「それでも地球は回っている」

夜空にまるで果てしなく続く抒情詩でも描かれたかのように煌く星座、この星座の起源は古代バビロニアにその端を発していると言われているが、5000年前、チグリス・ユーフラテス川流域に生きた古代都市の人々もまた、星に何を願ったのだろうか・・・。

明るい星どうしを線で結び、自分たちが使う道具や動物などの姿に星を当てはめ星座とするこの有り様は、その初期段階に措いて農耕や遊牧、魚漁、航海など、生活上の必要性から発生したものと言われているが、時の流れ、季節の移り変わりを知る上で、これ以上正確な「暦」はなく、それは現代社会に至っても何ら変わることはない。

そしてこうした星座は、やがてギリシャに伝わり、ギリシャ神話と結びつくことにより飛躍的な発展を見せ、このことがギリシャに措ける天文学の発展に大きな影響を与えたのであり、これらの研究成果はプトレマイオス(2世紀)が編纂させた「アルマゲスト」に集大成され、ここには48の星座が記載されている。

以後千数百年、このプトレマイオスの星座は確固たる地位を保ち続けるのだが、やがて大航海時代を迎える頃になると、それまではその必要がなかったことから、空白となっていた南天の星についても星座の必要性が発生してくる。

その為いろんな者たちによって、新しい星座が数多く考え出されたが、こうした経緯はまた、一方で誰のどの星座を採用するかを巡って大混乱を発生させる事ともなって行った。

現在我々が使っている星座は「国際天文学連合」(IAU)が1922年に設置した専門家委員会によって、8年の歳月を要し検討した結果取り決められたもので、全天88星座と星座境界線がこれによって確定したのである。

1930年のことだった。

また16世紀、コペルニクスが提唱し、ヨハネス・ケプラーとガリレオ・ガリレイが支持した「地動説」だが、実際に始めて地動説が提唱されたのはギリシャ時代まで遡る必要がある。

ピタゴラス学派(紀元前570年ー紀元前497年)のフィロラオス(紀元前5世紀中頃)は地球が「中心火」の周囲を運動していることを唱え、ヒケタス(紀元前4世紀)やエクファントス(紀元前4世紀)はフィロラオスの「中心火」を「太陽」と概念し、ここに太陽中心説が提唱され、地動説の芽が顔を出した。

そしてこうした理論を元に実証的な理論を展開したのは、ピタゴラス学派ではなかったが、アリスタルコス(紀元前310年ー紀元前230年)であり、彼は太陽と月、地球の大きさと距離の測定を行い、その結果地球は太陽の周りを自転しながら公転していることを提唱したのだが、いかんせんこれらの説は、偉大な科学者アリストテレス(紀元前384年ー紀元前322年)によって提唱された「地球中心説」、いわゆる「天動説」によって埋没させられてしまったのである。

それから次に「地動説」が日の目を見るのは、ギリシャ時代から1800年近く経過した中世ヨーロッパであり、レオナルド・ダ・ヴィンチが天動説に疑問を持ち、アリスタルコスの説に影響を受けていたコペルニクス(1473年ー1543年)が、これに観測的な実証と幾何学的な理論を展開し「地動説」を説いた。

更に当初、このコペルニクスの「地動説」を反証しようと火星観測を始めたティコ・ブラーヘ(1546年ー1601年)の20年にも及ぶ記録は、いみじくも彼の意思に反し、ケプラーの法則やニュートンの万有引力の法則へとつながり、これによって「地動説」は理論的に確立されることとなったのだった。

「それでも地球は回っている・・・」は実に1800年の長きに渡って叫ばれてきた地球の本当の姿だった訳である。

またこれはもしかしたら余談になるかも知れないが、こうした星や月、惑星を観測するための望遠鏡に付いてだが、望遠鏡が発明されたのは1608年、オランダの眼鏡商リッペルハイによって、偶然がきっかけとなって作られたものだった。

この話を聞いたガリレオ・ガリレイ(1564年ー1642年)は何と望遠鏡を自作し、1609年、彼はこれで天体観測を行って多くの発見をして行ったのである。

だがガリレオのこの望遠鏡は接眼鏡に凹レンズを使用していたため、その視野は極めて狭いもので、1611年にはケプラー(1571年ー1630年)によって接眼鏡に凸レンズを使った改良型が作られ、これ以後「屈折型望遠鏡」はこの形式が続いていったが、屈折式望遠鏡の欠点である色収差を改良しようとしたニュートンは、1668年、対物レンズに代えて凹面鏡を使った「反射式望遠鏡を」を発明した。

そして初期の反射式望遠鏡は金属鏡が使われ、イギリスのハーシェルなどが大型の望遠鏡を製作したが、現在我々が使っているような反射望遠鏡の元となったものは、フーコー(1819年ー1869年)が作ったものであり、ガラス鏡にメッキを施し、鏡面テスト法もこの時開発されたものである。

ウィルソン山天文台の2・5m反射式、パロマ天文台の5m反射式望遠鏡、現代はこうした大型望遠鏡の時代を経て、地球の大気圏外では人工衛星に搭載された宇宙望遠鏡が高精度の観測を行い、地上ではその口径が8m、10mと言った超大型望遠鏡によって、この宇宙の謎に迫ろうと観測が続けられ、近年に至ってはX線や素粒子、または電波望遠鏡など、その姿無きものを観測することによって、宇宙の姿を捉えようと言うところまで技術は進展してきている。

だが、星を眺めてどこかで自分が素直な気持ちに戻れるような思いがするのは、5000年前、いやもっと以前からきっと変わることのない、人の事実なのだろう・・・。

 

 

 

 

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「それでも地球は回っている」

    キャンプ、オートキャンプ、山歩き、何でもいいけれど、中には、ローストビーフだのシチューだの手の込んだ料理を作って、下ばっかり向いている連中が多い様にも思えるが・・そんなものが食いたければ、家で作るか、キャンプに来るお金が有ったら、それなりの食堂に行けばよいのに、誤解している連中が多い。

    ナスカの連中は2千年位前に、乾燥地帯で、食物も余り無かったが、星を見て、色んな想像をして、一人でもしくは友達と協働して、地上に、色んな絵をかいて、人生を楽しんだ、長生きすればいいと言うものではない。宇宙人でもなければ、宇宙に見せようとしたのでもない、無いだろう。

    1人で出かけて、海岸でも山でも、簡単な物を食べたるか、そこで調達したものを頂いて、野天に寝転がって、寝袋の中から、星空を見て、潮騒を聞いて、自分がそこに居るに至った、生命の連続性や宇宙に思いを巡らせば良いのに、TDLやカラオケ、ゲーセンで楽しむか、金儲けの為に、時間を使い果たす人々がなんと多い事か(笑い)~~♪
    もっと酷いものになると、毎日お腹がはちきれそうになるまで食べて、前後不覚になるまで飲んで、週末は自動車で高価な運動施設に行って、苦しい消耗運動をして、グルメや自慢話~~♪

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      新しいもの、新しい発見と言うものはすぐには理解されませんから、多くの場合は評価されない、いやそれだけならまだ良い方で、大概は異端扱い、狂気の沙汰となってしまうかも知れません。
      ですがここで大切なのは「それでも・・・」と言う事です。
      時代の流れに迎合して、「そうですか・・・」で済ませる事もできる。
      しかし「それでも・・・」と言う思いが有って後世にそれが生きてくる。
      考えてみれば私たちは常にジャンヌ・ダルクの異端審問のように、どうだここにサインして自分が誤りだったと認めれば、命は助けてやるぞ、とペンを差し出され続けている中を生きているのかも知れません。
      しかも、ここでは「それでも・・・」と中々言いにくく、生活を考えたら妥協しなければならないかも知れない。
      多くの人は「そうですか・・・」となって行き、これを責める事は出来ない。
      それゆえ「それでも・・・」と言う人は価値がある、そう言う事ではないかと思います。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「蒼天よ道を示せ」

    神様も最近は、そう言う人でも、交通事故に遭わないで、何とか生きていける様に、差配しているので、多忙で、自分で何とかやっている真っ当な人々に、構っている時間は有りません(笑い)
    本当は良い行いをした人には、それ相当に、そうでないことをした人には、応分に教訓を与えた方が良いのでしょうが、世知辛い人の浮世と違って、小さな自己責任とか、大きなグローバリズムとか、料簡の狭い事は言わないで、お助け下さっているのです、それが因果の本当の姿(笑い)

    スーパーのレジに並んだら、目の前の人が見えない、変な人に、カートで背中をどつかれないように気を付けて、交差点に有るコンビニを出る時は、信号をかわして、その駐車場を高速で通り抜ける車に轢かれないように、気を付けて歩いたほうが、良いのです~~♪

    自分の行動は慎めますが、他人を変えることは出来ません、バ〇は、死ななきゃ治らない、を、自覚して、成るべく関わらないように、地味に心穏やかに暮らすように心がけましょう(笑い)~~♪

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      自分が目指したもの、目標とした人たちはいつかは自分より先に逝ってしまう。
      それも「この人だけは・・・」と思う人間から先に失われる。
      こうした年齢になると自分を叱ってくれる人間がいなくなり、間違いを糾してくれる者もいない。
      この事はとても恐ろしい事で有り、老いてなお不安は増すばかりと言うものです。
      自分がこれまで生きた事を肯定できるか否か、これから先もそれを見出す事ができるか否か・・・。
      唯生きているのも悪くないですが、せっかく貰った命なら、それを最大限使って燃やし尽くしたい。
      また自分が若かった頃、自分の指標となった人達の在り様を、自分が生きる事で示していく、伝えて行くと言う使命もあるのではないか。
      こうした事が連続して伝わって行かないから、日本は多くのものを失って軽くなってしまった。
      本当に格好良い男、女で死んでいきたいものだと思います。

      コメント、有り難うございました。

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