「パンドラの箱」・Ⅱ

だがこうした世界に激震が走ったのは2007年1月のことだった。

「セキュリティー・ニュース」の編集長に、「ウィキリークス」がその運営に参加するよう要請したことから、それまで表に出ていなかった「ウィキリークス」と言う名前が表面化し、実は2006年12月に創設されていた「ウィキリークス」は、僅か1年の間に120万件と言う膨大な量の政府文書、外交文書、その他宗教団体の内部文書などを収拾し、データベース化していたのである。

しかもこの「ウィキリークス」の情報は世界各国の複数の報道メディアが共有する形を取っていて、形式としては「ウキペディア」への書き込みと同じようなシステムで、情報のリークが可能な形式を持っている。
つまり世界中から内部告発が可能な仕組みなのだが、問題は政府文書や外交文書、またイランなどの宗教関係のリーク情報だ。

2008年、アメリカ大統領選挙に付随して、共和党副大統領候補だった「サラ・ペイリン」氏のヤフーアカウントの公開に始まり、2010年には2007年のイラク戦争時の民間人殺傷動画公開、同じく2010年アフガン紛争関係資料の公開、さらにはイラク戦争時の米軍機密文書の公開、同じくアメリカ合衆国外交公電文書の公開と、本来大衆には知らせてはならない文書や、資料がそれぞれ40万点、9万点、25万点と言った単位で公開されていったのである。

中でもイラク戦争時のアメリカ軍による民間人の殺傷事件は、それを知った大衆も衝撃だったが、知られてしまった合衆国政府の動揺は激しく、クリントンアメリカ合衆国国務長官にしてみれば、「ウィキリークス」が存在する限り、「ジュリアン・アサンジ」氏が生きている限り、枕を高くして眠れないに違いない。

またアメリカにとって情報の公開以上に深刻なのは、こうした情報が実際の軍人や、外交官、または政府下級職員内部からも、「ウィキリークス」にリークされていた事実であり、しかもこれが何故「ウィキリークス」なのかと言う点にある。

一番分かり易い例で言えば、先の「尖閣諸島映像問題」で示したアメリカ大手報道機関の判断だ。

海上保安庁職員は尖閣諸島で、中国船が日本の巡視艇に体当たりする映像を、一番最初に送った先がアメリカの大手報道機関だったことを告白したが、このアメリカの報道機関はその情報を「ウィルスに感染している恐れがある」として廃棄したと言う有り様、このことが現在のアメリカの報道の現実を如実に物語っている。

すなわち本当にその情報を確かめようとするなら、孤立したパソコンを使って確かめることもできたはずだが、それすらも行っていない。
このことから海上保安庁職員が送った先の、このアメリカの報道機関は「ヤバイものには手を出さない」と言う姿勢しか感じられない、若しくは「こんな資料が届きましたが・・」と言って、合衆国政府にお伺いを立てた結果、それは情報として却下すべしとの判断が出たのかも知れない。

いずれにせよ中の情報も確かめもせず廃棄するなど、報道機関の風上にも置けぬ行為である。
本来不正に対してはそれを内部告白した場合、合衆国憲法、及び国内法でこれを保護し、事実解明をすることが規定されている。

しかしこうした情報を持ち込んでも、現在のアメリカの報道機関は殆どこれを取り合わない。

それは何故か、もし重要な情報が提供されても、その裏を取るだけの時間も無ければ、人員もいないため、安全確実な政府や公的発表しか取り合えないのである。
ゆえにせっかく内部告発情報を持ち込んでも、それは却下されるならまだ良い方で、場合によっては政府や公的機関に連絡される恐れさへある事から、誰もこうした報道機関へのリークは行えない現実がある。

自由と正義の国アメリカの報道も地に落ちたものだが、こうして本来リークされる情報の受け皿であるべき報道機関が、その機能を失っていることを知る合衆国国民は、リークした本人の身元は殆ど特定されず、また世界のどこにいても情報を書き込める、「ウィキリークス」を新しい情報の提供先としたのである。

「パンドラの箱」・Ⅲに続く

※ 本文は2010年12月11日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。