「祭りと言う観光資源」・2

 

だが、こうした祭りが変遷を始めたのは昭和40年代後半からだろうか、経済が豊かになり、一般大衆が気軽に旅行できるほどの社会になった頃から、祭りは地域と言う「内」から完全に「外」に向かう事になるが、それを象徴する言葉が「観光資源」と言う言葉であり、地域が持つ祭りを「資源」と考え始めた頃から、祭りの本質は「祭り」から「フェスティバル」へと変わって行った。

すなわち神道の儀式と言うあらゆる合理性の外にあるものが、資本化されると言う合理性の波を被ったのであり、ここで資本化された祭りは、儀式本体と人の集まりの分離を起こしていったが、考えるに国連憲章の宗教の自由と言う発想は、こうして日本の祭りを考えるなら、資本主義の一部であるかのような姿を現し始めたのだった。

そして「正義」が必ずしも人の暮らしに幸せをもたらすとは限らないように、またスペインによって文明と言うものと接触した南米の先住民族が、「風邪」によって滅んでいったように、日本の祭りもグローバル化と観光資源化によってその内情は衰退を始めて行ったのであり、結果として地域は祭りを取り上げられ、そこから自主性を失って行かざるを得なくなってしまった。

人間にとって最も危険なことは、労せずして得られる快感であり、これは麻薬がそうだが、同じように企業にとって最大の危機は、何もしなくても金が貰える状態であり、この場合は補助金と言うことになるが、祭りの危機とは、やはり同じような原理で発生してきた、行政や「誤解された文化」による祭りへの介入と言うものだ。

観光資源化された祭りは、まずその経費負担が住民から行政へと移行し、これに伴って地域社会は緩やかな結束を失うが、そこへ参入してくるものはグローバル化し、どこかで勘違いしている、自分を文化人だと思っているボランティアや地域リーダーと言う存在だ。

彼らはおしなべて都会と田舎を繋ぐと言う自負心を持っているが、彼らの中に有るものは「自負心」と、自分は田舎者とは違うと言う「自尊心」がその原動力であり、ここにはしっかりした歴史的背景や、非合理的なものの中にある存在を容認できる寛容さがなく、そこから祭りの本旨であった儀式の形骸化が始まり、外に向かうだけが唯一の価値観のような傾向が始まって行く。

やがてこうしたことが何年も続くと、地域住民は観光の為に祭りをしている意識となっていき、そこには祭り本来の精神性が完全に失われ、それまで地域住民の寛容な気概で振舞われていたものが、今度は地域活性化と言う「責任」となって地域住民に迫ってくることになる。

また勘違いした文化論者は次に「保護」を名目に祭りを考え始め、ここでも議論されることは祭りの意味ではなく、いかにして人を呼び込むかと言うことが主眼となり、やはり祭りは保護されるどころか、ますますその資源化傾向を強めていき、ここについに人に見せるだけ、マスコミ取材のためだけの祭りが発生してくる。

そしてどんどん衰退する地方は、言わばマスコミ中毒、何某かの都会からの反応がないと寂しくていられなくなる状態になり、今度は根拠のない新しい祭りを始めるようになるが、もともと存在した祭りでさへ継続が難しい現状でのこうした傾向は、伝統ある祭りを更に衰退させる要因になっている。

つまり祭りは既に、かなり無理して観光の為に地域が無料奉仕しなければならない「見せ物」になってきているのである。

地方では人口の高齢化から、それまであった神社の維持が難しい地域が現れ始めているが、私にはどこかでこうした神社や祭りが、観光資源として資本主義に食い荒らされて捨てられたような印象がある。

観光資源化されなかった地域の地蔵や、石を道祖神とした「石神」などには、その地域にどれだけ人がいなくなっても、今も花が供えられ、粗末であっても供物が捧げられている。

実に神や祭りに対する思いとは、こうしたことが基本ではないかと思うのである。

観光資源といえば何となくそれらしいが、およそ1人の人間よりはるかに長い歴史や経緯を経てきた自然や伝統文化に対して、高々80年ほどしか生きられない者がそれを金に換えたようなことを思う、その貧乏臭さと傲慢さに今の日本の窮状が重なってしまうのは私だけだろうか・・・。

 

 

 

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「祭りと言う観光資源」・2

    全く同感でございますなぁ~~♪

    最近頓に地域活性化になれば・・とかが、無検証に正しいと思い込んでいるような、言辞が多いけれども、多分、本来やっちゃ行けない事を、上手くいかないからと、訓練して上達するような(笑い)、「縮まらない男女格差」も同類~~♪

    ちょっとずれて、暫く前に、「特殊詐欺」に加担して、露見して逮捕されて「今は痛烈に反省している、遣らなければ良かった」とか言われても、逮捕されなかったら、良かった、としか聞こえない、法律が有ろうが無かろうが、罪刑法定主義だろうが何だろうが、「弁護士」が基本を知らい(笑い)、動物はDNAでかなり規定されているが、ヒトの場合は、社会とともに規範は動くが、しては成らないことがそれなりに有って、そんなことは説明責任とかからは埒外と言う事が、理解されていない~~♪

    大相撲が面白くないのは、神事の延長だという基本的伝統を理解していない異邦人が、多数加入して、協会も活性化を喜んで、スポーツ化したから。悪い見本が、これに先行して「柔道」が辿った道を歩いている。昔は贔屓にしていたが、大鵬引退後暫くして見る気が無くなった、せめて「剣道」はスポーツ化~グローバル化して、他民族に蹂躙されないように矜持を保ってもらいたい~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      すでにもう完全に衰退しきってしまった感がある当地の伝統ですが、冬の田んぼの畔にイルミネーションで観光客を呼ぼうと、今のところ少しは人も集まっているようですが、どこが世界農業遺産の光景なのか、まったく理解に苦しむところです。
      金さへもうかれば何でも良い、言葉でならどうにでもなると言う、愚かな驕りが見え隠れする。
      田舎故の愚かさなのでしょう。
      もう有能な人材もいなければ知恵もない。
      経済は破綻していて町そのものが破滅に向かっているのが良く分かります。

      それでもまた今年も春が来れば、私は田に苗を植える。
      こうした基本的な営みこそが大切な気がします。
      雪が降らないので、どうも感じが出ないし、若干の恐れも感じる。
      令和2年は、何となく波乱か・・・(笑)

      コメント、有り難うございました。

  2. 「貧相な少女」

    全くでゲスなぁ(夏目漱石風)~~♪

    人は概ね、知識と経験にもよるが、見たいものが見えて、見たくないものは見えない、勿論想像も働かないし見えないから(笑い)考察は無し、ま、そんなものだと思って、自ら進んで国家の指導者になった方は、政策を決定した方が良さそう、正しいから出来るわけでもなし、そうでない事でも多数決の壁~~♪

    銀行でエリート街道をのし歩いてきたカグヤ姫が、家業を継いで、数年で内部留保を使い果たして「売家」と唐様で書く2代目、お気の毒っちゃ、そうだが、分かりやすい見本として、どっかの博物館に展示してほしい。

    『日本の面影』ラフカディオ・ハーンに、自分の夫と弟が港のすぐ前で遭難死した話を終わって、彼女はすすり泣きをしないでは居られなかった。それから突然畳に頭をすりつけるようにして、袖で涙を拭きながら、ついこのように私情を洩らして済みませんと、丁寧に詫びて、それから笑った。・・・それは日本の礼儀作法の神髄とも言うべき、物柔らかい低い笑い声だった。私は告白するが、この笑いは話そのものよりも一層深く私を感動させた。~~自分たちの旅行の話をすると、彼女は喜んだ。ここで。「鳥取の布団の話」をこの女中から聞いた。

    百田尚樹:「日本国紀」に、幕末の動乱の中で、多くの武士が日本の未来をかけて戦っていたその時も、庶民は日本の美徳を失うことなく毎日を懸命に生きていた。トロイアのハインリッヒ・シュリーマンの渡し船の船頭の話、公使のラアザフォード・オールコックの犬を宿屋の主人が丁寧に埋葬してくれた話、イザベラ・バードの馬子の話、ESモースの旅館の金時計と金子の話など・・・誠実で、嘘を吐かず優しい心を持っていた日本人の姿がある。

    沢田某の「安全への逃避」~芥川某の「地獄変」

    大抵のものは時間と共に劣化するけれど、同時に輝くものも生まれるが、近ごろは劣化一辺倒の代議士が、大量増殖中~選挙のたびに理念無く離合集散して当選を図り、選挙後は国民そっちのけで崩壊・分裂の繰り返し、勿論これも国民の鏡~鑑かも知れない~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      この記事は2012年ごろに書いたものだった気がしますが、今を時めく北欧の少女が現れ、何となくタイムリーなのかなと言う感じです。(実は偶然ですが・・・)
      結局人間は見たいものしか見ていなくて、聞きたい事しか聞いていない訳ですが、それを現実や真実、危険なことを言えば「正義」として動いていく。
      そしてみんなで誤りをやっていくのが人の歴史だったのかも知れません。
      トランプさんや文さん、安倍総理などを見ていると、ずいぶん人間の社会は劣化したものだと言う気がしてしまいますが、これでも政治的指導者な訳です。
      世界中もう見たいものも聞きたい事もなくなってきたのかも知れませんね。
      今はもうこの言葉を使ってはいけないのかも知れませんが「白」と「痴」と言う字がぴったりの気がします。
      そして鎌倉北条政権は滅びた・・・(笑)

      コメント、有り難うございました。

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