「聖者」・2

ところが、ここで信じられないことが起こる。
痩せて歩くこともやっとの男が1人、並ばされている列から前に進み出ると、こう言うのである。
「妻子のいるその人の代わりに、私が死にたいです」
この言葉に一瞬にして整列させられている人の列からざわめきが起こった。
「コルベ神父だ」「神父さまだ」、皆そう言って囁きあった。
.
「貴様は誰だ」流石にいつもは冷酷な収容所長がここで言葉を発するが、たいてい看守任せで言葉など口にすることは殆どない所長は、こうしたことから少し動揺していたのかも知れない・・・。
「私はカトリック司祭です」コルベ神父は静かに答えた。
.
暫く沈黙が続く、何せ普段から反抗的な態度の囚人には、その場でこめかみに銃口を向け、引き金を引く人である。
何が起こっても不思議はなかったが、何故かこの時、所長は黙ってこの貧相なカトリック司祭を見ているだけだった。
どれくらい時間が経っただろう、多分ものすごく短い時間には違いないが、それが永遠のように感じられる時間が過ぎたかと思えたそのとき、「よし、お前が行くがいい」所長はそう言うと、その場を立ち去っていったのである。
.
こうしてコルベ神父たち10人は、地獄の餓死室へと連行されて行ったが、餓死室での人のありようは、大体皆同じような行動になると言われていて、数日間は絶望のあまり狂ったように叫んだり怒号を発したりで地獄絵図のようになるが、その声が日を追うごとに小さくなって、1人、また1人と餓死していくものだと言われている。
だが、この時餓死室に送られた10人の場合は、こうしたこととは全く異なったことになったようで、怒号や叫びの代わりに祈りの声と賛美歌が聞こえていた。
.
そしてそうした祈りの声や賛美歌もやがて小さくなり、その内聞こえなくなって行ったが、その中で1人、また1人と死んで行った。
当時死体運搬作業の役目をしていたボルゴヴィオクと言う人物の証言によると、毎朝死体を片付けるため餓死室に入ると、コルベ神父は餓死室の真ん中にひざまずき、また立ったまま熱心に祈っていたと言う。
やがて10人が餓死室に入って14日目、この時中の様子を見に入った看守達が確認したときは、4人しか生存者がいなかったが、その内意識があったのはコルベ神父ただ1人だけだった。
.
しかしそのコルベ神父も、もはやひざまずく力もなく、餓死室の隅で土下座した格好から起き上がれない状態で、それでも祈っていたと言われている。
通常餓死室では15日をめどに、もし生きている者がいればフェノール液を注射して全員絶命させることになっていたが、コルベ神父は看守達が持っている注射器を見ると、ただ黙って頷いた・・・。
.
1941年8月14日、マキシミリアン・コルベ神父はこうして、自身が祈り続けた聖母マリアの腕の中に帰って行ったのである。
この時神父が死んだことを聞いた収容所の人たちは、皆がおくめんもなく激しく泣き崩れ、その死を嘆いたと言われている。
.
1971年10月17日、こうしたマキシミリアン・コルベ神父の信仰の深さを称えたヴァチカンは彼を「列福」し、1982年10月10日にはパウロ2世によって、彼は聖ピエトロ大聖堂に措いて列聖された、つまり聖人とされたのである。
ちなみにこの1982年10月10日の式典にはガイオニチェクと言う人物がヴァチカンの式典に参加しているが、彼は一体誰だと思うだろうか・・・、そうあのアウシュヴィッツ収容所でコルベ神父に助けられた彼だった。
彼もまたあれから厳しい収容所暮らしに耐え、戦争を生き抜いていたのだった。
.
私は神を信じることはできないかも知れない、でもこのマキシミリアン・コルベと言う人物は信じることができる。
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

1件のコメント

  1. 「ラプラスの悪魔」1・2

    出来ない事は出来ない、全くだけれども、出来ることも出来ない、と言い張る状況も多くなってきたかも知れない。それは単なる無知や未経験やその他の要因も絡んでいるかもしれないが、最も大きいのは費用と必要か不必要かという事も有るが、幸不幸も関係してきそうだ。

    東北の或る地域で、十数メートルの堤防を作る決断をしたところも有るし、二十数メートルの堤防を作らない決断をしたところもあるが・・その作った地域に、20年後に人が住んで居るかどうかは、はなはだ疑問だ。作った頃の住民は、恐怖からの解放や・安心感で住むかもしれないが、半世代~一世代後の人々が、海岸に住んで居ながら、海が全く見えず、漁のたびに、堤防を行き来するのは、無力感に襲われて、人生の満足度を著しく下げるだろう。

    インドの辺鄙な村で、子供が病気になって、親は祈祷師に頼んで、退散を願ったが、結局功を奏さず、死亡するという事例は今でも比較的有るらしいが、現代医学でも難病で救えないという事より、無知から来ることが多い様では有るが、適当な治療を受ける場所まで遠いという事も有るし、費用が弁済できないという事も有るだろうし。それでも、家族も本人も信じて居れば、その間は、幸せな感覚の中で生きて、そして夢中に死を迎えた方が、幸せかもしれない。甚大な後の生活の困難より、新しい運が良ければ健康な生命が入れ替わりに出現するかもしれない。

    現代の日本の終末医療でも、どこまで選択するかの重大問題は良く論議されていない様に思える、お花畑理論で、苦しみを長引かせるのは、生命の進化の在り方を蔑ろにする暴挙かも知れなし、弥陀の慈悲に反するかもしれないという恐れを持っていた方が良いかも知れない~~♪

現在コメントは受け付けていません。