい道だろうと思う。

親切の奥には憐れみがあり、その憐れみのさらに奥には自己と他の比較がある。
その比較の中で自身が少しでも優位にあれば、人は他に施しをしようと思うが、その根底には自分がある。
すなわち電車内でお年寄りに席を譲るとき、これを「無心」で行える者はいない、しかしこれが例え憐れみであれ、自己満足でもそれを施された者にとっては同じことであり、そこにあるのは現実のみである。
そしてその施しを肯定できるか否定しなければならないかは自身の内にあり、それが憐れみや自己満足であるかは自身が決めることであり、この意味においては自身の有り様を、例えそれが好ましからぬものであったとしても、知っていることはまた尊い。
さらに周囲の賞賛を得ようがために行う善行であっても、それが為されないよりは為される方が良い。

今この瞬間にも病と闘っている者もいれば、悲嘆に暮れている者もいる。
悲しみの中で苦しみもがく者もいる、思った通りにならず焦る者もいよう・・・。
人を助けようと思う、人のためになろうと思う・・・、こうした心があるなら、それは何も金や物を恵むことだけがそうであるのではない、むしろ人を思いやり、人のことを思って自身の行動を見つめることもまた、もっとも尊い人に対する施しなのであり、これをして「徳」と言うのである。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「誰と戦っているのか」

    多磨霊園に加藤建夫少将の墓所が有る。散歩の途中に偶に立ち寄って、彼の履歴・伝えられている言動などを、暫し思い出す。

    たばこ好きで、果物好きで、風呂も好きだったらしいが、物のあるなしには拘らなかったようだ。その他、戦闘や人と形については、ウィキペディアその他に譲るが、彼は国家と国民の為、自己の在りように付いて考え、最後は1942年、戦闘中にベンガル湾で散華、帰らぬ人となった、合掌。

    何とか、帰還して再出撃~後進の指導に当たってほしかったが、適わず。

    尚、墓所は至って質素で有るが、他の墓所と似ていて欄干で囲まれているが、左右の門柱は、翼の断面を模したような紡錘系に近く、それが飛行隊隊長を僅かに忍ばせる。
    帝国陸軍軍人の一つの典型的人物だったと思われる。尚蛇足ながら、子息のお一人は東大の名誉教授。

    色々不思議な事が有るが、某横綱は、○○スペクトラム○○っぽい様で、或る種の集中力は常人成らざるものが有るが、勿論これは両刃の剣であろう、今度、新しい道のプロダクションに登録~入社した様ですが・・・

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      貴乃花親方、本当はあの時がピークだったのでしょうね。
      だから一回頂点に上った後の道が見えていなかったのかも知れません。
      誰しも目標までは頑張れても、運よくその目標が達成した後までは決まっていなくて、ここで迷ってしまうのかも知れません。
      その意味では晩年まで自身を汚さずに生きる事の難しさを痛感しますが、最後まで美しい生き方が出来た人は運が良かったと言うべきなのだろうと思います。
      振り返って自身を考えるなら、生まれた時から美しくなく、そして最後まで美しくは生きられずに右往左往して終わるかも知れませんが、これが自分と言うものなのだろうと思います。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「下を見る」

    多分、毎日入れ慣れた家の駐車場に後ずさりで入る時でも、多分何かの加減で、角度がずれて、途中で修正できなくなって、初めからやり直し、という事が有るだろうと思う。
    スーパーの駐車場で、混んでいる時は、周りの車に気を遣うと言う事もあるだろうが、少し中心線を外して且つ、曲がって止めてある車が有るのはご愛敬だが・・偶に全く混んで居ないにも拘らず、駐車の枠線から大きくずれて、且つ曲がって止めている車を見ることが有るが、これは聞いた所によると、性格が大らか~いい加減という事では無く、緊張して、一所懸命やってもあれしか出来ないらしい、詰まり一種の才能、勿論事故率も高い、ま、君子危うきに近寄らず、が正解の様だ~~♪

    空母から発進した索敵機~水平爆撃機~急降下爆撃機の操縦者は、殆ど下を見ているようだが(笑い)~~♪
    急降下爆撃機は、攻撃進路に入ってからは、水平飛行の最大速度より高速になるので、運動性能も高かったが、こちらも先方も、最大限の速度能力での運動中で、途中から進路変更は命中率を格段に下げ且つ被害を受ける率も高くなるので、臨界点までに計算上の最適に達しなければ、一旦戻って、再度進入をしたらしい。攻撃を回避しながら、爆弾を投下~命中させるには、敵の動きもさることながら、味方の援護が、思われるところで実施されている訳で、凄い熟練が必要であるが、向かないものが、訓練で向くようになるわけでは無い、今の平等教育は、しっかり自覚した方が良いかも知れない、急降下爆撃機もそうだが、初中等教育だって、個人ばかりではなく、実は国の運命が掛かっている~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      迷ったら基本に立ち返ると言う事でもありますが、同時に自分が何者なのかを忘れないと言う事でも有るかと思います。
      年齢を重ね、それなりに偉くなってしまうと出来ない事も増えてくる。
      ましてや上に在れば下を見ることは少なく、下の心は推し量れない。
      こうした者が作る品物と言うのは、やはりその人間を良く現して行くだろうと思います。
      輪島塗や伝統工芸の作品展で「おっ、これは・・・」と思う品が無い。
      何某かでつまらない感じがして、でも世の中は動いていて美しい物、「これは・・・」と思う物が沢山出てきている。
      端末、市場の最先端を忘れずに物を作って行きたいものです。

      コメント、有り難うございました。

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