「山際のあぜ道」

強い西日を浴びていると暖かいが、それも夕方近くになると翳り(かげり)が大きくなり、幾ばくかの肌寒さはまた僅かな寂しさを呼び、遠い子供の頃の光景が脳裏をよぎる。

父も母も元気で、私達兄弟もこの田で刈られた稲を運んでいた、そんな無条件の幸福の中に存在していた時を思う。
が、それが本当に存在した光景かどうか、本当の記憶だったかどうかを確かめる術はなく、もしかしたらその光景は私の思いの中だけの光景だったかも知れない・・・。

この一番山の近くに有る田んぼの稲刈りは、昔から最後に刈り取るのが慣わしだったが、それには理由が有って、山陰で午後にしか陽が当たらず生育が遅くなり、朝露が落ちるのが遅い事も有って、刈り取りが一番最後になった上に午後にならないと稲刈りが出来ないからだった。

ついでに山に近いことから水が引かず、昔から田んぼの中に更に小さな畦を付けて排水をしていたが、近くに木を切り出す林道を付けた頃から更に水の湧く面積は増え、200坪ほどの半分が機械で刈り取る事が出来ず、鎌で手刈りしなければならなくなっていた。

毎朝4時30分に起きて洗濯物をしてから家族の食事を用意し、6時からこうした田んぼの手で刈らねばならぬ部分を10時頃までに刈り取って、それから朝露が落ちるとコンバインで稲刈りをして、夕方それを乾燥施設へ運ぶ・・・。

田んぼは全部で36枚有り、いつも夜9時前には寝ていても最後の方になると疲れから目が開かない状態になる。

そして最後のこの水の湧いてくる田んぼまで来ると、来年こそはこの田んぼを作るのは辞めようと思うが、どう言う訳か春になると苗を植えてしまう・・・。
この田んぼさへ無ければ随分と楽なのに、苦労する事が身に沁みて解っているのに苗を植えてしまう。

ここ2年ほどだろうか、田んぼの山際の隅に稲が下から15cmほど残った状態で、そこから上が食いちぎられている部分が出てくるようになった。
犯人はウサギで、以前はこうした事はなかったが、水が湧く量が増える事もまた然り、人間の勢いが衰えるとその分自然が力を増し、それは漢字の「侵食」「食」そのものと言う事が出来る。

泥だらけになりながら手で刈り取って集めてある稲をコンバインに通しながら、急激に太陽が傾き翳りが増えた田んぼの一番奥を見てみると、そこが人間と山や獣達の境界になっている事が漠然と、しかし切実に解るような気がする。

私はきっと来年もこの一番山奥の小さな田んぼに苗を植えるだろう。
もしこの田んぼに苗を植えなければ、次は隣の田んぼが獣達との境界になってしまう。
山菜取りに来る人も少なくなったが、山が持つそこはかと無い恐ろしさや淋しさ、そんな部分が増えてくるだろう。

繁栄と必衰は世の常ゆえ、いつか私が死ねばこの山奥の田んぼは作られなくなり、自然の勢いが凌駕する事になるだろうが、もしかしたら、この田んぼが作られていると言う事が、私が生きていると言うことなのかも知れない。

こうした境界と言うものは、その先端は小さいものが多い事から、合理的に考えるとどうでも良い事になるが、領土と言うもの然り、人も心もまた然り、小さなものを蔑ろにして行くとその結果大きなものが変質を受け、やがては最も大きな力、生きようとする意思、明日はこうしてやろうと言う希望を失う事になる。

私は今年も「恐れ」に対して一本のあぜ道、「境界」を引く事が出来た。
ウサギや鳥達と熾烈で有りながら穏やかな闘いが出来た。

でも来年は稲をかじらせないぞ・・・。
ウサギが稲をかじるのが仕事なら、私はそれをかじらせない事が仕事だからな・・・・

[本文は2014年10月18日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。