「並列分散処理」

「大」(だい)と言う字と「犬」(いぬ)と言う字は大変良く似ているが、人間が文字を用いる場合、これを誤認する事は少ない。

では何故人間の脳は「大」と「犬」を間違える事が少ないのかと言えば、この文字の周囲がこれを誤認させない環境を持っているからであり、「大」と言う文字と「犬」と言う文字はそれが出てくる場合の環境が大きく異なっている為、周囲の環境によって近似文字が補佐されている為である。

しかし僅か「、」のみの相異で有るこうした僅差を判別するシステムは簡単なようで意外と難しい、いやこうした僅差を識別するシステムは、大きな差異を判別するシステムより遥かに複雑なシステムを要する事になる。

人間の脳の記号伝達システムは多数の神経細胞が「興奮性」と「抑制性」のシナプスによって高い密度で結合した状態、これを「ニューラルネットワーク」と言うが、そうした「止める」か「入れる」かどちらかの簡単な動作が複雑に組み合わさった状態になっている。

この為通常理論的に考えるなら、漢字の「大」は「犬」から「、」一つが足りない状態となり、「犬」の通過過程と言う判断が為される事になるが、これを犬の通過過程ではないと判断させるものは「その他の重み」であり、これがカリフォルニア大学サンディエゴ校で研究していた「デビッド・ラメルハート」と「ジェームズ・マクレランド」が提唱した「並列分散処理理論」である。

見たもの、聞いたものを理論的に判断しようとすると、そこには傾向や感情が入り、結局何か自身が関係有る対象に「意味」を求めてしまう。
しかし「意味」を求めると本来数が多いもの、質量の重いものを正確に判断ができない。

つまりここに「大」と「犬」だけを見ていると、記号的には「大」は「犬」の通過過程になるが、これに一切の判断を回避させ、周囲の全く関係の無い「0」か「1」の動きをするシナプスの数や、その量の重さによって繋がる箇所が違ってくれば「大」と「犬」には決定的な差が生じる訳である。

人間の脳は一つの事象を一つだけでは判断していない。
「その他」全く関係無いものまで含めた、意識されない「興奮」か「抑制」のどちらかしかない単純な原理、丁度水が高いところから低い所へ流れるような、「妥当な道」に従って動くものの総称として判断をしている。

また人間の脳が極端に大きなものと極端に小さいものに反応しやすいのは、そのどちらも「劣性」だからである。

日常生活で多く出てくる事象、重い事象はある種の「安定」であり、シナプスの流れは一定の方向へ流れ易いが、ここへその非日常となるものが現れた時、意思を持たないシナプスの運動が総称として動きを止め、次の瞬間殆どのシナプスが「非抑制」へと動いていく。

これが「感動」や「驚き」と言うものなのかも知れない。

現在この並列分散処理理論は「顔認証アルゴリズム」や「瞳認証」、「指紋認証」などに使われているが、その原理は言語理解などに使われる「直列集中処理」より、意思、つまりは計算したり組み立てて発展することが少ないからであり、単純にこれは一致する、これは一致しないと言う、それぞれのセンサーの総称で判断が為されるからである。

更にこうした並列分散処理はどちらかと言えば「判断」や「認識」と言う半受動的なシステムだが、これが動くときのシステムは鳥の集団が海を渡るときのアルゴリズム、また人間の神経系にも同じシステムが存在するが、「自律分散システム」であり、それぞれが独立した判断に従って先頭が決まるようなシステムを持っている。

人間の脳はこのように細かい判断や動きをその先端に移譲し、その総称で更に大きな判断をしているが、人間の思考は基本的には直列集中処理になっている。

簡単に言うなら人間は意志の無い細かいものが眼前の現状にただ忠実に従い、それによって本来全体が見渡せる立場ではない端末がまるで全体を把握したように動き、だがしかし結果として為される思考は必ずしも眼前の現実を反映してはいないので有る。

実に興味深いところだが、「劣性」は人間の創造に深く関わり、意思を持たないセンサーの総称が最も深く現実を現し、思考は必ずしも現実と一致しない。

まるで禅問答のようだが、見ようとすれば見えず、見ようとしなければそれが見え、意思を持つ者は正確な判断が出来ず、意思が無い故に正しく判断が出来、考える者は誤る・・・。

人間のシステムはなかなか素晴らしい・・・。

[本文は2013年11月29日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。