「中華人民共和国」・Ⅰ

一国の政府(government)がその国民をどう見るか、どう認識するかはその国家によってさまざまだが、一様に民衆を統括する立場の国家代表部にとって、民衆とは「愚かなもの」であり「厄介なもの」との認識が多くなる。

だがその中でも中華人民共和国の国民に対する認識は郡を抜いたものとなっていて、すなわち民衆とは「暴力」であるとされている。

人口の約94%を占める漢族他、大まかなものでも58の民族で国家を形成する中国では、民衆とは常に秩序を乱し、また社会を混乱させる火種でしかなく、ここでは政府の在り様としてこの暴力をどう管理していくかが重要な問題となっていくのである。

それゆえ暴力に対する最も効果的な対処方法は更に大きな暴力であり、この意味では中国の人民解放軍の存在意義は国際社会が現在持っている概念とは明確な区別がある。

中国政府にとっての民衆が「暴力」である以上、これを統治する存在が「共産党」政府にあるなら、人民解放軍は常に共産党の軍隊であって、民衆の軍隊ではない。

一般的に「軍隊」の権威、正当性はその国民の防衛にあるとされる事で権威が担保されるが、この意味に置いて国家が混乱の極みにあり、政府、民衆相互が対立したとき、軍隊は中立的な立場から、政府、民衆のどちらかに正当性を見つけ、その判断をするのが正しいあり方と言える。

しかし現在国際社会で主流を占める「シビリアン・コントロール」(civilian control)と言う概念は、「文官」や広義では「民衆」が軍隊を管理するあり方を理想としているため、例え国民から信任を得て成立している政府であっても、これを使って国内の民衆を強制的に支配することは容認されないが、一方で常に民衆が正義であるとは限らず、こうしたことから国家が混乱した場合、軍隊の権威は基本的に、「国益」と言う政治的なものへと移行していかざるを得ない。

この意味に措いて軍隊と言うもの、その指揮官は、では国民から信任を得ているかと言えばその信任は得られておらず、結局軍隊と言う存在は時の政府の判断に従わざるを得ないし、もし形骸でも立憲君主が存在しているなら、最後の権威として、この立憲君主の判断を仰ぐこととなっていくのである。

だからここでは軍隊に対して「シビリアン・コントロール」(文民統制)の概念がある国家ほど、それは政府や国家代表部の軍隊になりやすい。

ところが中国人民解放軍には始めからこのシビリアン・コントロールの概念がなく、表面上人民のための軍隊とはなっているものの、あくまでも共産党の軍隊であって、しかも万一国内政府に措いて、つまり中国共産党内部で抗争が有った場合、人民解放軍最高指揮官は独立してこれを判断できるのであり、こうしたことを考えるなら軍隊の正当性、権威がうつろいやすい欧米の概念と比較しても合理的な部分がある。

このことは中国の文化大革命終結時に起こった「第一天安門事件」と、その後ソビエト崩壊に伴う世界的な民主化風潮に影響された中国の民主化要求に象徴される、「第二天安門事件」を比較しても理解できると思うが、1976年4月5日、周恩来(しゅうおんらい)が死去したときに、鄧小平(とうしょうへい)等が天安門広場で行なった追悼式典を規制しようとした「4人組」等指導部に、人民解放軍は従わなかった。

だがこれに対して1989年4月15日、やはり国民や学生等から人気が有った「胡耀邦」(こようほう)が死去した際、同氏の追悼集会に端を発した学生たちの民主化要求運動の拡大を阻止しようとした「鄧小平」には人民解放軍が従い、多くの民衆を戦車で蹴散らす衝撃的な光景が繰り広げられたのである。

また人民解放軍は本来「自給自足」の精神を持っていて、その食料、装備は人民解放軍が自前で調達する姿勢から始まっている事もさることながら、1980年ごろには中国経済が悪化し、この中で時の共産党中央委員会は人民解放軍の予算を大幅に削減し、その代わりに人民解放軍独自の経済活動を認めたことから、以後20年に渡って人民解放軍は商業活動や経済活動にも独自参入して行った経緯を持ち、この形態は1998年、やはり共産党中央委員会で人民解放軍の商業活動が禁止される決定が成されるまで続いたのである。

そして現代の人民解放軍は、アメリカが行ったイラク戦争での結果を踏まえ、「力こそ正義なり」の方針にあり、これは中国政府の姿勢でもある。

つまりは東西冷戦終結後、世界はその価値観や経済的な指針を全てアメリカに求めてきたが、そのアメリカが経済的に落ち込んできた今日、中国こそが「世界」となる、文字通り中華思想を目指してきているのであり、この中で人民解放軍もその装備を近代化し、例えば地上戦の戦力で言えば、恐らくアメリカやロシアよりも充実しているだろうし、また南シナ海での制海権も現在は恐らく中国が握っていると言っても過言ではない。

更に中国が公表している2009年度の国防予算は、日本円に換算して6兆9000億円だが、これは公表額であり実際はこの2倍、少なくとも13兆円以上の予算が投入されている可能性は高く、中国国内でも多種な技術力向上が著しい今日、軍事装備の自国生産割合も大幅に向上していることを鑑みれば、例えば同じ軍事装備を作っても、日本で作る場合の15分の1の予算で同じものを作る事が可能であるとするなら、中国の実質国防予算は公表されている予算の、10倍の効力を持っている可能性すら否定できない。

だがその一方で中国人民解放軍には全く問題がないかと言えば、これがそうでもない。

これまでは何とか生活ができれば・・・、と言う国民意識で人民解放軍へ入る人材も多かったが、国内の著しい経済成長に伴い、共産党員ほどの権力的利益もなく賃金も低い軍人は、若い世代の就業先としての魅力を失ってきていて、従って近年は軍人になろうとする希望者が極端に減少し始めているのであり、こうしたことに配慮して人民解放軍では、映画チケットやバス運賃などを無料にするなどの優遇措置を行っているが、全くと言って良いほど効果は見られていない。

それに人民解放軍は一枚岩かと言えばこれもそうではなく、実は人民解放軍内部でも守旧派と革新派が存在し、これは旧来からの共産党支配堅持派、つまりはイデオロギーをその巻頭に掲げる勢力と、それに対して経済に主眼を置く勢力の対立と言う形で現れている。

この背景には人民解放軍の独立性と言うものに対する考え方が旧来から2つ存在していたと言うことであり、これは冒頭の軍隊の権威のあり方を巡る考え方の相違、そしてもともと人民解放軍は独自で経済活動を行ってきた経緯があることから、この部分でも共産主義の考え方と資本主義の考え方の、双方が内部に潜在していることを示している。

またこれは中国中央軍事委員会の調査資料によるものだが、2003年から2005年の間に軍事装備の近代化に伴い、廃棄予定になり施設に保管されていた人民解放軍の軍装備のうち、T-48、T50戦車1811両、野戦用ベッド210000床、テントなどの装備品230000セット、小銃約300000丁、燃料用の軽油7061バレル、それにこんなものを思うがミグ15戦闘機に至っても362機が何と盗難に遭っていて、このほか医薬品や包帯なども膨大な量がやはり盗難に遭って紛失している。

さすが中国人民解放軍、その規模も世界最大なら、盗まれたものもやはり桁違いの迫力と言うものだ・・・。

そしてこれだけのものが盗難に遭っていながら、誰1人として処分を受けている者がいない。

やはり大国は一味違ったスケールと言うべきか・・・。

 

中華人民共和国・Ⅱに続く

※ 本文は2010年10月24日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

 

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。