「借金取り」

新年早々暗い話題で申し訳ないが、まだ事業を起こして間もない頃、取り引きをしていた料亭が経営不振に陥り、そこへ品物を納品していた私は多分50万円前後だったと思うが、代金が一年経過しても貰えない状態になった時が有った。

少し離れた所だったので、そうおいそれとも出かけることが出来なかったが、それでも金欲しさについに重い腰を上げて集金に出かけた時の事だった。

その料亭に着くと玄関の窓ガラスにはヒビが入ったままで、それをテープで留めた状態になっていて、そこからして「ああ、やっぱり無理かな・・・」と思い乍戸を開けると、中から出てきたのは中学生くらいの女の子だったが、彼女はスーツ姿で鞄を持った私をどこかで怯えたように見つめていた。

「お父さんはおいでますか」

そう少し控えめに告げると、彼女は奥へ入って行き、やがて店主の男性と一緒に戻ってきたが、店主は私の顔を見るとすぐに、「ああ、○○さん、済まない」と土下座しそうになって、その横で女の子が不安そうに店主を見ていると言う大変気まずい状態になってしまった。

私はその時何を考えていたかは記憶に無いが、やけに店主の娘さんの不安そうな目だけが気にかかり、とっさに金の話ではなく近くまで出張したので、お元気かどうかと思ってお伺いしたと言い、たわいも無い世間話をして帰途に付いた。

そして家に帰ったら、当時はまだ元気だった妻から「あんた、馬鹿じゃないの」と言われてしまったが、すやすや眠っている生後間もない娘の寝顔を見ていると、「いいさ、50万円くらいまた頑張って稼ぐさ・・・」と思ったものだった。

それから7、8年後、もうくだんの料亭とは取り引きも無くなり、金も回収が付かないまま忘れてしまっていた頃、ある日突然店主が家を訪ねてきて50万円を支払い、ついでにまた新たな注文を代金先払いで依頼してきた。

一体どうしたのかと尋ねると、道路拡張で店が土地収用になり、移転費用の他に補償などが出て、すっかり借金が無くなったので、まず最初に私に金を返しに来たと言うのだった。

時はまさにバブル真っ只中の頃、店主はあれからも店を諦めずに経営していたが、最後は高利貸しやサラ金からも借金をし、もう死ぬしかないと思っていたら、道路拡張計画が持ち上がり、それで得た収用費で借金を返して、郊外にまた小さな店を開いたらしかった。

それにしてもあれから以降私は請求書すら出してもいないのに、それでも払ってくれるのかと言うと、彼はこんな話をしてくれた。

借金だらけになって最後はどうして良いかすら自分でも分からなくなっていたが、そんな中毎日のように催促の者が訪れ、従業員もいなくなり、妻や学校から帰ってきた娘が店を手伝ってくれていたが、みんな娘にまで金を返せと言うものばっかりだった。

しかし私と他にもう1人だけ娘がいる時は金の催促をしない者がいて、その事が本当に嬉しかった、だからこの2人だけはどうしても一番先に金を返そうと思っていた。
と言う事だった。

当時娘が生まれて間もない私は、きっとどこかで自分とこの店主を重ねていたのかも知れなかった。
もし自分が娘のいる前で借金取り相手に土下座しなければならないとしたら・・・と言う事を思っていたのかも知れない。

安倍政権の経済対策は確かにマクロ的には効果を発揮しているかのように見えるが、その実中小零細企業の倒産は一層の増加傾向に有り、倒産としての統計には現れないが特別清算、つまりは「解散」や自主廃業する中小企業数は倒産件数を遥かに凌駕する。

倒産するにも裁判所費用がかかる事から、倒産できる企業はまだ幸せなのである。
今この瞬間も首を吊ろうと思っている者、今夜の内に夜逃げしようと考えている者も大勢いるはずである。

最近の調査では夜逃げした家や事業所では、その際神棚を叩き壊して出て行く者が急増しているとも聞いている。
世を恨み、天を恨んで行った者たちの心情は察するに余りある。

金と言うものは返す気持ちが有る者はどんな事をしてでも返すが、返す気持ちが無い者は例え金が有っても返さないし、そもそも金が無ければどれほど催促しようが返っては来ない。
この店主とはそれ以後も仕事の多少に拘らず、彼が現役を引退するするまで付き合いをさせて頂いた。

人間だから失敗する事も有る。
でも大切なのはそうした非常事態の時にどうするか、どう生きるかと言う事であり、これは債務者もそうだが債権者も同じ事である。

あの時私は若くて先に色んな希望を持っていたから、店主の娘さんまで追い詰めずに済んだが、もし自分も金が無くて誰かから追われていたら、本当にあの時のような事が言えたかどうかは分からない。
債務は本来個人に帰結するものだから、娘さんにまで催促する事はどこかで一線を越えている。

だが自分が追い詰められていれば簡単にこの一線を越えるだろう。
それゆえ債権者は債務に対してどのようなポリシーを持つかが債権者の資金力であり、「力」だと言えるのである。

今朝、晴れ着に身を包んで友達と初詣に出かける娘の姿を尻目に、いつか神を、天を恨んで神棚を叩き壊す時の無い事を、私は祈るばかりである。

最後に、かつてこれほど美しいメロディが有って良いのかとまで思っていた、私の生きる希望だった曲の作曲者「大滝詠一」氏の急逝に際し、「恋するカレン」を聞きながらこれを追悼したい・・・。

[本文は2014年1月1日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。