「夏の日の怪」

2010年8月1日午前10時49分、名古屋発富山行き特急「しらさぎ1号」は定刻どおり石川県野々市駅(いしかわけん・ののいち駅)を通過しようとしていた。
この列車は8両編成の特急で、通常野々市駅には停車しない。
そのことから運転暦11年の男性運転士は、時速130km程のスピードで野々市駅を通過しようとしていたが、前方を見ればこの駅の向かって右側のホーム中ほどに、男性と見られる人影が見える。
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「おかしい、この特急は止まらないことは皆が知っていることで、それにも拘らずなぜあんなところに人が・・・」
運転士は一瞬嫌な予感がし、その男性に注意の警笛を鳴らし、ブレーキに手をかけた。
だがその時だ、その男性らしき人影はゆっくりとホームの縁を越えて、そしてホームから線路に落ちてしまったのである。
「だめだ、間に合わない」
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運転士はブレーキをかけたが、時速130kmのスピードで、ここから男性が転落した場所までは200mも無い、絶対間に合わない・・・。
特急は激しくきしむような音を立てて減速して行ったが、それでも停止した時はホームを軽く120mも過ぎた所だった。
「ああ、やってしまった・・・」
運転手は呆然と前方を見詰めるが、それも一瞬のことで、はっとして無線のスイッチを入れた彼は、JR西日本金沢支社に「ホームから人が飛び降りてそれを撥ねてしまった」と報告すると、慌てて特急の下に人がいないか確認しに電車を降りて行った。
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またこの通報を受けたJR西日本金沢支社の担当者や、松任警察署員(まっとう・けいさつしょいん)たちは最悪の事態を想定して現場に駆けつけた。
現場は昨年も女性の飛び込み自殺があった野々市駅近くの「御経塚踏み切り」(おきょうづか・ふみきり)付近で、事態に驚いた特急の乗客は騒然となり、付近住民も物凄いブレーキの音に驚き、そして駆けつけ、あたり一体は時ならぬ大混乱に陥っていた。
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そして撥ねられたとみられる男性の捜索が行われたが、通常鉄道事故の場合は体がバラバラになっていることが多く、これを捜索するのは事件、事故の現場に慣れている警官にとってすら気の重いことだったが、1時間ほど特急の通過線路を中心に捜索が続いただろうか、やがてみなが一様に首をひねりだす。
「おかしい・・・」
撥ねられたとするなら例え体の一部かも知れなくても、死体かそうでなければ怪我をした人がどこかにいるはずなのだが、どこにも死体も無ければ、けが人もいない。
「これはどうしたことなんだ・・・」
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気温33度、焼け付く線路を野々市駅から御経塚踏み切りまで120m、くまなく探していた警官やJR職員達は、汗で色が変わってきた制服以上に暗い顔つきでみなが集まり始めた。
「何か見つかったか」
「いや、何も見つからない」
「おい、おい、この暑さで運転士は夢でも見たんじゃないか」
やがて捜索している警官達の中からそんな声が囁かれ始める。
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これに対して内心不安になってきたJR職員達は、運転士にもう一度確かめるが、「確かに撥ねた、ホーム真ん中付近を通過する時衝撃音があった」と、運転士は頑として譲らない。
だが状況は運転士には不利なものだった。
この野々市駅には職員が1人しかおらず、実際はホームに転落したとされる人影を見たものは運転士1人だけなのだ。
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おまけにこれだけの事故だ、人が撥ねられたのならどこかに血痕ぐらいはあっても良いはずだがそれも無い、そしてこの暑さだ。
撥ねられた人の捜索はそれから更に30分程は続けられた。
しかし血痕の一滴、肉片の一片、また怪我人もいないのでは、それ以上どうしようもない。
運転士は別の意味で警察から事情を聞かれることになり、そしてこの特急は1時間30分遅れで現場から運行を再開し、この事故?で金沢から松任間の上下線で特急、普通列車10本が運休し、合計24本の列車で最大1時間52分の遅れを出した。
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嘘を言ってるとも思えないしな・・・、運転士から事情を聞いていた松任署の取調官、彼をしても頭を抱えるこの事故は、どう処理したものか悩む事故だった。
結局のところ、運転士の見間違えと言うことで落ち着くしかないか・・・と思っていたその時だ、1本の電話が入る。
実はこの列車事故の際、先頭車両左側の乗務員用のステップが曲がっていたことが確認されていたのだが、それがこの事故で発生したものか、以前からあったものなのかが分らなかったことから、これをJR西日本車両係りに確認させていたのだが、JRが確認したところ、6時間前の整備ではそのステップの変形は無かったとの電話だった。
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となると・・・、間違いなくこの特急は何かを撥ねたことになるが、その何かはどこへ行ってしまったのだろうか・・・。
関係者は頭を抱えている。
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そしてこうしたいわゆる「死体なき鉄道事故」だが、意外に頻繁に起こっている。
2007年12月13日には、名古屋発札幌行きの貨物列車を運転していた61歳の運転士が、青森市奥野付近の線路上でうずくまる老婆を発見、ブレーキをかけたが間に合わず、やはり撥ねてしまうが、その後幾ら捜索しても死体もけが人も発見されなかった。
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また東京駅でもホームから転落する人影を発見した運転士が、同じようにブレーキをかけたが、電車はホームを過ぎてからやっと停止し、そこから転落した人の捜索が始まったが、どうしたことかこの時も死体もけが人も発見されず、「死体なき鉄道事故」と騒がれた時があった。
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更にイタリアはフォルリ、ここでも1977年、貨物列車の運転士が昼間、列車の進行方向と同じ方向に線路上を歩く男を発見、慌てて警笛を鳴らしてブレーキをかけたが、男は振り向きもせずにそのまま貨物列車に撥ねられ、ここでも2時間近く捜査員達がけが人はいないか、死体はないかと捜すが、死体もけが人も見つからなかった。
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意外と知られていないが、日本国内だけでも平均で10年に7件から10件、こうした「遺体なき鉄道事故」が発生していて、その原因については殆どが運転士の「見間違え」とされているようだ・・・。
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※ 本文は2010年8月2日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。