「超えて失う」

アクシデント、若しくは災害の質と言うものは何かが完全に根絶される訳では無く、一つが大きくなると他のアクシデントや災害は小さくなり、その大きなアクシデントや災害に注意を取られて防ごうとして行くと、今度はそれまで全く目立た無かったものが突然巨大化して姿を現す。

トヨタが発売を始めた直後に感じていた事だが、どうも後ろを走っているとプリウスユーザーの運転は一般的に少しおかしいと言う印象が有った。
この感覚は私だけかと思っていたが、どうやら日本各地で複数の人が同じ事を思っていたようで、何がおかしいかと言うと運転が統合失調、分裂状態なのである。

通常人間の目は前後の車の速度、車線からの距離、前後の間隔や、場合に拠っては車窓から見える運転者の表情などから、周囲の車が次に何をしようとしているか、或いは曲がろうとしているのか止まろうとするのかを漠然とでも予測しながら自身の車の速度や車間などを決定しているが、プリウスの場合これがバラバラで、運転者の意思が見えにくいのである。

勿論相対的に高齢者が増えていて、しかも高額な車が買えるのは社会的に優遇され資産形成が終わっている高齢者と言う事で、こうした意味でもプリウスユーザーの高齢化が進み、運転に統一性が欠落してくる可能性も有るが、前の車との車間が常に安定せず左へ寄ったり右へ寄ったり、急に加速して見たかと思うと次はいきなり速度が落ちたりと言う傾向が有る。

しかもこうした事をユーザーが自分の意思で連続するのは、相当体力や気力が必要になるはずで、どうしても電気に拠る動力とガソリンエンジンに拠る動力のバランス、それに人間とのマッチングが取れていない感じがする。

また自動運転システムやブレーキアシスト機構にしても、例えば哺乳類は一般的に成年に達した固体は寝ていながらの排泄を行わず、これは哺乳類全体が獲得した生物社会秩序なのだが、もし「おねしょ」をしても構わないとする現実が現れた時、人間は哺乳類社会が獲得した秩序、システムから外れる事になる。

衝突に対する危機回避行動は生物の基本的な本能であり、衝突しそうな場面でそれに対する危機回避行動が必要なくなったとするなら、人間は他の危機回避が必要な場面でも危機回避行動を起さなくなる、またはその回避行動が曖昧、緩慢になる可能性が出てくる。

危険だと判断してブレーキを踏むと言う行動は、これでも省略的反射行動だが、それすらも無くしてしまうと、危機回避に対して車に乗っている間は反射行動の必要が無くなり、この事が他の事象に対しても現実と危機回避行動のタイムラグや分離に繋がる可能性が有り、これがやがて人間のアクシデントや災害に対する危機回避行動や人間関係、コミュニケーションにまで影響を及ぼす可能性が出てくる。

こうした人間工学的な検証が為されないまま、単に便利だと言うだけで安易に自動運転システムに依存する事に対し、私は強く警鐘を鳴らしておこうと思う。

エンジン機構のハイブリッド化、二種混合動力ですら車の運転からある種の「意思」を奪っていくとするなら、自動運転システムが人間から奪うものの大きさは計り知れない。

人間の感覚は他者のその動きから理解が可能なものが多い。
この中で他者の行動に注意を払わなくても構わないと言う事態が訪れると、人間はいつか他者の行動から相手を理解する能力の減衰を起し、相互理解能力の低下を起す可能性が高い。

またハイブリッド車でガソリンの消費が減少しても、その分高い車両を買っている現実は、例えば5年と言う歳月で車を代えていくなら、、5年間で総合的に支払うガソリンの代金とハイブリッド車のハイブリッドである為の代金では、5年間のガソリン代金の差額の方が遥かに安く、この意味ではハイブリッド車は紙幣の数が一定のものなら他の消費を抑制している現実を持つ。

これが何を意味するかと言えば、食べ物を減らして自分が痩せながら、しかも生物の能力の中でも最上位に重要な能力を失いながらハイブリッドの自動運転の車に乗って、「便利だ、便利だ」と喜んでいると言う事だ。

それまでの自分の秩序やモラルが壊れる最も身近な例は病気で有り、動けなくなって自分でトイレに行けない状況でパイプに拠る排泄を経験すれば、その意味が良く理解できるかも知れない。
初めて経験する者は自分が完全に崩壊してしまったような気がするかも知れないが、基本はその通りだ。

「おねしょ」をしても良い状況と言うのは、その人間が病気をしている、或いはもう動けなくなった時に初めて必要となる、通常では忌避すべき状態に対するもので、「おねしょ」以上に重要な危険回避行動をこうした非常事態の対処に頼っていると、やがてその非常事態が普通になってしまう。

つまり「病気」の状態になってしまうと言う事になる。

更に冒頭でも述べたように、アクシデントや災害と言うものは混沌と秩序の中に常に種が有り、何かを避けると他の予想も付かない混沌が顔を出してくるものだ。

人類がこれまで文明や便利さに拠って失って来たものはとても大きい。

その上に生命維持のための基本的な本能すらも失えば、ある日突然全く予想も出来ない簡単な事象に拠って滅ぶ時が出てくるかも知れない。

自動運転に拠って減少するとされる事故は、ある日突然、恒星と惑星運動の些細な変化に拠って、或いはこれまでも大方の大惨事がそうだったように人為的な簡単なミスで、それまで減少したとされる自動車事故をたった一日で全て取り戻す事になるかも知れない。

この感覚は少ないかも知れないが、私は自動運転システムが、悪戯に形式だけの延命措置を行う人工呼吸器のように見えている。

[本文は2016年1月21日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

「劣性依存症候群」

世の中には適度であれば有効に働きながら、過ぎると害悪になる物が沢山有るが、例えば薬なども処方を間違えれば逆に病に陥り、よくよく考えれば我々が暮らす社会も適量付近だから何とか維持されているのであり、この中では完全な適量は有り得ず、多少の誤差を伴って、過ぎた者も及ばない者も存在するのが普通、どちらかに傾くと世の中が危うくなって行く。

中世末期のヨーロッパ、俗に言う「ルネサンス」の頃だが、この初期段階で発生してきたローマカソリック支配体制に対する原始キリスト教回帰運動、宗教改革などを調べていると、価値観が豊かさを否定し、より苦しく厳しい方向へと向かって行く傾向を持つ事が見えてくる。

人間の価値観は非常に多様な部分を持っているが、自身が自分の価値を肯定できる人間、現在で言えば「成功組」とでも言おうか、そうした存在は少なく、大方の人間は中々自分の生き方やそれまでの在り様を肯定できる状態には無い。

こうした中で我々各自はどのようにして自身の価値を見出すかと言えば、住んでいる地域、生活圏内で他者との比較を行い、この中で優位に立とうとして物を買ったり預貯金を増やしたり、或いは利権を得ようと考えるが、これらはどう言う場面でも常にピラミッドの頂点でしか無い。

そこでこれから外れてくる人間の方が圧倒的に多くなり、ではこうした人たちがどうやって自身の価値観を築くのかと言えば、半分の人は上を目指すが、もう半分の人は諦めてしまい、ここでは同じ土俵を離れて精神性の部分へと価値観を向かわせ、この過程でそれまでの豊かさや物を多く持ったり、或いは権力に対する欲求そのものを否定する傾向が現れてくる。

また極端に安定した平均的に豊かな社会、平均的に貧しい社会では突出した豊かさや権力は精神的な崇高さから否定され、よりこれらから遠い部分に漠然とした価値観を形成するが、この傾向の激しい状態を「劣性依存症候群」と称する。

劣性依存は社会の半分が持つ人間の基本的な価値観ゆえ、上手く使えば社会に対して有効に働く。

古くは「背水の陣」もそうだろう、劣勢から動機が始まる画家や音楽家、宗教、伝統芸能の師弟関係など、劣勢依存をシステム的に管理できる場合は、ここから利益を得ることも出来る。
皆で結束して頑張って挽回する場合も有るだろう。

しかし豊かさへの欲望には際限がなく、最終的には自身の命で引っかかってくるのと同様に、貧しさや劣勢も命に到達するまでの距離を際限なく堕ちていくものであり、この極端な例が「イスラム国」などの自爆テロと言う過激原理主義運動となって行くが、この根底に沈むものは宗教ではない。

現状に対する不満、社会に対する不満、優性価値観を自身の中で築けず、劣性の中に突き進んだ上の行動であるゆえ、この傾向は特定の地域や国家、思想を越えて世界中で旗印として拠り所とされ、自身の破壊的行動に価値観を持たせる精神行動に使われて行く。

そしてここまでではないが、景気低迷で大手企業しか利潤を確保できない現在の日本社会では、中小零細企業がほぼ「劣性依存」の状態に陥っている。
「これだけ苦労しているんだ、必ず先には良い事も待っているはずだ」
「今は辛抱の時期だ、従業員の皆も辛抱してくれ」

こうした言葉に拠って、現状の劣悪な労働環境が肯定され、自身を鞭打つ事が成功に繋がると言うような、半ば宗教的修行状態に陥っている企業が増加し、ここではより苦労している事が価値観と錯誤されやすく、企業のブラック化は容易に進行していく。

長く監禁状態が続く被害者が、やがて誘拐犯に対して同情や好意を抱くようになる「ストックホルム症候群」は、基本的には「劣性依存症候群」の一つの劇症例であり、価値観が崩壊した後現れる「価値反転性の競合」も劣性依存の一つの方向性と言える。

劣性依存の本質的要因は「現実逃避」ではなく、「自己消失」、いや「自己忘却」と言うのが適切だろう。

火事などの緊急事態では我を忘れて人命救助に当る事が多いが、こうした状態の軽微なものが常に連続した場合、我を忘れて行動している時間が長くなり、本来の自分が遠くへ押しやられた状態になって行くこと、また諦めが多くなる事が原因かと考えられる。

そして劣性依存社会の末路は破綻よりも悲惨な底なし沼陥落であり、実質的被害者は若年層に集中する。

社会の頂点はどうしても経験の長い高齢者や年長者が築きやすく、高齢化社会で高齢者対策が重点的になってくると、このしわ寄せは唯でさへ若年層に向かってる上に、現実が劣性依存型の社会に向かいながら、高齢者の価値観は昭和と言う時代の優性依存価値観のままである。

ここで軽微な非常事態に拠って物分りが良くなった、或いは諦めから苦労している事で自身を肯定するようになった若者が被害者でありながら被害者とも思わない、また思っていても口にする事もできない組織や社会は、まず間違いなくルネサンスや宗教改革期のような、それまでの崩壊を迎える事になるだろう。

平成13年TBSの「日曜劇場」で放映されたドラマ「半沢直樹」にも出演していたジャニーズ所属の若者が、昨年末理由も言わずに突然芸能界から引退すると宣言したが、同じジャニーズ所属の「SMAP」の突然の解散騒動を見るに付け、私は彼らのファンでもなくジャニーズに怨みも無いが、伝え聞く範囲ではどこかで北朝鮮のような独裁企業、また老害満載の傾いた帝国企業をイメージせずにいられない。

更に、若年女子の優性競争心理を劣性依存に変換させ、独裁プロデューサーでアイドルグループが形成されている「AKB48」や、結束やストイックを拠り所にしたような「EXLE」の経営にも同じような臭いを感じ、少しばかりの気持ち悪さを感じてしまう。

TVの世界がいよいよ終焉を迎えている証なのかも知れない・・・。

[本文は2016年1月17日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

「徳の成立」

欧米の概念では「数」は数える事に原初を持つが、日本や古代中国では数は「読む」とも表現されてきた。
「数える」と「読む」の差とは何か、これは数と言うものが「自己」に有るか「他」に有るかの違いであり、もっと言うなら自己と他の関係を示しているとも言えるかも知れない。

「読」の旧字体は「讀」と書き、「言」の右側は「賣」と同じ表記に有りながら意味を違える。

讀の右は元々「睦」と「貝」の合字であり、これは街角を声を上げて物を売るその声を意味するが、「睦」とはまた温和な目、穏やかな目を意味し、この以前は「目」である事が明朝の時代の漢字からも見て取れる。

「睦」は「目」のその時の状態、「装飾」を表し、古くは「徳の右上「十」と「目」にほぼ同じ、一般的に漢字の上と下の関係は下が「意」となるから、「徳」の右の「直」と「心」に近いか、同じだったものの下に「貝」、「声を出して売り歩く」が当てられたものと考えられている。

一方「徳」の旧字は右側が「直」と「心」で構成されるが、これは実際のところで言うなら現在の「徳」である「十」と「目」と「心」の方が古い。
ただし、「彳」が付けられて使われるようになった事を総合するなら「直」と「心」の方が旧となる関係にあり、「直」とは「十」と「目」に簡素な塀が立っている事を意味する。

十の目とは何かと言うと、大勢の人の目をを意味し、「徳」は目を横にした状態の「目」の装飾であり、時々「四」などに近い状態でも用いられるが、「四」は周易では独特な位置に有り、「目」は古くは「神」や「天意」に近く、十人の人の目に半分の囲いの意味は「多くの人の目の前に完全な囲いは出来ない」、或いは多くの人の目の前では何事も隠す事は出来ないと言う意味に解釈されている。

しかし実際に徳の右側に「直」が当てられる事になったのは十の目よりは新しく、この意味では十の目を半分守れ、或いは十の目の後ろと上は自身が守れないが、前と下は守れとも解釈され、こうした流れから十の目を落とすな、誤魔化す事は出来ないぞと言う意味になったのだろうが、十の目の古くは「神の目」だったと考えられている。

「讀」と言う文字の状態は多くの人の目の前で正確に数を数え上げる事を意味していた。
誤魔化せない状態で物事を声に出して言う、つまりは占いの結果を告げる事、または天意に名を借りた権力者の詔(みことのり)にその端を垣間見ることが出来る。

同様に「徳」の右側も十の目の心であり、十の目の心と言う表記は「讀」よりも古く、この意味は基本的には「神の目を意識せよ」であり、「讀」共々十の目の心が途中で「直」の心に切り替わり、そして現在の「読」と「徳」のように全く違った意味になってしまったが、「讀」と「徳」は元々兄弟のような漢字で、「彳」は「貝」や「言」とは範囲が広い「行動」や「動き」「形」全般である事から、「讀」は「徳」の内、声を出して言う事に限定された「徳」の一部と言う事なのである。

ただ、十の目に半囲いが設けられた「直」の字の解釈は未だに不安定で前述された解釈も、推定の域を出ていない。
多くの人の目の前と下に塀を設け、後ろと上はこれが出来ないと言う表現の仕方は非常に意味が深い。

もしかしたら十の目から「直」に変化して行く過程には思想的に大きな変化が存在したのかも知れないが、決定的な事はこの時から徳や讀は神の領域から人の領域に降りてきたと言えるのである。

また「徳」の原義は「升」「昇」に有り、「升」の解釈は明白ではないが、木の柵組をした門の形、或いは階段や梯子を上る姿を表しているとも言われる。

「升」と「昇」とは同義だが、「日」に向かってかかる梯子、そして木の門の頂点付近を指しているとするなら、「日」に近付く事を意味している、簡単に言えば天の心に近付く、天の心を知ると言う意味とも考えられる。

しかしここでも十の目に囲いが出来て「直」と為すに同じような深さが出てくる。
易の掛に「升」が存在し、升は一つの限定でもある。
つまり「升」は上に上がる事を意味しながら、それが能動でも受動でもないのであり、在るべき所へ帰っていく為に上がると言う意味合いを持っている。

全く意識する事も無く意味も無く唯ゆっくりと上がっていく様を表している文字でもあり、こうした背景から見えるものは「太陽」や「月」の動きのようにも思えるのである。

「徳」の本質は「十の目の心」、多くの人の目を意識せよと言う事であり、この多くの人の目の先に「神」や「天」が在る。

してのその意義は音も無く考える事も無く、あるべき所に向かってゆっくりと昇っていく姿に有り、これを行動として表したものが「徳」、音に、言語に表したものが「讀」である。

我々が徳を実践する時、全く意識せず何も考えずに此れを行う事は難しい。

同様に眼前に出現する事象の全てを偽り無く見る事も、それを言語に置き換える事も非常に困難な事で有り、もしかしたら古代の人が十の目を半分隠して「直」にせざるを得なかった背景は、自身が神とはなり得無い事を表したものだったかも知れない・・・。

「光の列車」

1923年8月29日東京、午後8時から8時50分頃、江東区清澄公園から隅田川を左に見ながら墨田区本所まで遡る区間のあちこちで、ちょっとした人だかりが出来ていた。

余りの異様さに言葉も出ない群衆の視線の先に有ったものは何か、それは現代の表現を使うとしたらどんな光景だろうか、おそらくキングキドラの光線が地面から垂直に上にあがっては横に倒れて行くような、そんな光のショーが清澄から本所までの一直線上に何本も現れては消えしていたのである。

その光の柱は辺りに立っている家や木などまるで無いも同然に付きぬけ、数十メートルまで上がったかと思うと、先が広がって次々横に倒れて地面に消えて行った。

しかも視覚的にはとんでもない異常な事態にも拘わらず全くの無音、まるで何かの夢を見ているような群衆も言葉は少なく、この静かな光のショーは約1時間に渡って繰り広げられた。(武者金吉著・発光現象の研究及び資料)

また同年8月31日深川、笠原昌二氏は同郷の友人と一杯呑んでから寮へ帰る途中、道端で用を足そうとしてズボンのボタンを外した時、突然東京湾の方向が横一直線に光に包まれ、その光は強弱を繰り返しながら3回ほど連続するのを目撃する。

そして1923年9月1日、後に東京帝国大学地震研究所長、(所員兼務)を務める寺田寅彦は静岡で釣舟に揺られていた。
そろそろ昼食の時間かも知れないと思って太陽の高さを見ようと顔を上げた瞬間だった。
彼の視線の先に有った箱根の山のすれすれをまるで列車のような細長い光の帯が走って行った。

彼は後の記録でこの時、「ああ、東京がやられた」と瞬時にして感じたと記録している。

ちなみに前出の「武者金吉」は昭和3年に寺田寅彦の東京帝国大学地震研究所の嘱託として地震研究と関東大震災の調査に携わっているが、関東大震災の予兆は寺田寅彦も武者金吉も既に把握していた。

だがそれが一体いつ起こるのかが解らなかった為、悶々とした状態が続いていたのだが、寺田寅彦が光の帯を見て「ああ、東京がやられた」と瞬時に思う背景には、それまでの彼らの研究の中で、光の帯はある種決定的な地震の前兆現象として認識されていたと言う事である。

ここでは関東大震災の時の発光現象を時系列で記載したが、こうした発光現象は地鳴りや異常音以上に決定的な巨大地震の前兆現象と言え、発光現象の多くは震度5以下の地震では極めて少ない。

それゆえこうした発光現象が出現した場合、まず間違いなく震度5以上の地震が発生し、それを目撃したと言う事は、自身が震源の近くにいると言う事である。

冒頭の清澄から本所で出現した発光現象は、同じものが1946年の南海地震(M8・0)でも目撃されている事が武者金吉の著書に記されているが、この時光の柱が目撃されてから地震が発生するまで数時間、数秒と言う記録が残っている。

清澄、本所では4日前だったものが、南海地震では直前に発生している。

従って発光現象は巨大地震直近の現象であり、これが目撃された時は長くて4日、早ければ直後に地震が発生し、どちらかと言えば直後に地震発生となるケースが多いと言う事であり、中でも列車状の光の帯は震度6以上の地震では殆ど出現している前兆現象と言える、いや地震が既に始まった事を示す直前現象と言っても良い。

列車状の細長い帯のような光を見た場合、その2分から6秒後に間違いなく震度5以上の地震に遭遇し、地面から光の帯や雷が上に上がっていく場合は、5秒以内に巨大地震に遭遇する。
しかも地面から光が上がる場合は、そこがほぼ震源である。

また北極圏で見られるオーロラ、この南限は東京くらいの緯度までだが、厳密な南限は決まっていない。

しかも日本くらいの緯度では光の波長の関係から、見られるオーロラの色は「赤」が限界かも知れず、通常でも見られない現象ではないが、例えば東京でオーロラが見られる確率は90年に1度くらいのもので、それも何日も続かない。

しかし能登半島地震や中越沖地震では、地震発生の2日前くらいから夜空にカーテンの裾のような赤い光が現れた事が報告されていて、単に赤い光と言う事であれば古文書から始まって大きな地震の前に見られたとの記録が多く残っている。

北海道付近ではそれ程珍しいものではないかも知れないが、本州で赤いオーロラが出現した場合、この場合も翌日か翌々日には巨大地震が発生する確率が高いと言えるのかも知れない。

だが光の地震前兆現象の最も特徴的な部分はその多くが無音だと言う事である。

地面から光が上がる、天から雷のような光が落ちて海に沈んで行くにしても、それが何の音も無く現れる、この不気味さと恐ろしさは巨大地震を想定するに充分な異常現象と言える・・・。

[本文は2016年1月16日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

「地震と地鳴りの因果律」

古来「雷が多い年は地震が多い」とされる文献が多く残されているが、例えば楠正成(くすのき・まさしげ)が使っていたと言われている「通機図解」、これは雲の形から地震を予測する方法だが、この予測の多くには「この雲を見たら大きな地震か雷が発生する」と言う記述が多い。

早朝に見たら午後2時頃に注意せよと言う具体的な時間まで予測されながら、しかし地震と雷の区別が為されないのは、近代に至るまで地震と雷を区別する概念が普及していなかった事に起因する。

大きな雷だと実際に木造の粗末な家屋には震度4くらいの揺れを感じる事が有り、こうした背景から雷の多い年は地震が多いとされたのだが、一方こうした伝承が多いと言う事は地震発生と「音」の関係が深かった事をも意味している。

日本で始めて地震と言う言葉が出てくるのは鎌倉時代の「いせこよみ」の表紙挿絵だが、ここでは「地震の虫」と言う表現が為されているものの、平安時代の地震の記録は「大雷」とされているものが圧倒的に多く、この事からしても地震発生の前後には遠くで雷が鳴っているような音、或いは地鳴りのような音が頻繁に前兆現象として存在したものと推定される。

また古文書や近代、現代の記録でも地震発生の前に感じた異常の記録を調査すると、その筆頭は「異常な高温」だが、これに匹敵するものとして地震発生前の「音」が有り、これは殆どの大地震の前に発生している前兆現象と言え、その多くは直近の大地震の前兆現象と言えるが、巨大な音が頻繁に使われる現代社会では、どの音が地震発生前に発生している音なのかが判別しにくい。

飛行機や戦闘機の加速音、花火、隕石の突入音、雷、そして火山噴火に伴う「空気振動音」、大まかにはこうした現象発生音と地震の前兆現象としての音の区別はとても難しいが、こうした中で地震の前兆現象と他の理由による発生音との決定的な違いは「継続性」と言える。

飛行機などの加速音は通常5分ほどの間に1回から3回、強弱を伴った振動と雷のような音が発生するが、10分以上続くものは存在しない。
花火などは後に情報を確認すれば判別できるし、雷なども気象図から可能性を予測できる。

隕石の突入音は通常1回の「ドーン」と言う音だが、火山噴火に伴う空気振動は「ドーン」と言う音が不定期に数回発生する場合が有り、これはとても大きな音なのだが、実際の火山噴火は音が聞こえた場所から場合に拠っては500km以上も離れている場合が多い。

そして巨大地震が発生する前の異常音に関しては、古来から現代までの巨大地震の前兆現象として、殆ど全ての地震の前には異常音が聞かれたと言う記録が存在する。

安政江戸地震、ここでは「ゴー」と言う地鳴りのような音が続き、同じ音は南海地震や1923年の関東大震災でも多く記録に残されていて、同様に雷のような「ドーン」と言う音を聞いたという記録もとても多い。

1993年7月に発生した北海道南西沖地震など、その聞き取り調査が実施された地震の殆どで聞かれたのが「ゴー」と言う地鳴りのような音と、雷のような「ドーン」と言うだが、こうした音には一様に継続性が見られる。

つまり「ゴー」と言う音の場合には、少なくとも5分以上の連続性が有り、場合に拠っては数日続く事が有り、雷のようなドーンと言う音も定期的に連続する点にある。

関東大震災の時、井戸を掘っていた職人が穴の中で「ゴー」と言う音を聞き始めるのは午前10くらいからで、この音は息をするように強弱を持ちながら連続する。
これに恐れを為して職人が穴掘りを辞めるのは午前11時、その1時間後に関東大震災が発生する。

北海道南西沖地震では海岸に立っていると風もないのに遠くから「ゴー」と言う音が聞こえ、この音は1ヶ月間、聞こえたり聞こえなくなりしながら、北海道南西沖地震発生まで続く。

しかし、こうした「ゴー」と言う音の場合はその多くが大地震直近の現象であり、例えば地下鉄の駅構内でこうした音が聞かれた場合は、早ければ5秒以内に地震が発生する可能性も有る。

また雷のような「ドーン」と言う音はどの地震でも前兆現象としての記録や報告が残っているが、例えば関東大震災のおりの記録では、毎日大砲のように定期的にドーン、ドーンと言う音が1週間続き、同様の報告は北海道南西沖地震や能登半島地震でも聞かれ、そのいずれもが一定の時間を置いて連続することが知られている。

地震の前兆現象は「呪いの人形」に同じである。
見ている人の目の前で着物の裾が揺れる呪いの人形の裾は、風で揺れているのか気温差なのか、それとも呪いなのかは判別できない。

地震は風や気温差と言う物理的説明の付く原因に混じる非科学的な呪いのようなものである。

高い気温、季節はずれに咲く桜やツツジ、原因不明の衝撃音、これらは通常の自然摂理でも発生するちょっと奇妙な異常であり、これだけをして何か大きな地震が発生すると言う事ではないかも知れないが、これらの何か変だと言う現象が重なってくる場合は、その先に何か変だが集積したものがやってくる事を想像するのは決して悪い事ではない。

東京では昨年12月26日、火山性微動のような連続する微震が観測されている。
それにこうした高温状態と2016年1月5日に多く報告された「地鳴り音」に鑑みるなら、古来から言い伝えられている「大地震」の予兆が揃い始めているのではないか・・・・。

ちなみにこうした前兆現象は、その現象が収まってから地震発生となる場合が多い。
地鳴りのような音が止まってから、高温傾向が収まってから巨大地震がやってくる例が多いように私は感じる。

それと、こうした前兆現象はひずみモーメントの初期にも発生し易い事から、前兆現象が発生して実際に地震が発生する確率はほぼ3割である。
これは例えばコンクリートの板を割るとき、1回では割れずにそれが蓄積された状態で初めて崩壊する様相に同じで、前兆現象はこうした崩壊初期から発生する為、前兆現象をして間違いなく地震が発生するとは言えないかも知れない。

しかし多くの異常が重なった場合は注意が必要と言う事であり、アカデミックが地震発生前の音と地震との因果関係を認めにくい事情は理解できるが、これを否定するのは如何なものかと思う。
1月5日の関東での地鳴りに関して、東海大学地震研究センターの長尾年添教授は「日本で地鳴りを研究している人を聞いたことが無い」としているが、本当にそうだろうか。

古来から文献に残そうとした多くの人の情熱は何なのだろうか。

私はかつて何人もの人がこうした研究をしていた事を知っているし、そも位相幾何学では曖昧な答えも現実となって来ている今日、気象予測では既に広く民間からの情報を元に局地予測が為されている宏観性予測が用いられている中で、自身が知らないからそれを認めない、アカデミックだけで何とかしようと言う、そうした精神こそが科学の可能性を閉ざしているのではないかと、思う。

抗議しておく。

[本文は2016年1月8日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]