「未来の為に言葉を使う」

もう30年も前の事になるだろうか、わたしは日本と韓国の青年が交流する為の企画会議に出席したが、その動機はこれから日本はアジア各地の国と協力して行かねばと思う高邁なものだったにも拘らず、実際には交流会で韓国の同年代の女性と太平洋戦争を巡って誹謗中傷の応酬となり、最後は「何ならもう一度占領してやろうか」と暴言を吐き、係員からつまみ出されてしまった。

本当は会議に参加するまでは韓国の若者と親善を深めようと思っていたのに、結局のところ私は韓国に付いて何も知らず、その女性の態度が気に入らなかったに過ぎないが、それが最後には韓国と言う国家そのものを嫌悪する言葉となってしまったのである。

だがよくよく考えてみればナショナリズムや思想と言うものはこうしたものかも知れない。

先般長崎で横浜の中学生が原爆被害者の語り部を務める人に対して暴言を吐いた事が大きなニュースとなっていたが、我々はこれを報道だけを見て判断してはならない事を思う。

戦後70年近くなり、戦争の悲惨さを知る者が少なくなり、豊かで文化的な環境の中から生まれてくる者が多くなった今日、中学生が具体的な原爆被害の全容を知る由もなく、唯騒いでいたら「聞く気が無いなら出て行け」と言われ、それに対して反発したような気がする。

前出の自分の例ではないが、中学生の暴言は被爆者云々の話ではなく、単にそれを説明している人が気に食わなかった、その結果が被爆者に対する暴言へと発展してしまったように思う。

先の東北の震災でもそうだが「語り部」と言う存在については、発生した惨事の是非以前に私は違和感を覚え、それが結果として悲惨な経験を否定しかねない考えに繋がる場合も有るような気がする。

観光地を訪れると、どこからともなくボランティアが現れ、事細かにその施設や地域の歴史などを説明してくれるのは有り難いが、例えば金沢などは金沢弁の高齢ボランティアがそれを行っている事から、聞いているとどこかではとても傲慢で、「お前、500年前に生きていたのか」と思わず突っ込みを入れたくなる時が出てくる。

住んでいる地域を愛すると言う気持ちは国民皆が持つ気持ちだが、それはその地域ごとによって隔絶されたものだ。
従って自分の地域を愛する気持ちは、他の地域に対しては対立に近いものになり、これは「状況」に付いても同じことが言える。

どんなに悲惨な出来事が有っても、それは自分に累が及ばない限り人事であり、基本的にここに同情や賛同を求める心には卑しさが付きまとう。

同情や賛同は自分が求めるものではなく、「他」が判断する事で有り、この段階で皆と一体になった空気に同調しない者を排除しては、一番伝えなければいけない相手、もし理解したなら深く賛同するであろう者を門前払いしたと同じではないだろうか・・・。

人の言葉とは客観的事実、物証をも引き込んだ「主観」である。
どう思うかはそれぞれの判断に委ねられ、こうした自由な精神が有るからこそ、そこから本当の理解や賛同が生まれ、反発も大切な人の感情である。

ユダヤの格言には「全員が賛同する事柄は実行してはならない」と有る。
私も100人の人がいて100人とも同じ考えだったら、その会議や集会を警戒する。
皆が賛成と言う事は「無関心」か、その場しのぎで真剣な議論ではないと言う事、或いは特別な力が働いていると言う事である。

長崎の語り部の人が態度の悪い中学生にまず反発を覚え、それで注意したら今度は中学生が反発した。
被爆者に対する云々など遠い世界で始まった感情の対立が、そのお互いの立場から被爆者全体に対する冒涜になってしまった。
そう言う事だったに過ぎないと思う。

そしてこの中学生は全体に反した事になり、非難を浴びて無理やり頭を下げる事になるが、ここで生まれるものは本当の意味での被爆者に対する嫌悪である。

確かに中学生と言う立場では遥かに年長である人に敬意を示さねばならず、この点では彼も反省に資するものは有るが、同時に絶対的価値観で解説を行った語り部の人の、その価値観を共有できない者に対する扱い方、反発に対して更に反発してしまう心の浅さを私は感じてしまう。

実際戦争を経験した事も無い若い年代の者に、それを理解しろと言うのは見た事も無い世界を理解しろと言うに等しく、これは理解など有り得ず、理解したと思う者は勘違いである。
言葉はそこまで完全に人に事実を伝えることは出来ない。

だから私は「語り部」と言う制度が好きではないが、それをして後世に自分の意思を伝えようと思う者は、勘違いでも良いまず関心を持ってもらう事、そして一番最初にまず自分が否定されないような節度、人格を心に刻んでおかねばならないのかも知れず、その根源には自身を否定する相手に対する理解が必要となるのではないかと思う。

自身が否定された相手でも、時を得て行けばその否定した相手が自分の愚かさや狭さに気付く時も出てくる。
今だけを見て感情で言葉を使えば、やがて将来に措いて自分の意思を最も理解しようとしていた人間を排除する事になるかも知れない。

人間の判断は客観性や合理性、事実によって為されるのではない、感情による受容か否定しかなく、これは曖昧なところを彷徨っているものだが、それを確定させてしまうのが人の言葉で有り、事実や真実の前に人が有る。

私は今は恩師と思う人に初めて会った時、大きく反発し悪態を付いた。
だが、それから以後も何かと自分の事を気にかけてくれたその年長の人の気持ちが今になって理解できるようになった。
そしてあれほど反発したのに、今はかけがえの無い恩師と思い、師の志を引き継ぐ者と自負している。

だが、あの時「聞きたくなければ出て行け」と言われていたなら、くだんの人は我が恩師とはなり得なかっただろう・・・。
勿論、今の私も私たり得なかったに違いない・・・。

[本文は2014年6月10日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。