2「ふと思った」

日本の現状は形式からすると太平洋戦争前と良く似ている。

初めは少しの戦闘で勝利した段階で講和を目指す事が思われながら、途中で諸般の事情が加わり、どこで終わりにするか、どこまでを目的とするかが曖昧になった結果、泥沼化し敗戦の憂き目を見たのであり、政策の変更はしないとする政府与党、自民党は政策を変得ないと言いながら、その解釈や適用をコロコロ変え、現実的には基本政策を蔑ろにした行き当たりばったりの政策になっている。

本当の所、世界最高水準に有る日本の赤字財政は消費税30%、政府規模75%の削減、地方行政組織の80%削減が実行された上で、それでも再建までに30年はかかろうかと言うもので、これに高齢者の増加分が追加された措置が為されなければ財政の再建は難しい。

この意味では消費税2%の増加が云々よりも、厳しい増税と財政削減を同時平行で行わなければ、中規模の震災が必ず1年に1度は発生し火山噴火も多発、台風被害に襲われ各地で集中豪雨が頻発する状況では、僅かな災害でも国家が破綻するリスクは大きくなるばかりである。

日本政府は国民が財政再建の為に負担すべきであろう消費税増税を優先して実行し、そして今般日本銀行の信頼を失わせ、国民に媚を売って自分達の人気取りに使ったが、その自らが為すべき責任は逃れてばかりであり、2つ車輪は同時に動いてこそ有用なのであり、片方だけ動かしてもう一方が止まっていたら車体はひっくり返る。

国民と日本銀行は弁当を開いていたら、その一番メインの焼肉を政府によってつまみ食いされたのであり、人の弁当も自分の弁当も全て自分のものと言う、今の金融緩和政策は、国民の我慢と世界各国の信頼に対する予測に拠って成り立っているもので、これはひとえに過去の日本の金融政策が少なくとも法的、道義的にも担保を裏切らなかったからに他ならない。

野党各党が力を失い、国民に選択の余地の無い時期に総選挙を行い、これをして国民の信任を得たと言う形を作ったとしても、基本的に不条理、矛盾を抱えた政策は、やがてそれを終了する時期を失い、破滅が政策の終了時期と言う事態を招く。

一方11月20日、既に自民党から報道期間に対する報道要望書が出されていたようだが、この事実が一週間近くも報道され無かった事は、報道機関がこうした自民党の要望を承諾した事を意味し、与党である自民党の要望は基本的に報道に対する政府圧力の形を持つ。

何が何でもいい加減な経済政策を隠蔽したい政府と、その権力を恐れ事実の報道を放棄した報道機関の有り様は、さながら太平洋戦争時の経済界、大本営と各報道機関の関係に同じである。
あれだけ大変な時代を経験しながら、今度は経済で同じ事が行われようとする、この現実の前に、我々は唯厭世(世をはかなむ)に浸っていて良いものではない。

日本国民の本当の敵は、それぞれの民衆の心の内に潜む混乱に対する恐れ、諦めの気持ちである。
例え先に大きな混乱を引き起こそうとも不条理を糾し、自らの道を切り開かなくては、それが地獄で有ったとしても未来など無い。

この国は遠からず何らかの形でもう一度崩壊する。
そしてこの国を救ってくれるものもまたその崩壊かも知れない。
だが、私はどんな事が有っても、絶対最後まで諦めない。
自身の思うやり方で必ず生き抜いてみせる。

脳梗塞で左手が少しだけ使える程度になってしまった父親が、スプーンで刺身を食べる姿を眺めながら、自らは貧乏癖が抜けず、昨日父親が残した冷たいふろふき大根でご飯をかき込みながら、ふと、そう思った・・・・。

[本文は2014年11月28日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。