「RNA1本鎖ウィルスと生物」

遺伝情報に関してその設計図となるのがDNAだが、「複写」機能を持つものをRNA(リボ核酸)と言い、その多くが1本の鎖を持つ事が知られている。

このRNA1本鎖核酸をウィルスと言うが、進化過程から言えば生物的条件である自己増殖を放棄し、寄生転写に拠って増殖する方式を選択した、生物から進化した半生物と言う事ができる。

従って単体では増殖できないが、付近に存在する数の多い生物細胞に侵入し、自己のコピーを大量増殖させて行く為、寄生された生物はあらゆる変調を起こし、その変調の程度は風邪の諸症状のようなものから、感染後死亡率40%以上のものまで存在する。

ウィルスの多くは人体や他の生物の体内に常に存在し、これらのウィルスに感染すると言う事は、そのウィルスの抗体が体内に形成されたと同義を持つ。
その為、体内にウィルスを持つ動物はそれ以上感染しないが、非感染生物である人間がこうした感染後の生物に接触すると感染症状を発症する事になる。

更に体内に入って後、環境の変化から転写コピーが正確に行われないものが発生して行くと、感染症状が簡単に変化していき、似て非なるものが短時間で発生してくる。

過去文明期以前の人類はこうしたウィルスの侵入に対し、自己耐性でこれを克服、抗体を得て総合免疫力を高めて行った経緯を持つ。
すなわち感染して生き残る事で免疫力を獲得して来た訳だが、当然感染して死に至る個体も多く存在する事になる。

弱肉強食の世界で生きて行くには、こうしてミクロとマクロの観点から力を付けて行かねばならなかったのであり、この事が人類全体の生命力を支えて来たともいえる。

またウィルスの毒性はどんな生物もそれを殲滅できない。
感染後死亡率100%のウィルスは存在しないのであり、1種の生物もまた全てがウィルスに感染しても、17%ほどは確実に生き残ると言われている。

感染後の死亡率はその地域全体の体力にも関係している。
貧しい地域では感染後死亡率が高く、密度が濃くても感染後死亡率は高くなる。
この意味では封鎖地域を設けた場合、その地域の死亡率が高くなる事を覚悟する必要が有り、歴史的に多くの場合、封鎖された地域は「見捨てられた」と同義になったケースが多い。

スペイン風邪の感染後死亡率は2・5%ほどだと言われているが、エボラ出血熱では40%から70%(正確には解っていない)
コレラが40%から50%となっている。
今般流行しているコロナウィルスは現在のところ、推定で感染率1%から10%、平均5%で、感染後死亡率は1・144%くらいではないかと思われる。

勿論これは各国の感染阻止努力の成果に拠るところが大きいが、スペイン風邪に比べれば比較的軽微な感染症と言う事ができる。
ただし各国ともこうした軽微なウィルスに弱かったのは「経済偏重主義」だった為で有り、本来は金にしてはならない事で利益を得、本来価値のないものを過大価値換算していた為と言える。

その為経済的被害が一番大きくなるのである。
株式を例に見ても、本来は資金調達手段だったものが、投資と言う2重価値になり、今では3重、4重の仮想価値が乗っているから、こうした非常時には仮想部分が消失するのである。

ウィルス対策には2つの方法が有る。
その1つは「何もしないで、平常通り社会運営する」方法だが、これは生物的な見地から弱いものが死んで、力の有る者が生き残る方式だ。
生物学的には最良の方策と言える。

ただし、死んで行く者が妻や夫、親や兄弟、そして病に侵されている者だとしたら、社会とはこうした関係性を維持し、皆が共存して有る程度の暮らしを送れるを目指し、これを理想としている。
としたら現状を維持する為に、蓄えられた財を全て使うのが2つ目の方法であり、人間社会の正義と言えるだろう。

そしてこの財は現状をカバーできるまでには至らず底を尽く。
それゆえ部分的に生物学的最良要件を包括しながら、最大限社会システムを維持する方向で、感染抑止、死亡者の減少努力を計る形で進んで行くものと思われる。

つまりウィルス対策Ⅰと2が混合して進んで行き、最後には経済システムが完全に崩壊するかも知れない。
しかし、金くらいはまた頑張って稼げば良い。
命さへあれば、また何だってできる。

このウィルス騒動は少し先の産業構造に変化をもたらすだろう。
テレワークの進捗、あらゆるものの価値観の再編成と、虚業経済の縮小、国家概念の変化、それに言いたくはないが、人を殺さず経済を殲滅する、経済兵器と言う概念も一般化するかも知れない。

今、世界各国の政府に言いたい事は、先へ行って破産しようが、とにかく人命を救えと言う事で有る。
国家とは人であり、豊かさとは人である。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。