「日本人の価値観」・2

だがしかし、一方で全く大衆には別世界の工芸や伝統の世界の価値基準を判断することは、個々の単位では難しいと皆が思うことから、このような不完全な制度でもそれを頼るしかない現状もまた存在し、こうした人間国宝や芸術院会員は、例えば大学の教授や講師を兼任している者も多くなっている。
場合によっては美術大学の教授でありながら、人間国宝、芸術院会員と言う例まであるくらいで、こうした人間国宝や芸術院会員のやることは、もともとその地域で伝統に根ざした工芸ではないことから、各々の技術を絶対的なものとして、本来地域に存在してきた本当の伝統工芸を否定する傾向が発生し、そこに恣意的な芸術世界が顔を出す。
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このことからもともと伝統工芸発展の為に制定された制度は、逆に伝統工芸を破壊して行く方向に動き、そこにあるのは大学の授業のようなアマチュアリズムでしかなくなってきている。
また景気が悪くなった伝統工芸の産地は、藁にもすがる思いで、こうした権威に近づこうとするが、その動きは一般作家にも同じように波及し、そこに現れるものは伝統工芸ではなく、アマチュアリズム、それも非常に具合の悪い精神性を持った「傲慢」と言うものを生んでいる。
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日本の伝統産業が衰退する理由は単に景気が悪いだけでなく、こうした背景を持っていて、これを改善するには人間国宝や芸術院会員制度の廃止、もしくは最低でも大学などの教育機関との分離であるが、大学の教授をしていて、それで何かの人間国宝、国を代表する技術者と言うのも、初めから矛盾があることを考えない文部科学省の見識がそもそもどうかしている、この辺は早めに改善した方が良いと私は思う。
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またこのように不安定な土台でしかない、そうしたものを価値基準とする日本人の美的基準は、更なる基準下落をもたらすことを認識する必要があり、これは具体的には何を意味しているかと言えば、大学やその教授、評論家や総合研究所と言ったもの、または自称知識人によって、文化が壊されて行くことであり、その文化を支える「心」が壊されて行くことである。
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例えば今日本海側では「朱鷺」(とき)が飛んできたと言う話が毎日のように新聞を騒がせているが、この鳥は50年前には絶滅した鳥であり、それは環境の変化と言う自然な流れのものだった。
なおかつ、こうした鳥はサギと同じで、田植え直後の田んぼに入って、その苗を踏んで枯らしてしまうことから、農家では嫌われていた鳥である。
しかしどうだ、人工孵化させ強制的に野生に放たれたトキは、毎日人に監視され、足には追尾発信装置が付けられ、全く人間の管理のもとにまた現れてきた。
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そしていい年をした、昔なら老人と言われる年代の者が、トキを守るためにイタチやテンは皆殺しにする勢いで、トキさまとあがめ奉り、自作の歌を作ってCDまで出す有様であり、それをまたマスメディアが取り上げ、自称農家のオヤジまで田んぼに飛んでこないかと騒ぐありように、この世の終わりを見る気がする。
一体このトキ1羽に幾らの金がかかっていると思うだろうか、自然の状態で絶滅したものを無理やり復活させ、飛ばすその費用はおそらく1羽数億円の単位だろう。
その片方で自殺者は3万人を超え、都市部では孤独死が激増し、若者は職がなくて困っている。
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町並みは確かに綺麗になったが、やはりそれはどこかで見た町並みと全く代わらぬ景色で、カラー舗装された道路には人は歩いていない。
私は昔、アフリカで砂漠の中で朽ち果てて行く教会、その廃墟となった建物をを見たことがあるが、今にして思えばあの廃墟の方がこうした町並みより遥かに美しさがあった。
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日本人は価値反転性の競合、いわゆる劣悪なもの、少数なものに対する評価はここ40年ほどの間に身につけた。
しかし本当に良いものの基準は伝統的に持ち合わせていないばかりか、皆でそれを放棄してきた経緯がある。
そしてそのことが何をもたらしたかと言えば、400年以前を越える芸術の発生を阻止し、少しずつ芸術を小粒にしきてしまった事実であり、言葉や人のありようにくるまれた「まやかしの芸術」の台頭であった。
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その結果、日本人が得たものは「他」との違いを愚かな事と見る封建的思想であり、そこに潜むものは「自信のなさ」、より多くの者が支持することをしてしか自分の置き場を持てない、その思想のなさである。
誰かに笑われないための選択、流行に後れないための「個性」、そうした主体性のなさが、僅かに一般庶民より知識があると自己申告する者たちを増長させ、そこに有ろうはずも無い権威を発生せしめた。
そしてそれに支配されることで安心している日本人の姿があり、これが今の日本の停滞に繋がっているように私には見える。
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せめて好きな花や、自分の食べる物ぐらいは自分で決めないと、味覚音痴の食通が評価する食事に舌鼓を打ち、人の畑で花開いた自己顕示欲と言う仇花を、これまたコーディネーターが選んでくれた花筒に飾って、私ってセンス抜群・・・、などと思うことになるのではないか・・・。
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

1件のコメント

  1. 「形の無い効果」1・2

     トラは死して皮を残すかも知れないが、ヒトは死して、色々違うが、ほんの一部は兎も角、大抵は、ロクなものが無いが、それで良い。

    キノホルムはスモン病を発症させた疑いがあるが、ビタミンB12と併用されて(?)アルツハイマー型認知症に効く(?)とも言われているらしいが、この病気が軽癒した、と言う臨床報告は余りないようにも思える。

    ヒトは生きる「意志」が強い場合は、脳も他の臓器もそれなりに影響を受けることもあるらしいが、進化で組み込まれた機構が、生命を維持する事が出来る限度を超えると、苦痛やらを軽減する場合もあるようだし、死に目標を決めて動き出すこともあるようだ。
    可なりの老齢で、骨折して、長期入院をすると、骨髄から、ボケ信号が強力発射されて、無事にボケて、他は機能を低下させて、死に向かうらしいが、勿論救済であろう。

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