「弦楽六重奏曲第1番第2楽章」

この話は有名な話だから知っている人も多いかも知れないが、3Bと呼ばれる作曲家、バッハ、ベートーベン、ブラームスは連続する煌びやかな模様のような曲がバッハ、ゴッホの絵のようにダイナミックかつ繊細な曲がベートーベン、そしてレンブラントの絵のようだと言われるのがブラームスだ。

ブラームスは青年の頃、作曲家シューマンに弟子入りしているが、当時シューマンは新婚で、彼の妻クララはとても綺麗な女性だったと言われている。
青年ブラームスは一目でこのクララに憧れるのだが、しかし彼女は師匠の妻であり、道ならぬ恋は到底許されるものではなく、それはブラームス自身の内にあっても同じことだった。
またブラームスは作曲家としてだけでなく人としてもシューマンを尊敬していた。

やがて少しずつその音楽的才能が現れ始めていたブラームスは、周囲から師匠より才能があるのでは無いか、とまで囁かれることになるが、彼がやはりシューマンを師匠として尊敬し続けることに変わりは無かった。
そんなブラームスにやがて大きな決断の時がやって来る。
師匠シューマンの突然の死、病死だった。

そして若き妻クララが残された。
曇った空を刺すような深い緑に囲まれた石畳の道、後ろに手を組んで、苦悩するブラームスの歩く姿が見えるようだ・・・。
その後ブラームスはクララの生活の面倒を見ていくことになる。
それもクララが生きている間ずっと何も言わず助けていくのだが、表の記録では彼はクララに自分の気持ちを打ち明ける事はなかったとされているものの、現実は少し違う。

勿論ブラームスが自分に好意を抱いていることはクララも知っていたし、もし彼が心を打ち明けたならクララ自身にもその覚悟があったはずであり、シューマン亡き後2人を遮るものは何もなかった。
しかし、この古典的な男はもはや法的には何も問題ない関係を自身が不義と定め、この垣根を越えてしまった自身を抱えながら、生涯愛する人を尊敬する師匠の妻として扱っていくのである。
弦楽六重奏曲第1番第2楽章はブラームスがこの師匠の妻クララに送った曲である。
もともとピアノ曲だったが、後に弦楽曲として有名になった。

この曲は屈折するブラームスが1番現れている、激しい炎のような情熱を古典的な形式に押し込んだ、まるで自身の激しくクララを愛する気持ちを、道徳とか倫理と言う型に無理やり押し込んだ、その気持ちどおりの曲である。
そこにはブラームスの露出した心臓がえぐられるような苦悩が現れている。
ブラームスはこの後本当に綺麗なシンフォニーを作っていくが、その根底には遭う度に自分自身と闘っていかねばならなかったクララへの思い、そうした思いを乗り越えていこうとする、未熟で若いブラームスのこうした姿が出発点となっているように思うのである。

弦楽六重奏曲はとても鋭角的で、ひどく古典的な楽曲である。
だから彼のシンフォニーよりは一般的に知名度はないが、若きブラームスの姿を知りたいと思う人は是非聞いて頂きたい一曲である。

もしかしたら女性に取っては「いけず」なのかも知れないが、私はこんな古典的な男が好きだ。
自身が定めた垣根を自身で超えてしまい、その狭間で心臓をえぐられるような葛藤に苦しみながら、生涯愛する女性を師匠の妻として扱うしかなかったブラームス、もしかしたら彼の楽曲の中心には、いつも「師匠の妻」と言うクララが存在していたのかも知れない。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 最近は、有り体に言えば、欲望の儘に生きることが推奨されていて、僧服を着て頭を丸めているが、瀬戸○寂聴の様な、自己の欲望の儘に生きて聖職者と言うより性色者、子供を捨てて、別の男に走ったり、首相夫人に離婚を勧めて、女の勲章と言ったり、勉強不足の人々を集めて煽動したり・・そんなク○ババアに政府は文化勲章を授けたり、多くの受賞者は黙っていますが、あんなアバズレと一緒なら、返還したい人も多いのじゃ無かろうかと、同情を禁じ得ません。

    男女でも国際政治、簡単に言えば戦争でも(笑い)でも成行と矜持の問題が、発生するでしょうが、大衆に迎合して、身を誤ったり、国を滅ぼしたり、大抵は失って暫くしてから、昔の判断が過って居たことに気付く事が多いだろうけれど、勿論取り返しは付かない、溜め息付いて、諦めるしかないが、未だ少しエネルギーが残って居れば後進の為に、何か残しておくのも良いだろうが、大抵は体認しないと、真の反省と言うべきか進路は見えてこない物だろう~~♪
    支那の様に、全く連続性が無く、約250年ごとに歴史は繰り返すが、ただ世事には長けているから、そんな生き方も、それはそれで有りなのでしょう~~♪

    ブラームスの様な男は好きですが、彼が晩年に、クララも、自分の人生を悔やまなかったか否かは自分には自信が無い、美しい事実は伝説として残って、その生き方を将来の人々に力に変えるかも知れないが、そんな人が生まれないで良く言えば現実主義者、有り体に言えば、欲望の儘(笑い)なら、それはそれで、美しい伝説にはならないで、忘れ去られるであろうが、それはそれでいい気もする。

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      私はブラームスの楽曲のファンなのですが、その楽曲にはブラームスが良く現れていて、その意味ではブラームスと言う人が好きなのでしょうね。モーツァルトのような軽薄さが無く、ベートーベンのような病的な部分が少ない。そしてこうして見ると「罪」とは何か、それは誰の為のものであるかが見えてくるような気もします。
      その上で日本の政治家たちの不倫疑惑などを見ていると、明らかに「覚悟が足りない」
      たまさか不倫と言う形でしか成就できなかった「愛」もきっと存在するでしょう。しかしどうも今の日本の不倫は「愛」には遠く、下半身の事情だけで全てを動かしていこうと言う汚さが見える。これではその後以下に立派な事を言っても誰も信用など出来ないし、それで開き直って自身をごり押しするなど、最後の解決手段は暴力ですと言っているようなものです。また今の日本の女性価値観は「高齢」と言う事になります。一昔前は女子高生がトレンドでしたが、今は高齢女性が日本のトレンドであり、その結構な年齢の女と言うのは、見かけは若造りでも、内容は結構なモンスターだったりします。
      男性諸君は是非とも魔の手に落ちないよう、気をつけねばならないだろうと思います。
      金の無い私は安全だと思いますが・・・(笑)

      コメント、有り難うございました。

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