「反転逃避美意識」

名称は伏せられるが実在する地域で実際に有った話として・・・。

商工会議所が会議所会員の事業者に対して独自の景気判断アンケートを行った結果、そこでは事業者から行政の恣意性に対して厳しい意見が多数寄せられ、代議士や市長との癒着によって事業者間格差が広がり、市民生活も困窮し、自由にものが言えない暗い社会になっていると言う回答ばかりだった。

これに対してアンケートを実施した商工会議所会頭は、「市民、事業者からの率直な意見だから」と、アンケート結果をそのまま公表したが、反発したのは行政と代議士系列の市議、市長、それに議会だった。
アンケートでは行政と代議士等の批判と共に、議会の無能ぶりに対する意見も多かったのである。

議会は早速このアンケートに対して議会を侮辱しているとして商工会議所にアンケートの撤回を要求、市民、事業者の忌憚の無い意見に対して議会侮辱を持ち出すトンチンカンぶりだったが、連動して市行政側も予算の厳しい商工会議所に拠出している補助金を全面停止し、更には通年だと会頭の任期は2回続けるのが慣例となっていたにも拘らず、当時の会頭の任期1回目が終わった時点で対立候補を立てられ、アンケートを実施した会頭は更迭されてしまった。

その後新生商工会議所は以前のアンケートは特定の恣意性が有り、市民の意見を反映していないとして新しいアンケート結果を公表したが、そこには「現状に満足」「行政は良く努力している」「発展が期待される」など以前とは全く逆のアンケート結果が、正規の商工会議所アンケートとして公表されるのである。

だが、商工会議所が実際に2度目のアンケートを行った形跡はなかった・・・。

この話は10年ほど前の事だが、おそらく地方と言わず中央と言わず、商工会議所や経済団体の行うアンケート結果は似たようなものだろう。

日本に措ける政治の歴史、権力の歴史は名目上でも民衆と言う「天意」を反映した時代が極めて少ない。
律令国家成立期には存在し得た「天意」による為政は、対外的な脅威によって意識されたもので、この点で民衆や国家、「天意」が次に意識されたのは明治政府成立期になる。

つまりここ2000年の日本に措ける政治の中で民衆が意識された政治の時期は2回しかないので有り、それは対外的脅威によってもたらされたものと言え、確かに日本は長い歴史上多くの対外的平和を維持したが、その要因は極東の島国と言う地理的偏狭が所以である。

日本の政治は対外的脅威が少なかった分、国内意識が高く、言い換えれば日本の政治は派閥闘争、親族闘争、権益闘争に主体が置かれ、「その先のビジョンを持つ」政治は極めて少なかったと言う事である。

「今のこの悪しき流れを変える」事は目指されても、この国をこれからどうするかと言う事が考えられた政治はおそらく明治政府の、それも初期だけだっただろう。

結果として新しい政治とは新しい為政者の勢力拡大、その関係者の権力的引き上げに伴う経済的利益に群がる者には有利になっても、決して民衆が益となる事は無かった訳で、例え新しい為政者が現れても政治はその為政者が拡大していく為に費やされ、その僅かなおこぼれが民衆の益にしかならなかった。

冒頭の商工会議所ではないが、日本の世論調査、アンケート結果は歴史上現在が最悪の状態と言える。

僅か3000名の意見を国内世論として発表し、安倍政権を支える為に、「アベノミクス」と言うガキの遊びのようなものを支える為にあらゆる政策が動き、これをひたすら真実を隠蔽しながら世論動向で後方支援するマスコミの有り様は、日本の情報信用を著しく貶め、我々は政府発表もマスコミ発表も全く信じられない状態に陥っている。

つまりあらゆる情報が意図的な誘導情報となっているのであり、こうした情報の中でも最も多くの信頼が必要とされる一般大衆の意識調査すら意図的に操作される現状は、既に世論調査が形而上の意味すらも持っていないと言う事である。

元々民意と言うものは現実と理想の相反した関係の選択であり、この点では統計学上の拠り所となる「中心極限定理」が初めから揺らいでいるだけではなく、例えば固定電話で回答を求めるなら、まず固定電話が有る事、昼間家にいる人と言う条件が出てくる為、これでは労働人口や若年層、傷病が有る人の回答が欠損する。

またインターネットを用いた場合、やはり若年層は既にスマートフォンへ移行している為、官公庁の職員、家でインターネットをしている高齢者や主婦などからしか回答は得られず、スマートフォンを用いた場合はインターネット利用人口、非スマートフォン利用者の意見が欠落する。

更に郵送による用紙回答方法では時間がかかりすぎて現状の世論を反映しにくくなる事、忙しい人は非回答になり、結果として調査回答が得られるのは時間や金銭に余裕が有る人の割合が傑出し、全ての調査方式で忙しい労働人口層、若年層、生活弱者とネット等を利用できない状況の人など、本来その意見が最も反映されなければならない人々の意識動向が欠落しやすい。

つまりどんな方式を用いようともサンプル人口が全体の分布と一致しないのである。
加えてこの情報速度の速い社会は大体1ヶ月もすれば以前の情報は忘れられるか、判断が逆転する傾向を持つ。
政治家の不適切な発言一つで国民意識はひっくり返る状況なのである。
昨日の意見と今日の意見は必ずしも一致するとは限らない。

それゆえこれまでも世論調査やアンケート結果と言うものは形而上のもの、言い換えればそれを扱う者の信用性や権威によって見せかけの担保が為されてきたに過ぎないが、現代ではこうした見せかけすら省略した形の、予め調査結果を利用する事が目的とされた調査やアンケートとなりつつある。

景気判断や国内人口の景気意識動向では、恩恵を被っただろう相手に対して意識調査をし、その結果を共有できる人に対して意見を求め、当初の政策の正統性を主張する手法が政府によって蔓延し、マスコミがこれを支えている。

文字通り金が無ければ立ち行かない、だからこれが優先されるのは仕方が無く、ここで厳密な意見を吐く者は全体に禍する者と言う考え方が通ってくるのだが、これは1990年から続く長い不景気とその後の気象災害、震災などがもたらした「反転逃避美意識」、非常時だから汚い事は見ないようにしてとにかく美しく、楽しいところを見ようよ」「良いところを発信しようよ」と言う国民全体の現実逃避思想に支えられたものだ。

映画館内では静かに鑑賞するのが基本的なルールだが、映画「アナと雪の女王」では皆で歌曲が合唱され、合唱を拒むと不思議そうな顔をされる。

東北の震災で使われた安易な「きずな」と言う言葉、オリンピック招致時の「おもてなし」、そして冒頭の商工会議所のアンケートなどと安倍政権にはどこかで共通する、美しい女の面を被った化け物のような気持ち悪さがつきまとう・・・。

[本文は2014年6月19日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。