「塗料としての漆」

漆の価格は変動相場制であり、その価格決定の最大の要因は中国での生産状況や、やはり中国政府の政策に起因する。

こうした事情から過去、輪島などの漆器生産地では中国の漆生産に対し、日本政府から補助を受けて支援する制度が存在したが、その最大のものは中国での漆の木の大量植樹だった。

しかし元々日本との関係が悪化すれば、日本人が乗る観光バスですら止まってしまうのが中国政府のやり方であり、こうした背景から日本の漆器産地が行った植樹などの善意や誠意は、全く関係なく当然の貢物くらいにしか考えられずに終わり、日本の漆器産地などに配慮などが為される事はなかった。

これに対し日本国内の漆の生産は、浄法寺(岩手県)など一部の限られた地域でしか生産されず、為に中国産漆とは圧倒的な生産コスト差が存在する。

2013年7月現在の中国産生漆(漆の基本原液)の価格は1kg当たり10670円だが、これが日本産の生漆だと安いものでも1kgが70000円、平均相場は100000円前後である。

実に10倍近い価格差が生じていて、こうした背景からその品質の高さは理解されていても日本産の漆は消費されず、デフレーション経済の中では更に原材料価格を抑制しなければならない漆器産地としては、益々日本産漆が使えない状態になっている。

日本が消費する漆の99%が中国産漆と言う現実はこのような事情に起因している。

また漆器の需要が低迷する原因として、他工業塗料の品質向上が有り、例えばトヨタの最高級車の塗装に使われている日本ペイントなどが生産する塗料は1kgが50000円、70000円と言う単位のものが使われているが、そのどれもが強度、耐紫外線、耐塩基性に優れ、また表面硬度が高く、見た目の質感も漆を超えるクオリティを有している。

すなわちこれが何を意味しているかと言えば、日本産漆と同じ原材料価格で有っても、その製品が優秀で有れば消費されると言う事であり、ここに漆は実質工業塗料の品質に追い越されてしまっている状況を認識する必要があり、こうした価値観の逆転から漆の価値観は伝統にのみ依存する傾向に有るが、これは間違いである。

何かに対して劣るから、その劣ったものが必要ないと言う事ではない。

エアコンが有るから扇風機が必要なくなったか、或いは掃除機が有るから箒(ほうき)は無くなっただろうか・・・。

同じように1kg70000円の塗料で塗られた椀と、1kg10000円でも漆で塗られた椀ではどちらの手触りを選ぶだろうか・・・。

漆器産業を初めとする伝統工芸の低迷の原因は、確かに消費者の価値観の変化と、文化社会の変化に有るが、その実伝統に依存し何等努力する事を怠り、他の工業技術に追い越されてしまった産地の体質にも原因があったのでは無いか、すなわちデフレーションが悪いのではなく、消費者が求めるものを作ってこなかった、自分の狭い箱の中でしか物事を考えてこなかった漆器産地の在り様にこそ、原因が有ったのでは無いだろうか。

だとしたらこれからの伝統工芸の産地は自身の狭量な価値観の押し売りではなく、民衆の求めるものを作ると言う本来にして謙虚な姿勢こそが、その未来を明るくする道では無いか、そう私は思う。

「雇用の一線」

昭和50年(1975年)には販売も含めると、毎年70名前後の新規就業者が存在した輪島塗の世界だが、これが10年後には半減し、更に10年後の1995年には輪島塗関係の求人がほぼ0になってしまっていた。

しかし一方でバブル経済が崩壊した日本の社会では、それまでの金融システムの崩壊から価値観の迷走が発生し、職人の世界に憧れる傾向が出てくる事になり、この傾向は特に首都圏近郊の若い女性に多かった。

「何か確かなもの」を求めていたのかも知れないが、1995年前後には輪島塗関係の求人が全く無いにも関わらず、石川県外の弟子修業希望者が増大する事になる。

そしてこうした環境の中で発生した状況が雇用の逆流と言うものだった。

つまりは「どうしても輪島塗の職人になりたいから、給料無しでも修行させてください」と言う者が発生して来たのであり、この環境は輪島塗の親方の感覚を蝕(むしば)んで行った。

「自分は善意で教えてやっている」と言う形が蔓延してきたので有り、ここでは徒弟制度が本来持っている「若年者を育てる」感覚が失われ、親方はその責任を放棄し乍只の労働益を得るようになり、しかもこの状態が当たり前になってしまったのである。

賃金の支払いの無い雇用主は基本的に権威が無いものだが、ここで親方が権威を維持する方法が必要以上の自己価値の広言だった訳である。

すなわち輪島塗は素晴らしいものなんだ、その輪島塗でも家(自分)がやっている輪島塗こそ最高なんだ、と言う言い方が出てくるのであり、ここからまた更に景気が悪くなって売り上げが落ちるとどうなるかと言うと、環境が厳しい程、困難な程価値が有るとする価値反転性の競合が始まる訳である。

一種のカルトだが、厳しい程、苦しい程その道が崇高になって行く事になり、この中で肥太った親方と痩せた若い女性の弟子の組み合わせが、あちこちで見られるようになって行き、こうした親方の在り様は権威を担保するものとして、更に既存の小さな権威にすがって行く傾向を生じせしめ、嫌が上でも実質の伴わない伝統権威の株を押し上げて行った。

またこうした既存権威を得にくい親方などは「婦人画報」などを始めとする雑誌や報道の権威を頼るようになり、為に実際は周落に有ったマスメディアも権威が上がってくるが、これなどはまさに価値反転性の競合そのものだったと言える。

ちなみに雇用制度の法体系の中では、賃金を支払わなければ労災保険の加入規定から外れる事になるので、弟子を只で雇用している親方には労災保険の加入義務が免責されるが、只では可愛そうだと思って僅かでも賃金を支払うと、それに対して法的根拠を持った労災加入義務が発生してきて、労災に加入義務が発生すると、当時の職業安定所から失業保険の加入促進が始まり、最終的には最低賃金を払うか雇用を断念するかと言う形になった。

おかしな話だが、若い労働力を只で雇用している者には労災加入義務が無く、善意で少しでもと思って僅かな金銭でも支払うと、それによって雇用継続が困難な状況が発生したのであり、細かい法はグレーゾーンにいる者まで闇に突き落とす事になる、今日の日本の在り様は1995年にはもう始まっていたのである。

 

「f分の1で息を吐く」

肺の容積の85%を占め、成人一人当たりの総表面積が100平方メートルにも達する「肺胞」の機能は、静止している状態ではない事から、常に微弱な収縮と拡大を繰り返しているが、平均値は存在し、従ってこの平均値を最も安定した状態とするなら、周囲器官、気圧などにより平均値まで収縮へ向かう方が、拡大に向かう時よりエネルギーの消費が小さい。

この事から人間の呼吸は吸っている時の方が吐いている時より多くのエネルギーを要する為、息を吸っている状態の時に微弱な振動を起こし、呼吸を止めた場合も同等のエネルギーが必要になる為、結果として細密な作業をしている時の人間の呼吸は、ゆっくり弱く呼吸を吐いている状態になっているが、これは太極拳の要諦にも同じである。

つまり昔から細密な作業時には「息を殺して」とか「息を止めて」と言う事が言われていたが、これはまだ余裕が有る状態の事を言い、更にここ一番の集中が求められた時の人間の呼吸は「f分の1のゆらぎ」で有り、これは水が流れる音、英語のアルファベット中に存在する特定の文字出現確率に同じものと言う事が出来る。

生物の運動は基本的に回転運動の組み合わせで有る事から、これがどんなに複雑になろうと回転運動の基本原則から逃れられず、人間の場合の手の動きでも初めと終わりには力が入り、これによって例えば物を置く最初の瞬間とそれを離す瞬簡に、僅かだが置こうとした物をずらしてしまう事になる。

書の場合筆が紙に入る瞬間と、筆が紙を離れる瞬間に「迷い」が出るのはこの為で有り、これは紙と言う平面で有ればこそ「迷い」だが、その本質は「深さ」、「段差」である。

この状態で初めの段差を全く消滅せしむるには「流れ」、簡単に言うなら一本の必要する長さの線の1・5倍の長さから回転を合わせ線を引き、回転運動の最後は呼吸と組み合わせると緩和効果が出る。

つまり力が抜けた状態を利用して、筆が受ける振動を消す事が出来るのであり、この時に平均値まで吐く呼吸をしていればこれが可能となるものの、息を止めていれば筋肉の細かな微動が発生し、それは大まかには目に見えなくともシルエットに影響を及ぼす。

しかも人間は意識して呼吸を止める事は出来ても、意識して呼吸を吐くことは難しく、ここで無理に呼吸を吐くと、その事に気を取られて「震え」を生じせしめる事から、吐く呼吸は無意識に近い状態で為される事を要とし、ここで必要な事はあらゆる無駄を排したプラスマイナス0の状態が求められるのである。

従って全体の調和の中で体がその状態を作ってくれる環境と言うものが必要になる。

元々人間の体は神経伝達によって維持されていて、例えば好意を持つ異性に出会った時には、そうしなければと思わずとも心臓の鼓動が高鳴り、呼吸数が増えるのと同じように、その人間に危機的な状況が発生すると、それに体が連動してバックアップしてくれる仕組みなっている。

即ちその心が有れば体がそれを用意してくれるのであり、自分の最後にして最大の味方は自分の体なのだが、これに必要なことは「集中」で有り、極めた高い集中はあらゆる意味での分散に同じで、最もリラックスした状態のものと言う事が出来る。

頭から湯気を出してカチャカチャ音を出して仕事をしている姿は、一見一生懸命仕事をしているように見えるかも知れないが、本当に仕事を捗らせるなら余分な力を使わず音を立てる事も無く、一切の無駄を省いた動きとなる事が必要であり、この場合はまるで眠ったように静かに、しかも無表情で仕事が為されて行くものだ。

人間の口は意識や習慣が無いと微妙に開く構造になっていて、為に何かに夢中になっている時は少しだけ口が開き、ついでにまさにこの瞬間こそ呼吸を弱く吐いている。

それゆえ気が付かない間によだれを落としていたりするのだが、これがf分の1のゆらぎ呼吸の瞬間なのである。

多くを語る者の言葉は虚しいのと同じ様に、無駄な動きの多い仕事はその本質から遠く、忙しそうにしている人間の為している事とは「求められるところ」から遠いところを動いているものだ・・・。

 

「強度の危弱性」

 

「砥の粉」の産地で歴史が有るのは京都山科だが、元々砥の粉はこれを水で溶いて木材などの表面を拭くと、木材が白く見える、或いはその表面のきめが細かく見える事から建築などに利用される部分が多かった。

それゆえ大きな木造建築物が集まる周辺には砥の粉の産地が隣接していた経緯があり、また砥の粉は比較的日本各地に点在している資源でも有る。

この事から漆器生産に砥の粉が導入されて行ったのはごく自然な成り行きとも言え、漆器発生段階の早い時期から砥の粉はその下地材料として利用されてきた。

一般に漆器の強度はその塗膜の厚みと反比例の状態に有る。

つまり素地で有る木地から塗装膜外部表面までの距離が長くなればなるほど剥離確率が高くなるのであり、本体、躯体が木製で有れば基本的にこの表面硬度を越える強度や硬さは漆の完全乾燥と共に、常に温度や湿度によって微妙に動いている素地に引っ張られ、ここから亀裂が発生する可能性を増大させる。

この事から砥の粉が多く含まれる漆下地を用いる技法は剥離、若しくは角の欠損に対して強度が無い。

しかし砥の粉を多用した下地の利点はその研磨成形の容易さであり、シャープで鋭利な形状の角や繊細な装飾造形には適しており、この点で予めそれが使用者に理解され、強度よりも繊細さや美しさに重点が置かれた京都漆器の発展は、利用者が高貴な身分で有った事、民衆に美しさに対する理解が有った事が重要な背景と言える。

そして漆器と言えば塗る事だけを重要に考えるが、成形と言う観点から言えば「研磨成形」の重要性と、塗ることの重要性は車輪の両輪の関係にも等しく、それは日本刀などの刀を鍛える場合でも鍛治が刀を鍛えただけでは刀にならない、そこに研ぎ師がいて初めて日本刀となるのに同じである。

ゆえ、刀の研ぎ師を名乗った「本阿弥光悦」(ほんあみ・こうえつ)では無いが、漆器で究極を目指すなら、研ぎ研磨を征してもその半分を征する事になるのであり、漆器は多くの技術が集まった総合的なものである。

何か一つの技術が秀でていても、それは結局他の技術の支障にしかならないかも知れない。

漆は一点技術ではなく複合技術で有り、ここに木製の椀が有ってこれに強度を欲する時、一番最初に強度の強い生漆原液を塗ると良いように思うかも知れないが、生漆を何度も塗り重ね、その上から上塗りをする、つまり下から上まで全て液体の漆で仕上げる場合はこれでも良いが、途中の下地で砥の粉成分、或いはこれの加工下地粉末を混ぜたものを使用した場合は、密度の不均衡から剥離確率が高くなってしまう。

つまり生漆目止め加工は万能に強度を保障するものではなく、使い方を誤るとその事が漆器の強度全体を低下させる場合も出てくるのであり、堅牢さに気を取られ闇雲に力を求める事は、強靭な体を鍛えても心が脆ければ、その人間がやはり脆く弱い事にしかならないのに同じである。

「夏の器」

塗師屋(ぬしや)と言う組織には「筆頭職」(ひっとうしょく)と言う立場が有って、これは通常ならその塗師屋の一番弟子で、修行期間である年季明けが終わった者が、他の塗師屋でも働いて経験を積み年齢を得て、もとの塗師屋で指導的立場に有る、商家で言えば「番頭」の立場に有る者を言う。

だがもしその塗師屋が創業間も無い時は、暫定的にその家の一番弟子の年季明けが終わった時点で、事実上の筆頭職になる場合が有り、筆頭職は親方の次に権威を持っているが、高齢の筆頭だと時には若い親方の指導も兼務している重要職となる。

春3月、まだあちこちで雪が残り、細かく冷たい雨が降っている日だった。

年季明けが終わって間もない私は一番弟子だった事も有って、暫定筆頭職になっていたが、そこへ一人の、30代半ばくらいだろうか、ジャンパー姿の男性が訪ねてきた。

だがおそらくその男性は言語に障害が有ったのだろう、言葉は途切れ々々でしかも発音もしっかりしない。

そこで私は紙とマジックを持ってきて、それで筆談する事にしたのだが、彼は輪島塗の下地職人で、今現在解雇されて仕事が無くて困っている事、障害者である事を紙に書き、つたない発音で「何でもします、どうかここで雇ってください」と何度も何度も自分より年若い私に頭を下げるのだった。

オイルショックか何かでとても景気の悪い時だったやも知れぬが、さすがに人を雇う事に関しては親方の範囲である事から、彼を事務所に待たせて親方に相談に行ったところ、親方は自分が直々対応すると言って事務所まで来ると、「済まない、家も景気が悪くて今は人を雇えない、本当に済まない」と、その職人に頭を下げた。

藁にもすがらんばかりの職人は更に悲しそうな顔になり、そして来た時と同じようにつたない口調で「分かりました、ありがとうございました」と言い、また冷たい雨の中を去って行った。

現在漆芸技術研修所に入所する者の中には美術工芸大学を卒業後入所している者、又は漆器が好きで頑張っている者が多い。

そして若い人や、それを支援している塗師屋も頑張っている事や、やる気が有る人が評価されているのは、それはそれで悪い事では無い。

だが「夏の器を作りました・・・・」と言うお洒落なダイレクトメールなどが送られてくると、私は何故かあの冷たい雨が降る日の男性の事を思い出してしまう。

私は今もガックリ肩を落として去って行く、あの男性の後姿を見送りながら、親方と2人で「済まない」と謝り続けているのかも知れない・・・・。