「人魚伝説」

スコットランドはケイスネスの浜辺、教育者校長を職業とするウィリアム・ムンロは、この浜辺を散歩するのが唯一の息抜きになっていたのだが、その日も黒い大岩がそこらじゅうに突き出たところを抜けて、少しだけ視界が開けた場所に出た・・・紺碧の空、明るい太陽、寄せて帰る波しぶきは白く美しく、ウミネコが空に止まっているように風を受けていた。

そして何気なく岩場から海を見たムンロは思わず声を上げる・・・ムンロが立っている岩場から5,6メートル離れたところにある海中から突き出た岩に、見てはいけないものを見てしまったのだ。
絵の中に出てくるような美しい女がそこに寝そべっていた・・・、だが驚くべきはそのその女・・・一糸まとわぬ裸で、肌が雪のように白く、豊かな胸に瞳はエメラルドの輝き、うす赤く色が差した頬に緑色の髪はつやがあり、それが風にたなびく度に物憂げな表情で綺麗な手でかき上げられていた。

職業柄「これはまずい」と思ったムンロ、しかしきれいな女の誘惑には勝てず、そっと横目で細かいところまで見ようとしたのだが、今度はもっと驚くことになる・・・、上からずっと下を追っていたムンロはある場所まで来たとき、人間の女なら当然そうなっているだろう部分が無い、つまり下半身となっているはずのところが、まるで魚の着ぐるみのようになっていることに気づいた。

しかし着ぐるみとは決定的な違いがあり、彼女は上半身は人間だが下半身は魚のそれで、端末にはきれいな尾があり、サバに似た斑点さえそこに見て取れたのである。
「人魚だ!」ムンロは思わず声を上げた。
そしてわれを忘れて見ていると、その人魚はムンロをさほど気にする様子もなく、やがて尾っぽの方からするすると海に入り、沖の方へ泳いでいってしまったのである。

ムンロは出会う人全てにこの話をした、「人魚だ人魚がいたんです。上半身が人間で下半身が魚の人魚だったんです・・・」
だが人々の表情は驚くと言うより、「ほう・・できれば下半身も魚でなければもっと良かったでしょうね・・・」などとニヤニヤされるばかり・・・みんな冗談ぐらいにしか思っていなかった。
憤慨したムンロ・・・「タイムズ」紙に投書した・・・が1809年、ナポレオン戦争や対米問題で社会が混乱している最中、たわけた人魚騒動の話など社会的関心になるはずも無かった。

そして1961年8月、やはりイギリス近海でアイルランドのマン島沖、イギリス海軍編隊長ロイ・マクドナルドは沖合い8キロのところ、海上で釣りをしていて、今度は赤毛の女2人が泳いでいるのを発見、すぐさま追いかけるが、波をすべるように泳ぐ彼女たちに足はなく、キレイな魚のそれで、ロイの船は遅い船ではなかったがとうとう追いつけず、彼女たちは海中深くへと消えていってしまったのである。
同じくこのマン島では、海岸からも上半身1メートルくらいの人魚が目撃されていて、B89,W64,H89と言う ナイスバディだったと証言しているのは、女性の目撃者なのである。

一般に「人魚」は余り縁起が良くないことになっていて、昔から漁師や船乗りはこの姿を見ると海が荒れるか、良くないことが起こると恐れていて、日本やアジア地域でもこうした「人魚」の話は出てくるのだが、この肉を食べると「不老不死」になるとか、とんでもない化け物と言う場合もあるが、どうも総合的にその雰囲気は明るい話が少ない。

またジュゴンと言う海獣が人魚の正体だとしたものもあるが、アザラシ状で大型な海獣を人魚に見間違えることは少ないように思うし、伝説では1メートルほどの人魚の存在もあり、上半身が魚で下半身が人間とした話もあり、一様にはいえないが、人魚の場合にも雌雄があるのかも知れない。
ちなみに日本でミイラとして残っている「人魚」は上半身が猿、下半身が鮭の作り物であることが判明しているが、こうした作り物は西洋での人気が高かった時期があり、日本で頻繁に作られ輸出されていた時期があったのかもしれない。

さて私の場合、海中で人のような姿が見えたら、まず人魚だとは思わないだろう・・・一番最初に考えることは溺死者・・・ではないだろうか、なんと夢の無いことを・・・。

「恋するカレン」

メリダ(スペイン)から少し山側に向かったところにあるこの酒場・・・と言うより昼間は食堂になっているのだが、大きな木の丸いテーブルが3つ、それに無理をすれば10人くらいが座れるだろうか、そう言うカウンターがあるこの店は、昼夜で様相が逆転する。
昼間と言っても殆ど夕方なのだが、この店を切り盛りしているのはオーナーの老夫婦で、薄い髪を後ろになで上げた主人が厨房に入り料理を作り、彫りの深い顔立ちの婦人がその料理を出してくれる・・・勿論酒は頼めばこれも出してくれるが、こうした夕方近くの時間でも既に酒が入り、ご機嫌になっている人がいるのもこの国の特徴だろうか・・・。

とにかく陽気なことを言えば、ここより東にあるナバエルモサとそんなに変わらないが、周囲の景色がナバエルモサよりは遥かに田舎の雰囲気で、数時間も走れば隣のポルトガルに入ってしまう地理的条件もあってか、マドリードやカタロニアから比べると少しだけ影が差しているというか、湿度が感じられる。
メリダに滞在していたのは2週間くらいだったのだが、以前放浪状態で旅していた時助けてくれた夫婦がこの食堂へ連れて行ってくれ、ふとしたことがきっかけとなって私はその滞在期間中、この店で夜のアルバイトをすることになってしまったのである。

この店は夜8時になると、近くに住んでいる女の子が2人アルバイトでやってくるのだが、1人は少し太めのかん高い声の女の子で、もう一人は細めで背が高く、きつい感じの女の子だったが、彼女たちが店に入ると、とたんにお客が増えてきてテーブルもカウンターも埋まってしまうのだ。
たまたま私たちも少し酒を飲もうと言うことになっていたので、その時間まで店にいてメーカー不明のウィスキーやカクテルを楽しんでいたのだが、その店には一応音響設備もあり、BGMも流れるようにはなっていたが、いかんせん客が酔ってしまうとみんなで歌いだしてしまい、それに併せてくれるならいいのだが、調律もしていないギターを、これまた客が勝手に弾きだしてメチャクチャなことになるのだった。

その余りのひどさに私はギターを弾いている客に、身振り手振りでギターを貸してくれるように頼んだ・・・中学高校と女にモテたいがために練習していたギターがこんなところで役立つとは思わなかったが、フォークギターでピックもカポタストも揃っていたので、調律してとりあえずF のコードを鳴らした・・・するとこうしたメチャクチャな中に始めてまともな音がなったことに驚いた客がシーンとなってしまい、これはまずい・・・何か弾かなくては・・と言う雰囲気だったので、昔相当練習したサイモン・&・ガーファンクルの「ボクサー」を歌わずに弾いた。

かなり間違えてボロボロだったのだが、珍しかったのか客達から盛大な拍手を貰い、頭をかきながらギターを元の客に戻したが、その後私はこの店でスターになってしまった。
次も何か弾いてくれ、弾いてくれと私の友人夫婦のところへ押し寄せ、かろうじて英語が話せる友人が私にリクエストを伝え、それを私が弾く・・・と言う図式が出来上がってしまい、既に昔ほどの腕も無いのでストロークで客の音程に合わせて演奏すると、みんなで歌うのである。

そしてそうした雰囲気に嬉しくなったのかアルバイトの女の子が踊りだし、酔ったおっさん数人でこの地方に伝わる陽気な、しかしどこか儚い感じの歌・・・コーラスが始まり、それに私がコードを合わせて演奏するとみんなこぶしを振り上げての大盛況となったのだった。
結局この日友人宅へ帰り着いたのは翌日の朝方になっていたが、この店のオーナー男性が友人と暫く話していたので、何かいやな予感はしていたが、翌日から夕方7時ごろになると背の高い方の女の子が、私を迎えに来るようになったのである。

1日2500ペセタ、実際は女の子に送迎の為のチップを渡していたから手取り2000ペセタで、これは非常に安い賃金ではあったが、こうした店ではこのくらいかなと思った私は、タダで友人宅に滞在している負い目もあり、この日からこの店のギターバンド奏者になったのだった。
客は男性が多かったが、毎晩来てくれる者もいて、言葉は通じなかったが、仲良くなった人も数人でき、アルバイトの女の子とも身振り手振りだが親しくなっていったが、毎晩みんなで歌い、酒を飲み、そして女も男も踊る・・・歌は下手だけどそこが良くて、この地方独特の音階の歌は男たちが合唱で歌っているのだが、酒で音程はしょっちゅう左右へふらふらするながらも、いい味わいがあった。

女の子たちもスカートの乱れまで踊りの1部に加えたように踊っていたが、おかしなものだ、いやらしさが無い・・・私は女、それを主張して何が悪い・・・と言う攻めの感じがあり、陽気さがあった。
多分もう滞在期間が終わる頃だったか、ある晩客の一人が、日本の歌を何か歌ってくれと言うようなジェスチャーをしたので、私は当時好きだった大滝詠一の「恋するカレン」を歌った・・・静かな曲だったのだが、みんな聴いてくれて、大いに盛り上がった・・・そして「それはお前が作った曲なのか」と言うように訪ねた客に私は思わず頷いてしまった・・。(大滝さん済みませんでした、私は嘘をついてしまいました・・・。)

今夜でアルバイトが終わると言う日、オーナーは店の住所と連絡先、それとボーナスとして10000ペセタを追加してくれ、女の子が2人で私を送ってくれたが、その車の中、彼女たちは「恋するカレン」を歌詞が分からなかったのか、スキャットで口ずさんでくれた・・・。
車の中から手を振って帰っていく彼女たちは私をいつも「ぼうや」とか「少年」と呼んでいたのだが、多分彼女より私は年上だっただろう・・・。
そして私は音楽の偉大さを、大滝詠一の偉大さをこの2週間で思い知ったのである。

「修羅」

暖かい春の日差しが窓から差し込み、2階階段の踊り場には、看護士が生けたのか名前は分からないが、赤と黄色の綺麗な花がそこだけ嬉しそうに輝いていた。

こんな場面ではどちらかと言うと良い天気は辛いものだが、それでも雨の日よりは少し気が紛れるだけ、ましなのだろう。
母の大腸にガンが見つかったのは本当に偶然だったが、足の関節手術のために行った検査で発見され、こうして手術すれば助かることは分かっていても、やはりガンと言う響きは何となく嫌なものがあり、この手術の日に心配して同行してくれた伯父夫婦と私、それに父は、手術室の斜め横に設けられた待合所の硬い長椅子に座り「大丈夫だ」とお互いを確かめるように時々頷いていた。

この日は母の手術の他にもう1組の家族がその待合所で待機している様子だったが、小学校3年生と5年生くらいの男のが2人、、その待合所に設置されているミニ図書コーナーを行ったり来たりして騒いでいたが、多分彼らのおじいちゃんに当たる人が手術を受けるのだろうか、この子たちの母親らしき女性と、手術を受ける人の兄弟夫婦、つまりこの子らにしたら大叔父夫婦に当たる人達が、やはり私たちと同じように手術が終わるのを待っていた。

別に聞こうと思った訳ではないが、黙って待っている私たちと比べて、この家族は何やら深刻な感じで、それは単に手術を案じると言うより、どうやらこの大叔父夫婦の大叔父が、嫁である女性をそれとなく説得しているような雰囲気があった。
その女性は、恐らく子供らの食事を作るために留守番している私の妻と同じくらいか・・・もう少し若いか・・と言った感じだったが、「何とか考え直すことはできないか・・・」と問いかける初老の男性に「もうだめです、もうどうにも・・・」と首を振って下を向くのだった。

可愛そうなのは子供たちだった、母親がそうして下を向くと、それまで元気で跳ね回っていたのが一瞬にして険しい顔つきになり、母親のそばへ心配そうに近づき、それで大叔父らしき男性は沈黙する、そうしたことが2度ほど繰り返されていたときだった。
階段を自分の母親らしき女性と上がってくる男性の姿があり、こちらも多分私と同じくらいの年齢と思えたが、周囲に烈火の如くの火焔が見えるほどの憤怒、あたり一面を怒りの場に塗り替えるような勢いで、待合所にたどり着くなり、そこにいる全ての人間を睨みつけ、文句があれば唯は置かんぞ!・・・と言う表情で威嚇した。

そしてその後を追うように上がってきた看護士長らしき女性に「お前では話にならん、事務長を呼べ!」と怒鳴りつけると、余りの怒りに座ることさえできないのか、その廊下を行ったり来たりしていたが、看護士長らしき女性がまた下へ降りていくと、今度は先ほどの女性の前に仁王立ちし、「何かまだ言うことがあるのか、おい!何とか言え」と怒鳴りつける。
慌てて大叔父の奥さんらしき女性が、本当に不安そうな顔になった子供達を連れて「下でジュースでも買ってこようね・・」と言って連れ出したが、この様子を見ていた大叔父らしき男性は「君のそんな態度が○○さん(憤怒男の妻の名前らしい)をここまで追い詰めたんじゃないか、いい加減にしたらどうだ」と言うと・・・憤怒男は「何だと、何も知らないくせに・・・」と言うなりこの大叔父らしき人の胸倉を掴んで今にも殴りかかりそうになった。

これで慌てたのは私と私の伯父で、急いで間に入り「落ち着け」と憤怒男を制止しようとしたが、そこへ警備員の男性がが横切ったかと思うと、この憤怒男の腕をねじ上げ、「いい加減にせんか!」とどやしつけ、これで戦意を喪失した憤怒男は仕方なく椅子に座り込んだのである。
「ふーやれやれ・・」と思ったが、それから後もこの憤怒男は横柄な態度でねちねちと妻らしき女性に文句を言い、挙句の果てには看護士長の代わりに上がってきた事務長に、「全ての医療代金の明細を出せ」といきまき・・・だった。

そして「それじゃ下で・・・」と言う事務長と2人また階下へ降りていったのだが、「○○さん、すまんな・・・」と女性に声をかけた大叔父らしき男性に対し、彼女は唯黙ってぽたぽた・・と涙をこぼしていた。
そしてほぼ入れ違いに大叔母と一緒にジュースを持って上がってきた子供達は、泣いている母親を心配したのか、2人ともその女性のところへ走りよっていった。

なんとむごいことだろう・・・母親に寄り添う子供たちの顔には確かにあの憤怒男の面影があった・・・そしてこの子達の母はこの女性なのだ・・・。
私には到底女性はつとまらない・・・

さすがにその場に居づらくなった私たち家族は少し離れたフロアに移動したが、伯母が一言「何もこんな所であんな話をしなくても・・・」そうポツリと呟いた。
やがて母の手術は終わり、どうにか成功だったらしく、先生が「経過を見なければ分かりませんが、多分再発は無いと思います」と言ってくれたのだった。 この日、いい天気だったのが嬉しかった。

病院と言うのは不思議な「場」だと思う。
命が懸かったギリギリの状態、人間が瀬戸際の状態で集まっている「場」は信じられない現実が展開されている、後日私が行けなくて妻が病院へ行ったとき、そのときも恐らく別の夫婦だと思うが、離婚を話し合っている場面に妻が遭遇しているのである。

あの夫婦に何があったかは分からない、いやそもそも夫婦、男女の仲など他人には預かり知らぬことだが、振り返れば我が面影を宿した子供・・・その顔をまじまじと見ると良いだろう、それが現実、それが全ての答えだ、そこを怒りで見えなくした者が歩む道は修羅の道となる・・・。

「金縛り」・4

金縛りによるその後の変わった能力については男性遺伝の可能性が高く、父から男の子へ、お爺ちゃんから孫の男の子へと言う具合で、女性の場合遺伝でのこうした能力獲得は少なく、その能力が子供へ遺伝することも少ないようだが、突然現れるこうした女性の特殊能力は強力なものが多くなっている。
3歳から7歳くらいの男の子が、毎晩のように夜中突然起きて壁の一部を指差して泣き出す・・・と言うようなときは、その子はそこに間違いなく「何か」を見ている、そしてその場合たぶん父親も過去そうした経験をしていることが多い・・・。
では最後にこの記事で使わせていただいた資料の女性、ムカデの恐怖から金縛り体験が始まった女性のその後、これは金縛りがもたらした1つの究極の姿、とも言えるものですが、これを紹介して終わりとします。

女性の夫は同じ県内ではあったが遠く離れたところから来ている婿養子で、彼の母が40歳のとき生まれた1人息子だったが、幼くして父を亡くし、母1人子1人でくらしていた・・・そして彼が婿養子になってから、母は1人暮らしをしていたが、結婚して4年目、この母は末期のガンであることが分かった。
彼女の家ではそれは可愛そうだ・・・と言うことで彼女の実家近くの病院へ入院させ、義理の娘である彼女がその世話をしに毎日通っていたが、医師にもう今夜が峠です・・・と告げられた夜、彼女が眠ったままの義母に声をかけると、義母は最後の力を振り絞り彼女の手を握った・・・何も声にはならなかったが、彼女はそこで「○○(息子の名前)を頼みます・・・」と言う声を聞いていた。

翌日の朝方義母はなくなった・・・そして葬式、このときから彼女の身の回りには不思議なことが起こってくる、祭壇に飾られた左右の提灯が最初左側が一瞬消え、そしてしばらくして右側が一瞬消えた・・・この提灯は電気で灯されていて、他の蛍光灯とかはこうしたことが無かったのに、まるで誰かが祭壇の前を横切ったように消えて点いたのである。
そしてこの事を他の親族に話すのだが、誰もこの場面を見た者はいなかった。
やがて葬儀も終わり火葬も終わって、その遺骨は家の座敷、床の間に組まれた祭壇で49日間安置されることに決まっていたのだが、この葬儀が終わった夜から彼女は全く眠れなくなった。

彼女は夫と当時3歳の子供と3人で、この座敷から渡り廊下を挟んだ部屋で寝ていたのだが、座敷から凄い音が聞こえてくるのだった・・・そしてそれは紛れも無く義母で彼女は状況が分からず苦悩し、嘆き座敷を歩き回っている光景で、女性は眠っていない、目を覚ました状態で布団に横になって自室と座敷の光景を同時に見ていた。
義母の顔の表情、その気持ちまでがまるで手に取るように分かったと言う・・・「お義母さん・・」彼女は何度も何度も義母に声をかけるが、どうも義母には声は聞こえていても、その声がどこから来ているのか分からない様子だった。

この話は勿論義母の息子である夫にも話したが、夫は全くそんな音など聞いていなかったし、毎晩憎らしいくらいにすやすや眠っていたが、葬儀から3日目の夜、やはりいつものように横になって目を開けたままにしていると、夜中義母が座敷から自分たちの寝ている部屋の手前のドアのところまで来ているのが見えた・・・だが義母はそこでこちらの様子を伺いながらそれ以上こちらへは来ようとしない・・・もう2メートルもすれば手が届くほどの距離でありながら、それ以上は来ないのである。
彼女は朝方まで続くこうした義母の気配に殆ど睡眠が取れなかったが、このとき死者と生きている者の距離とは、例え物理的どれほど近くにいても絶対越えられない距離があることを知ったと言う。

一週間後・・・義母はどうやら状況が分かってきたらしく、とても静かになったが、そんな夜、いつものように横になった彼女の眼前には外の景色、それも家やそれに続く道が見え、大きな月が出ていて、そこを歩いてくる2人の男性の姿が見えた。
一人はかんかん帽のような帽子をかぶり、一人は黒ぶちのメガネをかけていたが、黒っぽいスーツ姿のこの2人、やがて家の前まで来ると家に対して帽子を取り、挨拶と言うか「入ってもいいですか」と言うような許可を求めるのである。

その表情は終始和やかで、なぜか声には出していないが、家も喜んで彼らを迎え入れる・・・そして彼らは座敷で寝ている義母を起こすと、嬉しそうに雑談を始め、義母も嬉しそうに笑っていた。
やがて義母は立ち上がり、それに付き添うように2人の男性も立ち上がり、玄関を出てまた家に向かって3人でお礼を言い、深く頭を下げた3人に対して家が抱いた感情は「祝福」だったと彼女は言う・・・月夜の道を3人はどんどん離れて行く、彼女は思わず「お義母さん」とつぶやいた。
義母はちょっとだけこちらを振り向いて微笑んだ・・・彼女は仰向けに寝た姿勢で目を開けたまま全てが嬉しくて泣いていた。

翌日家族にこの話をしたところ・・・彼女の父親(当時60歳)も同じ光景を夢で見ていたと言うことだ・・・。

「金縛り」・3

夢を見ているとき、例えそれが2重、3重の夢でも見ているのは「私」だ・・・、しかし金縛りに会っているとき、そもそも金縛りそのものが「私」とは別の意思、つまり「私」以外の別のシステムが働くか、「私」が複数存在しない限り起こらないことになる。
脳は不思議なところがある、別の章でも書いたが、どうも「私」と言う意識を持つ脳は、眠る直前や目覚める直前を「非常に危な時間」としていることが垣間見え、どうして眠たくなるのか、何時間寝たら目覚めるのかは一体脳の何が決めているのだろう。

眠りについた脳を起こすシステム、眠りの長さを決めるシステムは、もしかしたら「私」と言う意識を持つ脳以外のところにあるのかもしれない。
これは福助人形の男性の話だが、金縛りに会っている最中、その恐怖とともに薄い客観性を持った目というか、存在と言うか・・・そんなものを感じていた、明確ではないが、恐怖の対象である福助の恐怖以外の「何か」が弱いけど広く薄く存在していたとしている。

同じことはムカデの恐怖から金縛りに会うようになった女性も話している。
何か無機質な自分以外の意思が感じられた、自分の恐怖とは違う別の弱い意思で、広い範囲に薄い霧のように漂っているように感じたというのだ。
福助人形の男性は20代になって、金縛りが始まると体が少しずつ布団から浮いていくようになっていたが、自分が着ている布団をまるで何もないかのようにすり抜け、ゆっくりと浮かんでいき、やがて天井まで30センチくらいのところまで浮いていく、そして反転して寝ている自分を見るのが少し楽しみになっていた。

このとき自分では「ああ、やっぱりこうした事ってできるんだな」と言う満足感があったが、同時にこれは非常に暫定的なことで、決して褒められないことだと言うことも感じていた、また早く戻らないと何か分からないが大変なことになると言うことも感じていた。
そしてこれ以外に正体は分からないものの、何か本当に弱いものだが、遠くでこの自分の浮いている状態を狙っているような感覚が常に付きまとっていた。

もうそろそろ帰らなければ・・・男性はそう思うと今度はまた反転して仰向けになり、自分の体に戻っていくのだが、問題はこの男性を弱く遠くから狙っている存在、そろそろ帰らなければ・・・と思わせる根拠だ。
脳はやはり自身が把握できない別のプログラムを持っている。
しかもこのプログラムには感情が無く、一定の条件がそろえば起動するものらしく、眠りに就かせる時、目覚めさせる時、そしてその延長線上には「死」があるのではないかと思う。

眠りの中の夢はある意味どんなに怖くてもそれは安全な囲いの中にあるが、眠りから目覚める瞬間は別のプログラムが起動していて、この状態は体と自分の関係が少し不安定なような気がする、その為に怖い映像でこの時間を短くしようとする体と「私」と言う脳に対して、無機質に機能だけを果たす脳さえ存在を把握できないプログラムの間には相反する部分があり、危険な時間を短くしようとするその行為が、こうした危険なプログラムを誤作動させたり、長く留める原因になっているように思う。

この男性が金縛りの時に経験しているのは俗に言う「幽体離脱」と言うことだろう、しかしこの幽体離脱、本当に体から何かが抜け出ているかと言うと、恐らく違う。
脳が体の位置を把握できないばかりか、体が無ければこんなに楽なのか・・・と言うことさえ考え始める、つまり自分の体の位置を把握することを放棄し、これまで蓄えた情報から、脳自身が自分で見たいものを選択して見る行動を始めているのだ。
そして脳が体の位置を把握することを放棄し、そのままになってしまえば、事実上この男性は生きてはいるが、目を覚ますことは永遠になくなり、脳は体の中にありながら、最後には自分でもとの位置に帰れなくなる・・・ずっと夢の中をさまようことになる。

これは「死」の状態、体がもう生きることを維持できなくなったときに働くプログラムと似ている・・・死によって切り離された脳はそれでも物質的には体の1部だから、火葬されれば「無」に帰することになるが、
そもそも脳の伝達手段は「電気信号」であることから、しばらくは磁場として残るのではないだろうか。
この世界には目には見えないが無数の、人間以外のこうしたものも含めてが存在している・・・と言うことなのではないか、そして普通なら目に見えないものを、1度自身が脳の位置をずらした経験(金縛り)のある者が気配として感じる、またそれを映像化できることによって、見ているのではないだろうか・・・。

金縛りは確かに怖い、できればこうした目に会わないに越したことは無いが、では悪いだけかと言うとそうでもない。
第1章を憶えているだろうか、どうして女性の部屋に血だらけの女が入ってこなかったのだろう・・・どうして恐怖に怯える男性の部屋に福助人形が入って来れなかったのだろうか・・・。
実はこの2人は何かに守られていたのである。

その何かとは1つは生きていることだが、もう1つは「場」であるように思う、これはどういうことかと言うと、この2人は始めからその姿を見ていない・・・が気配を見ていた。
もともとその恐怖の対象が「虚」であることを体か脳が感じていた・・・そして自分は生きている、つまり「実」であることから、それらが決して自分に危害を加えられないことをどこかで認識していたのだと思う。

また「場」とはそう分かり易く言えば「結界」と言うことになるだろうか・・・この2人には家族がいてみんなで暮らしていた。
人間や生き物はその存在そのものが1つの力であり、「場」だ、何も意識しなくてもどこかで大切な子供を守っているところがある、いやそうした気持ちがある・・・それが力となって危機の時には強い囲いになっているようなものかもしれない。
普段からの子供を思う気持ちが頭から粉になって降りかかっていて、少々の幽霊ぐらいは所詮出るのが精一杯で、危害などは加えられない・・・これが生きている者の強さと言うものだ。

そしてこれは最後にも出てくるが、人が暮らしている家、長く続いている家にはとても大きな力がある。
家と言うのは不思議なもので、養える生き物の数がおおよそ決まっていて、それより多くの生き物がいると、例えば金魚が死んだり猫が死んだりと言うことが出てくるが、それ自体がそこに住んでいる者を守っている。
2人の金縛り経験者は金縛りによって、こうした今まで分からなかったことに気づいたと話していた。

金縛りと言う項目で科学誌を調べると、それはレム睡眠における「夢」だとしか書かれていない、また眠りについてはフロイトの研究があるだけで、誰もこうした研究をしていない。
空海は大宇宙と同化するような壮大な自己など無い・・・と説いた。
だがこの世界は生物で満ち溢れている、力で満ち溢れ、尽きることなく死んで、尽きることなく生まれてくる。
あらゆる存在があって、その中には唯の電気信号が強い意志となっているものも多く存在してるかも知れない、だがいずれにしてもこうした存在は生きていると言う真実の前では「虚」でしかない、多くの今を生きている生物の力は「虚」の影など影にさせないほどのまばゆい光を放っている。
常に「虚」は「実」に勝てない。

人間は一生の3分の1を眠っている。
そして見えるものは脳が見せているし、聞こえるものも脳が聞かせている。
どこから現実でどこから虚なのかは正確には分からないかも知れない。
金縛りは終わるとき体のどこか1部分が動けばそこから開放されるが、ではそれまでコントロールできなかった体、怖いものを見ている脳・・・この状態で何故体の1部分がこうして動くようになるのだろうか。
何が体を動かして、自分を金縛りから解放しているのだろうか・・・。
金縛りに会ったら般若心経を唱えると良いという話は、このブログ訪れてくれている女性もコメントをしてくれたが、こうした意見は多い・・・多分金縛りを避ける方法は恐怖に打ち勝つ絶対的な「確信」なのかも知れない・・・・私はお前に負けない、私がオリジナル、真実だ・・・そう言う信念であるのかも知れない・・。