「山鳥」

山にいる鳥で一番おいしいのはキジのメスだと言われている。
この肉で蕎麦のツユを作ると、これほど美味いものはないと言うのだが、毎年梅雨が終わった頃、畑で息を殺して列を作って歩いていくキジの子供達を見ている者としては、とても蕎麦のツユになどできそうもない。

キジは一般的に鳥だから飛ぶのが得意と思われがちだが、実は歩くほうが得意な生き物で、特に草藪を歩かせたら他の追随を許さない。
こちらの藪から顔を出したかと思えばアット言う間に遠くの藪から顔を出すのである。
秋に稲刈りをしていると時々キジの子供が稲の間からササっと姿を現し、飛び立っていくことがある。

冬の晴れた日、白い雪景色になった田んぼに数羽単位でキジが舞い降り、餌をついばんでいることがあるが、ケーン、ケーンと鳴く親キジに混じってケケケケと中途半端な鳴き声が聞こえるが、これは子供のキジで聞いているこちらまで思わず力が入ってしまう。

古い言い伝えだが、こうして里にキジの姿が現れると「天気が荒れる」と言われていて、村人はキジの鳴き声を聞くと激しい積雪や吹雪に備えるのである。
では、キジのメスの次に美味い鳥はと言うと、それは「山鳥」のオスになっている。

山鳥はキジより少し大きめの鳥だが、キジのオスのように極彩色の羽ではなく茶色やこげ茶色の羽で、オスの尾羽はキジのように見事な長さがあるが、この鳥も冬、オスを中心に数羽のメスで構成された集団で里へ降りてくる。

そしてキジと同じようにこちらもその姿を見ると「天気が荒れる」とされている。
昔の人はこうして里にキジや山鳥の姿を感じると、恐らく天気が悪くならない間に餌を食べておこうと、晴れた日に現れるのだと考えたようで、その背景には鳥に限らず生き物たちが天候を読むに長けているものと信じていたからに他ならない。

山鳥はキジより少しだけ警戒心が強い。
さて鳥のランキング、堂々の第3位はキジのオスということなっている。
言わずと知れたあの極彩色のきれいな尾羽の鳥で、冬の日、民家の裏山などをゆっくり歩いているキジのオスは見事にまん丸で、どう考えても山鳩より少し大きい程度のメスよりは美味そうに見えるのだが肉の量、味どちらもメスには及ばないと言うことだ。

そしていよいよランキング最下位だが、これが以外にも山鳥のメスなのだ。
あまりキジのメスと変わらないようにも思うが、古くからそう言い伝えられていて、ついでだが村の古老に言わせると「タクワンほどの味もしない」という酷評ぶりだ。
しかし「ではタクワンと山鳥のメスの肉が出てきたらどちらを食べる」との問いに「それは勿論、山鳥だ」と笑って答えたのもこの古老である。

キジは昔から地震の前に鳴くと言われているが、地方によっては天候が荒れる兆しという伝承も多い。
恐らく天候の荒れやすい日本海側では天候が荒れる兆しに、地震の多い地域は地震の兆しと言うことになっていったのだろうが、昔の人はこうして普段はあまり里へ降りて来ない鳥が里の近くまで来ることに対していくばくかの不吉さを感じたのかも知れない。

そこから伺い知れるものは、極端に良いことと極端に悪いことが同じ概念を持っていたことであり、人間の幸福が変化を好まず、「普通」であることを知識ではなく、生活の中から体得していたのだろう。

最後になったが、同じ村の古老からもう1つ面白い話を聞いた。
山鳥は飛び立つときに「緑色の火」を発すると言う。
1日の仕事を終えて夕方家路を急ぐ村人、その姿に驚き慌てて飛び立つ山鳥、その羽や尾羽が夕日に透けて燃えるように見えたか、山鳥の強い生気が飛び立つときに火となって現れるのか。
何かすべてが焼き尽くされた灰の中から蘇えるフェニックス、良い兆しを運ぶ朱雀のようで神秘的な話である。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 我が郷里にもキジが居ましたが、からかって、雛連れの雌を追い掛けると、雛が草原に紛れて、全然見えなくなり、その場を立ち去ると、さっき見たところから、湧くように立ち上がって、何事もなかったように、歩き出して居ました、外房にもこれからは雄キジの鳴き声が、暫く鳴り響きますよ。
    乱婚の様ですが・・雄は育雛に参加しないので、雌が数回別の雄と繁殖するのかも。
    少年の頃、鴨は年に一度ぐらいは食べる機会が有って、冬の季節の楽しみでしたが、キジは食べたことが有りません。味の順序が、ちょっと面白いですが、どうしてそうなったんでしょうかね。
    キジやウズラはかなり放鳥したらしいので、日本中に相当居る様ですが、人間と競合する部分が殆ど無いようで、日本の国鳥の割りには、話題にもなりませんが、色んな外国の方が、都会でも田舎でも、多種多様な野生動物、この場合は主に鳥類ですが、人を恐れることもなく、又それらを人が気にすることもない様子を見て、驚く方が多いようです。
    千葉では、地元のイノシシ、ニホンザルも増えて居るようですが、外来のアカゲザル、キョンなども相当増えているようです。やや危ない発言ですが、外来人も相当増えているようです。実際はこちらの方が、大きな問題の様な気がするのですが、考えもしないで、差別だとか非友好的だとか、裏を返せば、国際的とか友好とか、紋切り型が多いようです。自分の隣人に、言葉が通じない人が、段々増えていって居る状況には、理由と可否を考えた方がいい気もします~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      田舎爺のたわいも無い話ですが、こうしたたわいの無さが少ない昨今、やはり記録しておかねばならないものは有るように思います。
      また山鳥が飛び立つときに出ると言う緑色の炎、これは不思議な事ですが例えば太陽が昇るその瞬間、一瞬差す光は緑色である事が知られていますし、この炎の色がオレンジ色でないところに、逆に僅かな信憑性を感じてしまいます。
      当地でももはやキジを見ても捕獲するどころか、餌を与えている者までいるくらいで、全く逃げません。このことが彼らに取って良いか悪いかと言えば、いつか不幸を招く事になるでしょうが、必要が無ければ他の生物をいつくしむ事もまた大切な事であり、「美味そうだ」と見るか、「綺麗だ」と見るかでは、その見ている本人の在り様が出てきているかと思います。
      これから暫く10年ほど前に他で掲載した文章記事を順次掲載して、自身が感じた時代感覚のライブラリーとしようか、などと思っています。

      コメント、有り難うございました。

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