「婚姻概念の変化」

結婚と言う言葉と婚姻は同義だがその意味合いは少し異なり、結婚が個人に近い概念なのに対し、婚姻は僅かながらに氏族制度の雰囲気を醸し出しているのは、婚姻と言う概念の方が古く、結婚と言う概念の方が新しいからである。

婚姻は古くは平安時代に遡るが、結婚は古くても江戸末期に留まる。

それゆえ概念がより個人に近いところまで来ているのだが、元々婚姻の概念は時代や地域で異なり、男女の関係式と言う点ではどの時点でも同じ概念は存在し得てはいない。
つまり結婚や婚姻の概念は日本国内を見ても全く同じ概念で継続された事は無かった。

太平洋戦争以後の日本の国内法では「貞操義務」が規定されている事から、婚姻の意義は契約の側面と性的関係の公認が一体となったものだったが、そもそも婚姻の世界的概念は「契約」であり、国によっては性的関係と婚姻と言う契約を分離して考える地域も存在し、その形態は既にあらゆる組み合わせが歴史上出尽くしている。

現代日本の婚姻制度の初源は契約に家や氏族の影響が含まれ、為に男性側の不貞行為には寛容で有りながらも、女性の不貞行為には厳しかったが、結果として契約の多くの部分を担保するものが「家制度」で有った事から婚姻の意義は非常に大きかった。

しかしこうした家制度は年金制度によって高齢者が嫡出子の扶養を必要としない、高齢者の家制度からの離脱によって崩壊し、この時点で婚姻の持つ契約上の意義の大半は失われた。

婚姻制度に残されたものは経済的理由と子供の有無による扶養義務、性的関係の公認なってしまったのだが、基本的に高齢者の独立は家制度が持つ財産の相続部分を分離してしまい、この意味では婚姻で得られる財産の相続も小額化した結果、既得権益などが大幅に縮小し、更には景気の低迷によって男性が生涯で得られる所得も低迷した。

これによって女性が結婚で得られる利益は大きく減少し、子供を持つ夫婦で子供が独立したら離婚となるケースが増えたのは、ひとえに子供と言う結果が婚姻の契約事由となっていたからで、この契約や責務が解消された時点で婚姻が解消されるのは当然の帰結と言える。

婚姻の持つ社会的圧力である「家制度の崩壊」、そして結婚によって得られる幸福感などが経済的理由で抑圧された状態の契約、この中で法的には年々厳しくなり乍、ネットなどの情報通信の発展よって婚姻が持つ性的関係の公認の意義と、契約部分の分離が始まってきた。

婚姻が益々法的契約のみに近付き、性的関係との分離を起こしてきたのだが、これは何も珍しいことでは無く、ドイツなどでは既に20年も前から始まっていた。

日本国内法の婚姻に措ける不貞行為は「離婚事由となり得る」と言う規定である。
そこに不貞が存在しても、それによって離婚の申請が為されねばそもそも意味を持たない。
夫や妻が不貞行為をしていても、それが容認されれば婚姻は継続される。

ここに婚姻は一つの法的、社会的契約のみになり、性的な関係は婚姻の重要な要件に留まれなくなってきている。

更に高度に発展した科学技術の進歩は多くの便利な家電製品を市場に供給し、或いは外食店やファーストフード店の発展、コンビニ店舗の普及などによって、従来なら性的関係と双璧を為していた「生活」の部分までもが個人でも充分賄えるようになった結果、もはや婚姻の持つ社会的ステータスよりも個人の自由の方が尊重されるに至り、厳しい経済環境では婚姻によって不利益とはなっても、到底幸福な生活が望めない環境になっている。

共稼ぎで毎日働いた上に妻や夫に気を遣い、その上文句の一つも言われようものなら、結婚などしたくないと思うのは当然で、性欲を満たすだけならネットの出会い系サイトを検索すれば異性はどれだけでも存在し、それすらも面倒だと思えば不適切動画が蔓延している社会である。

肉体的関係が婚姻の重要な要件にならない事は既に歴史上でも明白な事で、愛や感情と婚姻が同一なものと言う、少し前の日本の婚姻概念はもはや失われつつある。

婚姻関係はこの人、愛する人はまた別の人、性的関係はこの人と言った様な社会がもう少ししたら現れてくる、いやもう既にそうした時代になっているのかも知れない。

現代日本の初期に存在した家制度の影響が大きい婚姻では、少なくとも若い夫婦の生活は家制度が担保した。
つまりは経済的な後ろ盾が存在した事、また社会的圧力をステータスとするだけのメリットが存在した。

しかし今の時代はそれすらも存在せず、性的関係の公認と言うメリットも失われた状態では、これから婚姻関係を求める若者は減少する一途を辿るだろう。

少子化対策は実はとても簡単な政策で好転させる事が出来る。
18歳未満の子供を持つ家庭の消費税は全額免除、医療費も同年代まで無料にし、健康保険税も低額一律に規定すれば男女とも婚姻によるメリットが発生し、そこに愛も発生しやすい状態になるのではないか。

散々税制で優遇されている大企業の減税を行うより、唯でさへ高額な公務員の給与を実質値上げするより、こちらを先にすべきだと思う。

またもう15年もすれば私も高齢者になるが、「これから死んで行く者に金は使わんでいい、若い者が少しでも美味いものを食べて力を付けれるようにして欲しい」、そんな格好の良い事が言える年寄りで終わりたいと、そう思うので有る。

[本文は2014年6月9日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。