「東京コレクション・Ⅱ」

また「FI世代」とは口コミ世代、つまり携帯を媒介として広がっていく、20代から30代前半の若い女性を指した言葉で、蛯原友里や、押切もえなどはまさにこの世代を代表しているが、FIのFはfe_Male(女性)のFを、そして1はこの世代に付けられた区分番号であり、東京ガールズコレクションが始まりとなった為それを指して区分1となったものだ。

そして「小6サイズ」は、基本的に「J世代」の圧倒的な支持によって発生した消費区分だが、その実態は小学生高学年女子のサイズで想定された可愛い洋服は、身長150cmから160cm未満の小柄で細身の女性にぴったりのサイズとも言え、凝ったデザインに手ごろな価格感があり、例えば「セオリープチ」などのスーツは大人物の売り上げの50%に迫る勢いがあった。

こうした点に加え、そのスタイルと言う点では「アクセシブル・ラグジュアリー」つまり手の届く贅沢感を味わってもらうためにアメリカの「コーチ」などが始めた戦略があり、デパートのバーゲン商品と、海外デザインブランドの中間を狙った価格帯の商品もまた発生してくる。
有名なものではメイドインジャパンとして品質を守りながら、しかし価格では手頃感があるサマンサタバタなどがあるが、こうした傾向は「セレブ感」とも関連性がある。

同じようにクラシコ系、これは主に男性を中心としたものだが、クラシコとはイタリア語で「最高水準の」と言う意味があり、その名の通りイタリア製の、質の高いメンズファッションを展開している「20社前後のメーカーグループを指していて、例えば「マリネッラ」のネクタイ、「ルイジボレッリ」のシャツなどが、こうしたスタイル区分に相当している。

どうだろうか、こうしてみて見ると、パリコレに日本人のデザイナーが少なくなった大きな背景には、流通と言うものの変化が現れていないだろうか。
つまり従来のように海外でショーを開いて、それで有名になって成功すると言う図式は、もはや過去のものとなってきているように思えてならないが、そうした背景にあるものは消費者の動向であり、オンラインショッピングや携帯サイトの普及に伴って、見かけや従来の権威に対する憧れが無くなってきていることに、その原因があるように思える。

つまり発達した情報に、もはやパリコレなどのファッションショーが付いていけなくなって来ているのであり、こうした観点から言えば、日本のデザイナーはパリコレに出れなくなったのではなく、出なくなった、言わばこうしたファッションショーが過去のものになりつつある、と言うことではないだろうか。
そしてこうした傾向を追うように、海外ブランドが銀座に出店競争を繰り広げてきたが、「グッチ」「ジョルジオ・アルマーニ」「エルメス」などの有名ブランドが、東京都が定めた建築容積率の緩和政策などによって、その出店が容易になったことと重なり、結果としてパリコレから逃げていった日本のマーケットを、追う形となったことは面白い傾向だった。

つまりファッションの最前線が望んだものは実は流通の改革だったのであり、こうしたことが早々に起こっていたことは、流石に流行の先端と言うべきだったが、このことに気づかない日本の老舗マーケット、つまりデパートの再編成が起こるのは実に、ファッション界の傾向から少なくとも3年は経過した頃だった。

情報速度の高速化は、結果として消費者とメーカーを近づけ、そこからより品質の高いものが販売収益を上げる仕組みへと変化してきた。
また従来であれば、ある種言い方は悪いが、どうにでもすることが出来た個人消費者は、もはやどうにも出来ないほどの存在に成長したこともまた事実である。
昔は良かった・・・、そう言うことを言っている者は淘汰されるのが、最前線の世界の宿命と言うものである。

「東京コレクション・Ⅰ」

ジュルナル・デュ・テキスティル、これはフランスのファッション業界紙だが、この雑誌の数年前の人気投票によると、ベストテンに入っている日本人のデザイナーの少なさが目に付く。
2006年に山本輝司がバイヤー部門の8位に入っているのが最高で、後は日本人が一人も入っておらず、ジャーナリスト部門では日本人でランクインされた者が1名もいなかった。

1995年前後までは川久保玲、山本輝司、三宅一生と言う大御所達の活躍は世界的な評価得て、少なくとも1970年代後半から20年ほど、ファッション界の最先端はこうした日本人が常にリードしてきた感があるが、新陳代謝の激しいファッション界で、長きに渡って常にそのトップであり続ける事はまことに特殊なケースであり、また大変な偉業とも言えるが、ここにいたって「アンダーカバー」や「ズッカ」を除けば、こうした大御所たちに続くブランドが全く無くなってきていた。

また「マスターマインド」のように、世界中の注目を浴びた東京ストリートのデザイナー達も、まず海外の展示会を優先していく方向にあったため、ショーと言うものを開かない傾向になって来ていたし、これまでであれば東京でその実力を試し、そして世界へ羽ばたくと言うのが一つのファッション界の流れだったが、膨大な経費と時間を要するファッションショーへの参加は、実力のある者ほどこれに参加しなくなり、こうした意味では頂点のブランドを欠くパリコレの存在意義は年々薄れはじめている。

そしてこうした傾向に呼応するかのように、東京では独自のファッションコレクションや、ファッションウィークが発展し、その代表格がエビちゃんこと、「蛯原友里」や「押切もえ」などファッション雑誌「CanCam」の看板モデルを媒介として発展して行った、「東京ガールズコレクション」などであった。

ファッション携帯サイト「girlswalker.Com」「fashionwalker.Com」を運営するブランディング(旧社名ゼイヴェル)が主催したこのイベントは、2005年にスタートしたものだが、モデルが着用しているその洋服が、その場で携帯電話で購入できるよう、同社のサイトと連動した形態だったこの新しいコレクションは、「モテ系」や「赤文字系」などの人気ブランドを集め、2回目の開催では有料のイベントにも拘らず、1万8000人の女性を集め、2006年にはパリで開催される日本のポップカルチャーの見本市「ジャパン・エキスポ」に「東京スタイルコレクション」として招かれるまでに至った。

またこの当時から現在もそうだが、相対的に高齢化社会の中にあって若い女性の価値は高騰し、その結果若い女性は特別扱いの傾向が社会に現れ始めるが、こうした傾向は何も今に始まったものではないが、本来彼女達は変わらなくても、周囲が高齢化によってグレーになっていく中で、変わらないと言うことは結果として上昇したと同じ効果になった為、彼女達は独特の高揚感が味わえるようにもなって行き、こうした傾向の流れが「私は特別」と言う意識に繋がった「セレブブーム」である。

セレブ意識と言うのは知的な関心は薄いが、有名で資産があれば、美貌でも高級ブランドでも、ボーイフレンドでも手に入らないものは無いと言うような、まことにバブリーな、あっけらかんとした活気のことだが、もともといつの時代でも女の夢を向こう側に見ているファッションと言うものの本質からは、そう外れない意識でもあると言えるだろう。

更に日本国内のファッションは、その販売と言う点から、年代やスタイルに応じて更にきめ細かいものになっていくが、こうした中で「J世代」や「FI世代」「クラシコ系」「小6サイズ」「アクセシブル・ラグジュアリー」などの区分が発生してくる。
「J世代」とは段階世代と団塊世代のジュニアの間に生まれた1960年代前半生まれを言うが、その代表格で言えば黒木瞳、松田聖子の世代であり、子育てが終わりオシャレやグルメ、そして子供にも金を惜しまず消費する、または出来る世代の大人の女性を指した販売区分である。

「東京コレクション・Ⅱ」に続く

「古徳」

人はそれぞれ大きな欠点がある。その第一の欠点は「おごり高ぶる」ことであるが、このことについては仏典の中でも、他の書物でも同じように注意を与えているが、儒教の書に「貧乏な暮らしをしていても、おべっかを使ったり媚へつらいして、人の気持ちに取り入ろうとするような真似は、決してしない清らかな心の持ち主はあるが、お金や者をたくさん持っていておごり高ぶらない者はいない・・・」とある。

これはお金やものをたくさん所有することを制御し、おごり高ぶる心が起こってこないよう注意し、配慮せよと言うことだ。
自分は身分も卑しく貧しい人間だが、身分の高い人、良い家の生まれの人には決して負けまい、劣るまいと思う、人に勝とう、人より優れようと思うのもまた、おごり高ぶりの甚だしきものである・・・がこれはまだ制御がしやすい。

豊かな財宝に恵まれ、そのような財宝を集めることのできる力、徳分を持った人もいるが、このような人には親戚縁者や一門の関係者などが取り巻き、人もまたそれを許している・・・それをいいことにおごり高ぶるから、側にいる賤しく貧しい人達はこれを見て、きっと羨ましく思い、わが身の在りようを哀しみ不満に思うだろう。
このような人達の心の痛みに対して、富や力のある者は一体どのように気を配ったらよいか・・・、おごれる人には忠告や助言をするのが難しく、仮にそうしたとしても彼らが身を慎み、控えめな態度を取るようなことなど、到底望むべくもない。

また思い上がる気持ちなど少しも無いのだけれど、勝手気儘に振舞えば、傍らにいる貧しい人達は、それを羨み迷惑に思うだろう・・・このところに十分配慮して誤らないようにすることを、「おごりを抑え、高ぶりを控える」と言うのである。
自分の富んでいることに無責任であり、貧しい人が見て羨望したり妬んだり、不平不満を抱いたりする心情のあり方に無神経だったり、これを無視するような粗野な心を「思い上がり」の心と言うのである。

沢山のことを知っている・・・そのことをして人に勝ったと思っている・・・いや勝とうと思う・・・だがそれがいかほどのことか・・・、自分が人より多くのこと知っているからと言って、決してそのことをして誇りに感じ、思いあがってはならない。
自分より劣った人の不都合や間違いを言い、あるいは先輩や同僚たちの過ちを知って、これを悪し様に言い、罵り非難するのは思い上がりも甚だしい行為だ・・・。

昔から物事の真実を心得た人の前では負けても良いが、ものの理をわきまえぬ愚かな人や、その人がいる前で勝ってはならないと言われている。
自分が詳しく知っていることを他人が悪く理解して受け取ったとしても、その人の過ちを言って非難すれば、それはまた同時に自分が間違いを犯すことになる。
古人や先輩達の悪口を言わず、またものを知らぬ愚かな人たちの心を傷つけたり、妬みや不満の気持ちを起こさせるような場では、よくよく考えて発言に注意し、十分に心を配らねばならない。

人は他の悲運を見て内心に安堵し、他の幸運をうらやんで内に妬みの想いをいだく・・・、世に生きるとき、人は必ず他との比較において自身の位置を定め、幸も不幸も多くはそのような意識や構造の中ではかられる。
人の一生は、言うならば自己充足のための果てしない旅である・・・、それは「もの欲しさ」の旅、そしてそれはいつも他との比較においてである。

ここに人の「喘ぎ」があり、人は「喘ぎ」において生きることの喜びを知り、哀しさを知る、喜びも哀しみもこの「喘ぎ」の一様に過ぎない。
しかも人は「喜び」をうる為に喘ぎ、「哀しみ」そのものにおいても喘ぐ、あるときは「喘ぎ」それ自身が力となって「生」を支えることもある。
恥じらいを忘れ慎むを捨て、声高に自己を主張することは、いつの世にも言わば時代の正義として行われてきたに違いないが、しかし己を省みることなしに、無闇に叫ばれる自己主張は、そのまま根源的な人間喪失の主張となり、他との関係を破壊する契機となる。

自己主張にはどこかに「もの欲しさ」が付いてまわり、人の営みには必ず心に願い求めるものがある。
「謙虚さ」とは己と言うものへの限りなき反省と、自己存在の事実についての誤りなき「自覚」をその主としなければ、単に他に対する儀礼の一様式でしかない、固定化し儀礼化した謙虚さは、自己の醜悪さを隠蔽する為の一種の演技とも言えるだろう。

謙虚さの底には、人間的な痛みの共感があり、慎ましさの奥には人間の「さが」の本質的な虚構に直接する魂の共振がある、いたわりや思いやり・・・それを喪失したとき、その行為は傲慢な人間そのもの、凶器となって人の心を傷つけるに違いない。

「言語の崩壊と肉体の復活」

 視覚は確かに絶対的な情報であることに違いない。
人類が二足歩行を始めて以来、いやそれ以前から生物が持つ情報収集能力と、それを解析するシステムは、「視覚」をその情報と言うものの頂点に位置させて発展してきたことは疑う余地の無いものだ。
しかしこうした「視覚系」の進化の過程に措いて、他の4つの感覚、つまりは聴覚、臭覚、味覚、触覚などの感覚が「視覚」の舞台裏や大道具的な役割を果たしてきたことを忘れてはならない。
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視覚情報と他の4つの感覚情報は、情報処理システムである「大脳連合野」を通して互いに情報を交換させながら、その情報に肉付けを行い、情報の統合作用を行っている。
従って例えば「視覚」で確認したポスターの料理には、その料理の匂いがイメージされ、食べた時の感触の記憶が添付され、知り得る限りの「味」の情報が加えられ、更には湯気を立てて鉄板に乗る、肉の焼ける「ジュー」と言う音までが視覚と相互作用し、情報にリアリティーを与え、「お腹がすいた、これが食べたい」と言う感覚を起こさせる。
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それゆえ人間が生きる上で、その極初期段階に措いて視覚のみが一人歩きした場合、視覚は他の4つの感覚の援助なしに情報を処理しなければならず、これは事実上視覚以外の「他界」を見ないことになる、「感覚的狭窄」(かんかくてき・きょうさく)に繋がっていく。
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このことから幼い頃から視覚情報のみ重点が置かれた環境と、母親や父親と子供とのスキンシップの機会が失われやすい現代社会の「情報」と言うものは、常に表面的なものに陥っていく危険性が大きく、これが料理ならば凡その人間は感覚を経験で身に付けていくが、男や女と言ったものを視覚だけの表面的な情報で捉えることの危険性を鑑みるなら、現代社会で発生している事件の異様さを省みれば明白なことである。
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例えば触覚に関して、生物の脳が発達する極初期の段階で、この触覚が意外に重要な役割を果たしていることが実験から知られている。
マウスの口ひげは、彼等が外界の情報を感知する上で重要な役割を持っているが、このマウスの口ひげを、脳が未発達な時に切ってしまうとどうなるか・・・。
マウスは口ひげで外界を知るために、この口ひげを脳が発達しない間に切られてしまうと、「記憶の記録」そのものが存在しなくなり、その結果成長しても口ひげでは外界を全く感知できなくなるのである。
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すなわち外界からの刺激、視覚以外の情報を感知する感覚が、生物の適当な成長時期に存在しないとどうなるか、そこでは「記憶の記録」が欠損し、従って正常な脳形成が行われず、障害を持ってしまうのである。
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実は現代社会の盲点はここに有り、視覚情報に限らずあらゆる感覚は「ネジの原理」を持っていて、何度かネジを緩めたり締めたりしている間にネジ径が広がって行き、やがてそのネジは正確にネジ径に入らなくなり、次の少し大きめのネジで締めなければならなくなる、こうした原理と同じ傾向を持っていて、視覚は特にこの傾向が強い。
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あらゆる煌びやかな配色に、完全な「美」が視覚を刺激しても、それはまたすぐ次の「美」や「快楽」を求める導火線にしかならず、これには際限が無い。
しかも視覚にこうして強い刺激が与えられる状況が続くと、視覚が持つ欲望は加速度をつけてその欲求を満たそうとし、ついには現実の肉体や、事実がこれに追いつかなくなってしまうのである。
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そしてここでは例えば夫婦でありながら、既に互いに性交渉への関心を失ったカップルが発生し、しかし刺激を求める欲求は膨張していくことから、妻以外の女性、夫以外の男性を相手に「快楽」のみを求める性交渉へと発展していく、若しくは完全に視覚のみ、つまりは映像の中の異性でしか、そこに異性を感じない状況が発生する。
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現在私達を取り巻く環境を今一度考えてみるなら、例えば20年前には論争となった、週刊誌や写真集の女性の「ヘア」問題にしても、今ではそれぐらいのことでは誰も何にも思わないばかりか、女性器が完全に露出したDVDなどが、平気で販売されている時代であり、ここに臭覚や触覚など全く感じない、いわゆるリアリティが欠如した形骸に装飾や妄想を着せた、しかも形骸を払拭しようと悪戯に増殖された「人形的肉体」がはびこって行くことになった。
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20世紀の近代社会は、欲望や生きることの生々しい現実、人間の身体的な部分を少しずつ切り捨てながら、片方でリアリティーを欠いた精神的な美しさ、現実感の無い人間性に価値観を求めた文明を築き上げてきた。
このことは人間から、人間が生物であることの現実を希釈し、そして本来精神と肉体を繋ぐための言葉を肉体から切り離し、意味の無いものとしてしまった。
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人間の皮膚がその内と外を繋ぐ感覚器官であるなら、言語はまた精神と肉体を繋ぐ「メディア」であり、それは「感覚」と言うものである。
従ってそこには極めて現実的な肉体の存在が必要とされる。
ゆえにそれまでの古い価値観の言語体系が崩壊するときには、必ずそこに肉体の復活が起こるのであり、肉体が復活しようする時代は、言語の体系が完全に崩壊してしまうときである。
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20世紀末、日本はバブル経済の崩壊によって価値観や言語体系を失い、そこで肉体の復活が起こったかのように見えたが、それは更なる現実と言語の乖離であり、肉体と精神の乖離の第一段階に過ぎなかった。
言語が五感と共に感覚を持っている社会は、人間は肉体の方向へとは向かわない。
しかし五感が失われた形骸の言葉が社会を支配するなら、現実の世界と離反してしまうなら、そこから生まれてくるものは肉体の復活であり、またこうして感覚と共立しない言語で有るがゆえに、そこに現れる肉体も同じように、臭覚や触覚と言った現実の生々しさを欠落させているのである。
 ・
目が見えない人は文字を習得できないかと言えばそうではない。
触覚でも努力すれば言語を習得できる。
言語がただの形式、絵文字、または発音でしか学習されないとしたらそれは何だ、母親の胸の柔らかさをただの「柔らかさ」として何が分かり得るのか。
言語を使うときは、そこに景色が眼前に広がり、人々が話す音が聞こえ、花の匂いを感じてこそ人間の言語となる。
 ・
子供を持つ者は、その幼き子供に言語を教えるとき、同時に触覚や、聴覚、臭覚、味覚を伴って教えると良い、つまりは現実を伴って教えると良いと言うことだ。
「視覚」だけに頼って育った子供は現実が薄くなり、そして欲望の回転だけが速くなった大人となってしまう可能性があり、そこから生まれてくるものは「フェティシズム」と言うものだ。
そして「フェティシズム」には果てしない破壊性が内包されている・・・。

「転校」

数年前のある日の事だが・・・・。

「おお、景気はどうだ」「いやー散々だな」
こうした挨拶が当たり前になってきたが、日曜日、久しぶりに知り合いのところへ遊びに行っていたら、そこの子どもで小学4年生の女の子が、「今日は午後からお別れ会がある」と言って慌てて支度していたので、「こんな時期に何のお別れ会だ」と尋ねたら、仲のいい同級生が明日引っ越すので、お別れ会は今日しかないんだ、との話が返ってきた。

随分急な引越しだなと思っていたら、知り合いが、「仕事が無くて少し都会で仕事を探すらしいんだが、それも40過ぎると厳しくてな」と缶コーヒーを差し出した。
何でも完全に仕事が無くなったので、この町を出て働くことにした両親に付いて行く為、子どもも転校していくことになり、それで今日のお別れ会になったらしい。

この話を聞いた私は、随分前のことになるが、やはり今のように景気が悪くて、辛い時代のことを思い出した。
当時まだ会社に勤めていた私は、上の子が今のこの子よりもう1年上、小学五年生くらいだったと思うが、よく社長から子ども達のお守り役を頼まれ、何かと甘く、お菓子を買って貰えるので、彼らも私になついていたが、ある日この内長女が、学校から泣いて帰ってきたことがあり、どうしたのか尋ねたら、仲の良かった同級生が今日から突然いなくなり、家へ行ったけど誰もいなかった、と言う話を聞いた。
それで社長にそのことを話すと、社長はその家の人が昨夜、夜逃げしたことを教えてくれた。
この時社長の長女は、そう言えば○○さん、昨日「家にはもうお金が無くなったんだ」と話していたことを思い出し、さらに泣き出してしまった。

また当時この会社は、会社と言っても従業員が自分を含めても6人しかいない程度のものだったが、それでも「使ってもらえないか」と訪ねて来る人が、月に2人はいた。
高台にある松の木の枝で首を吊る者も年に3人程いた年もあった。ひどい時代だった。
だが、今はそれより仕事が無い時代になったが幸いなことに自殺者はいない。
してみれば、ひどいひどいと言いながらもまだあの頃よりは日本は豊かなのだろう。

NHKでドラマ化された「海峡」と言う番組だったと思うが、嵐の中で船から船へ一枚の板を渡って乗り移る場面があり、板の下は鉛色の荒れた海、幼い姉妹がそれを渡るのだが、怖がっている妹を前で励ましながら板を渡っていた姉が、ふと振り返ると後ろを歩いていたはずの妹の姿がなかった。
大声で妹の名前を呼ぶ姉、しかしそれを船頭か船主かは忘れたが、長靴を履いた中年の男が黙って抱え、板を渡らせる、そう言う場面があったが、不景気になると私はなぜか、このドラマの1場面と社長の長女の泣き顔を思い出す。

辛くても終わったことを悔やんでいる間に自分が死んでしまうとしたら、助かった者は何も言わずに自分の幸せのために全力を尽す。
それが生き残った者の使命であり、義務だ。

もうあんな暗い時代は見たくないが、もしこのまま不景気が続けばまた、あのような時代が訪れるかも知れない。
今この瞬間にも辛い選択を考えている人もいるかも知れないが、そうした人に言うことは「どうか、どうか頑張って生きて欲しい」それだけだ。